黒い花

野良ガエル

黒い花

 この小さな島国ではここ百年程の間、『強さ』こそが絶対の価値であった。

 故に、当然のごとく男性上位の社会であったし、学がある者も仕事に秀でた者も、強い人間よりは下に数えられていた。


 そして、この島国の領にある孤島――――諸戸島もろとじまは、国中の中でも選りすぐりの修羅が集まる、まさに鬼ヶ島とでもいうべき場所であった。

 今、この諸戸島で、修羅たちを騒がす一つの事件がある。



******



 明け方の浜辺に、二人の男と一つの死体があった。


「これでもう十三人目」

「しかも、殺られたのはまた、かなりの手練れときておる」


 修羅の島にも一応治安を守る職はあって、その職に就く二人が青い顔で言葉を交わしていた。

 二人の間には剣客の死体が一つ。抜刀した状態で仰向けに倒れている。額には朱く、穴が開いていた。


「頭に、銃弾の一撃」

「周りに銃弾の当たった跡が見えぬ。一発で仕留めておるのだ、相も変わらず」

「この深山みやま氏は、諸戸島でも五十傑と数えられる豪傑。諸戸島の五十傑なれば、本土の五指とも並ぶ。抜刀し、闘う状態の彼を一撃でとは」

「この銃使いは、一体どれほどの手練れじゃ」


 銃。確かに銃は脅威である。だが、一定以上の強さを超えた剣客ならば、銃にも勝る。銃口から弾道を予測し躱すことも可能であろうし、深山氏ほどの実力者であれば刀で銃弾を弾けるやもしれぬ。


「誰か、誰かいないのか、この凶行を止める者は」


 修羅と称されるほどの剣客が集まった島での、その中でもさらに豪傑を狙った連続銃殺事件。諸戸島のただでさえ危うい均衡は、謎の銃使いによって崩れ始めていたのである。


 と、その時。

 死体を前に嘆く彼らへと、声をかける者があった。


「詳しく教えて欲しいねぇ。その、銃使いについてさ」


 剣客にしてはやたらほっそりとした、背の低い人物である。長い黒髪を首元で括り、黒い着物を纏い、ご丁寧に腰に下げた刀までが真っ黒であった。長い前髪の間から覗く双眸は、糸のように細められている。口元は笑っているが、熱のない笑みであった。


「お主は、誰ぞ。見ん顔じゃが」

「ああ、アタシかい? アタシは旅の剣客で、たつみってモンさ」


 諸戸島にやって来る旅の剣客など、命知らずにも程がある。余程の無知か、はたまたよほどの自信家か。ともあれ、今この島は銃使いの話題で持ちきりである。彼らは、どのみちいずれ知るだろうということで、巽に事の次第を説明した。


「なぁるほどねえ。強者ばかりを狙う銃使い、か。そいつは相当腕に覚えがあるんだろうねぇ。面白い面白い」

「何が面白いものか。お主も、用心するがよい。剣客で、腕に自信があるならな」

「あいよ」


 そんなやり取りをして、巽と名乗った剣客は明け方の浜辺を去っていった。



******



 太陽が、正午の位置に差し掛かり、修羅たちの島を照らしている。

 諸戸島の中心街、ここ吉秀よしひでが、一日のうちで最も賑わう頃合いである。

 左右に様々な商店が並ぶ大通りを、巽はぷらぷらと歩いていた。さして金があるわけでもないので、握り飯を二つ買って頬張りながらの、物見であった。


「い、いやああ! 誰か、誰か助けて下さいまし」


 巽が玩具屋にて、修羅の島にも玩具が要るのであろうかなどと考え、けん玉を手に取っていた時である。すぐ近くで、若い女の悲鳴が聞こえ、巽はゆっくりとその方を振り返った。

 若い娘が、涙で顔をくしゃくしゃにして六人ほどの剣客集団から逃げていた。着物はところどころ切り裂かれ、肌の露出が見られる。剣客集団はわざと着物だけを切り刻み、肌を見せながらに逃げ惑う娘の様子を愉しんでいるのであろう。


 真昼間の、町の中心街での出来事である。

 にもかかわらず、下手人たちの堂々とした態度はなんであろうか。道の脇を固める焦点の客や主人たちも、苦い顔をして押し黙っているか、店の中に隠れてしまっている。


 実はこれが諸戸島の歪みであった。強さが絶対的な価値であるこの時代で、選りすぐりの修羅が集まったこの島では、強者と一般人の格差は人と人外の差に近い程であった。まして、やられているのは何の力も持たない娘である。強者からしてみれば、一般人が自分より小さき別の生き物を戯れにいじめているのと似たような心境であろう。


「お願いします! 誰か、誰かあああ」


 娘よりは少し格上の男や商人たちも、強者様に意見するような馬鹿な真似はしない。皆が娘の代わりにされることを恐れ、ただただ事態。この島に生まれた只の女が安穏に生きるには、心を殺してどこかの強者に取り入り、守ってもらうしかないのである。

 娘の着物は最早布切れの域であり、足りない分は恥部を両手で隠すほか無いようだった。


「やれやれ。胸糞が悪いねえ。先に握り飯を食っといてよかったよ」


 巽は溜息をつき、けん玉を棚に戻すと、ふらりと大通りに出て行った。


「お、おいあんた。何をなさるつもりだ」


 玩具屋の主人が、素っ頓狂な声を上げた。

 突如として現れた乱入者に、娘も、剣客集団も、それぞれの驚きを見せた。


「ああ、剣士様、どうかお助け下さい」

「貴様! 邪魔立てする気か!」


 双方の声を意に介さず、巽はまず娘に耳打ちした。


「アンタ主人は、守ってくれる奴はいないのかい」

「あ、それは……二日前に、じ、銃で撃たれて」

「あー、そうかい」


 娘の主人は件の銃使いに殺されたのだろう。それで、次の主人を見つけるまでの間に、強者の遊戯の標的となってしまったのだ。


「ここはアタシが引き受けてやるから、とっとと消えな」

「!! ……嗚呼、有難うございます、有難うございます」


 娘は泣きながらに謝辞を繰り返した。


「礼を言ってる暇があんなら、とっとと遠くに行くんだね。今後、こんなことになんねぇように逃げ切っちまうか、そうでなけりゃ、もっとしたたかに生きな」


 娘はばね仕掛けの人形のように走りだし、大通りの向こうへと消えていった。

 それを見送った巽が正面に顔を戻すと、目と鼻の先に刀の切っ先があった。


「貴様、貴様、俺たちの邪魔をして、無事で済むと思っているのか」


 巽に刀を突きつけた男の顔は憤怒に赤く染まり、赤鬼の形相をしている。


「さてねぇ。けど、いいのかい? こんな大通りで六対一なんてさ。あんたらの名折れになっちまうんじゃないのかい。どうせなら、人気のない場所でやろうじゃないか」

「わざわざ、人気のない場所を死地に選ぶか。その言葉、後悔するなよ」


 娘を切り刻むことは見られようとも一向に構わないが、六対一の場面を見られるのはやはり少し困るようであった。提案は呑まれ、巽は人気のない裏道へと連れて行かれた。


「さて、ここでは万が一にも助けは入らぬ。我らを虚仮にしたことを、死ぬほど悔いて、死ぬがよい」


 言って、六人中の五人が抜刀して巽に詰め寄る。巽はそれを、糸目でじいっと見つめていた。


「なぁおい、アンタたち。そいつは、もう闘いは始まってるってことでいいんだよねえ」


 前口上が長いとばかりに巽は欠伸をする。先程刀を突きつけていた男が激高し刀を振り上げる。


「貴様、ふざけるのいい加減に」

「するのはアンタたちの方だろ」


 男が刀を振り下ろすより早く、より短い距離を通って巽の刀が男の心臓を貫いていた。貫かれた男は勿論、周りの人間も唖然と静止する。敵意と殺気を撒き散らしていた彼らよりも、飄々としてつかみどころのない巽の方が戦闘態勢に入っていたなどと、誰が予測できよう。


 巽はその隙を逃さず、心臓から刀を引き抜くと同時に刀に乗った血液を飛ばす。血しぶきは、直前の殺陣に釘付けになっていた二人の男の目に入り、彼らの世界を一瞬闇にした。そして彼らが目を開くころには、彼らの首にもパックリと致命傷の傷が開いているのである。巽の横薙ぎが、二人の首を切り裂いていた。


 瞬時に三人殺された事実に頭が追い付かないのであろう、四人目は実力の半分にも追いつかぬと見える中途半端な太刀筋で、巽を斬り伏すことは叶わず、心臓を一突きにされて沈んだ。


「威嚇、脅迫、強い言葉を並べたてやがって……そんなもんが、殺し合いの足しになるもんかね。不意打ちが通じる修羅なんて似非修羅だ。そもそも、こんなもん不意の内にも入らねえだろう。なぁ、アンタ方はどう思う」


 漆黒の刀から血を滴らせながら、巽は残りの二人に問う。

 一人は大柄の、下卑た笑いをした髭面の男。特別仕様と見える太い刀を構えている。

 一人は中肉中背の、神経質そうな男。先程からこの一人だけ抜刀していない。


「かっかっか、その通りよ。奴らは口だけよ。男なら、剣客なら、力のみを見せつけよと前々から思うておったわ」


 髭男は手にした大刀を近くの岩に打ち下ろす。岩は爆薬でも使ったかのように爆ぜ、破片が飛び散った。


「どうだどうだ。これが、力というものよ。細腕の貴様では真似できまい」


 岩の破片を刀でいなす巽に向かって、髭男が突進する。


「あーあ、確かにすんげえ力だねえ。ところでアンタ、なんで刀の切れ味がすげぇのか分かるかい?」

「かはは、問いにて撹乱を狙うか。わはは、知るか知るか、力こそ全てよ!」


 豪放に笑い、豪剣を振るう髭男。巽はその乱撃を躱しながら答えた。


「答えは――――」


 ただ一撃、首の半分にも満たぬほどではあるが、髭男の首に刀をめり込ませていた。


「答えは、力なんかなくても人を殺せるためだよ。アタシは別に、アンタと腕相撲をしにきたわけじゃない。こいつは、先に急所に刀を叩きこんだ方が勝ち、っていう遊戯さ」


 これで、六人いた剣客集団はあっという間に一人となってしまった。

 最初から今に至るまで、刀を収めたままの、中肉中背の神経質そうな男。彼が抜刀しなかったのは、一体どういうわけだったのか。


「さ、抜きなよ」


 巽の問いに、男はしばし無言だったが、ややあって、


「どうしてくれる」


 静かに刀を引き抜いた。


「この馬鹿どもに馬鹿騒ぎをさせておけば、それを気に入らぬ上位の化け物を釣れると思っていたのだ」

「おいおい、だから、アタシが釣れたじゃねぇかよ」

「お前は強い……だが、俺よりは弱い。俺が求めている化け物の域ではない」

「失礼しちゃうねぇ、全く」


 巽は切っ先の血しぶきを飛ばす、男は躱す。その先を読み、巽は手に隠し持った砂を投げつける、男はそれも躱す。目つぶしに注意を引きつけて、巽は背後に回り込もうとする、男の視線はその先にあった。


「ふぅ、やれやれ、ホントにやるねぇ」

「お前は、外道だな」

「修羅の道に、正道なんてあんのかい」

「確かに、な」


 男は薄く笑みを浮かべた。


「最強の修羅ってのは、どんなことをされようが負けない、勝っちまうもんだろう?」

「その通りだ……。では、お前は修羅道のここより先に進むことはできぬ」


 男は構え、巽に斬りかかった。他の五人とは比べ物にならない速さと鋭さを持った一撃に、巽は吹き飛ばされた。しかし男は、手ごたえに違和感を持った。肉を斬った感触がなかったのだ。


「今のを、防ぐとはな。まさか、のか」

「ふふ、あはは、あっはははは」


 笑い声と共に巽は立ち上がり、黒づくめの衣装にはかなり目立つ砂ぼこりを払っていた。


「そうだよ、そうだよ。アタシは見ての通り非力だからね、力がねえってことは、筋力がねえってことで、速さにだって限界がある。だからアタシは、のさ。動くものを目で捉える力、目で捉えたものを即座に頭で理解する力を、ね」

「成る程。凄まじい勝利への執念は認めよう。底辺とはいえ、この島の剣客五人が、基本的な力で劣るお前に敗北したという事実、得心がいった」


 再び男は構えを取る。


「だが、見えていればこそ、分かったはずだ。お前と俺の、どうしようもない力の差が」

「ふふ、そうかもねぇ。けど、力の差で勝負が決まるんなら、勝負なんて端から要らねえだろう。勝負ってのは、その差を埋めるところに醍醐味があるのさ」


 ここで、巽は刀を鞘に納めた。鞘から柄まで黒塗りの刀を、居合抜きの形に構える。


「居合――――背水の陣のつもりか? そんなことでどうにかなるとでも思ったのか」

「御託はいいから、かかってきな」


 男はもう言葉を発さず、先ほどよりも鋭い全力の一撃を見舞うために地を駆けた。

 眼を鍛えに鍛えた巽ですら、見失いそうになる速さ。ギリギリ見えるくらいということは、巽の身体では到底追いつけない速さである。その神速に近い身のこなし、刀の軌道が巽を捉え、瞬間、


 ――――死が確定した。

 

 男の、巽の首を切り落とさんとする一撃は勢いを失い、あらぬ方向を通過する。

 突進力は失われ、身体は力なくその場に崩れ落ちる。

 巽は刀に手をかけたまま、抜刀せぬままに固まっていた。

 黒塗りの刀の柄の先から、かすかに煙が立ち上っていた。

 倒れ伏す男の額には、朱く、穴が開いていた――――。


「流石のアンタでも、刀を抜かない状態から、予測できなかったみたいだねえ。アンタも、本当の最強じゃあなかったみたいだ」


 刀の柄は、仕込み銃になっていた。その仕掛けが分かりづらいように、黒で塗り固めてあったのである。仕掛けを起動する釦は、正面の相手から死角になる鞘を持つ手で押せるようになっていた。


 この、幾重にも計算された仕込み銃の一撃を達人相手に成功させる秘訣は、巽の技量と眼の力である。いかな達人であろうと、全力の一撃を放った後に軌道を変更することはほぼ不可能であるから、そのぎりぎりを見極めて放つことができれば、銃撃はまず成功するのである。そして相手の方も、まさか納刀の状態から攻撃がこようとは、しかも、刀から銃弾が飛び出そうなどとは夢にも思っていないのである。


 これが、諸戸島を騒がせている連続豪傑銃殺事件の真相であった。この剣客、巽は、自分が普通に戦っても勝てぬ相手にはこの秘技を用いていたのである。


 巽の背後で、物音がした。

 振り返るとそこには、一人の剣客が青ざめて立っていた。


「おやおや、見られちまったねえ。アタシのとっておきを」

「ま、待て! よせ! 俺は何も見ておらぬ」

「いやいや、そうはいかねぇよ。どうせこっちは、この島の剣客を皆殺しにするまで止める気はないのさ。ちと順番が早まるだけさね。それに、まだまだ隠し玉はあるけれど、こいつはアタシの大のお気に入りだからねぇ」

「この島の剣客を皆殺し……だと。貴様、物狂いか。正気とは思えぬ」

「狂気とか正気とか、そんなんどーでもいいさ。けど、もしも『女』がこの島の強者様を皆殺しにしたらさぁ、最高に愉快だとは思わないかい?」


 今、巽の常時細められている糸目は、満月のように見開かれている。冷笑をよく浮かべる唇は、三日月のように開かれている。刀を持って、剣客の格好をしているから至らなかったが、確かによく見れば、巽の顔は女のものであった。巽の狂気に打たれた不運な剣客は、可哀想に、本来の実力を出し切れぬであろう。



 巽と名乗る彼女が、かつてどんな目に遭い、何を想って諸戸島の強者を皆殺しにせんと決意したのか、それは分からぬ。彼女の深い闇を表すような、濁った黒目の内側に沈んでしまって、それは彼女自身でさえ分かっていないのかもしれぬ。





(了)

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