第3話 幼馴染み


 クセの強そうな長い髪をボサボサにさせた女子高生だ。


 彼女の名前は形守夢香かたがみゆめか。将昇の同級生であり、幼馴染みでもある。


 モニターには夢香の顔が横向きに映し出されていた。周囲には薬瓶や包帯が陳列された棚や間仕切り用のカーテンと複数のベッドもあって――察するに彼女は医務室にいるらしく、ベッドで横になりながら通信していた。


 そんな彼女は胸元にクッションを抱いていた。デフォルメされた動物柄のクッションで、それを頭に敷いて将昇のことを見ている。端正な顔立ちではあるのだが、寝不足なのか、重たそうなまぶたを閉じまいと眉間に力が入っていて、どこか不機嫌そうに見える(いや事実、朝から幼馴染みに連絡をよこして小言を言うくらいには機嫌は悪いのだろう)。大人びた面貌が台無しに思えるが、これはこれで綺麗であった。むしろ多少怒っていたほうが彼女の気の強そうな表情が緩和されて、年相応のあどけなさが感じられた。


 夢香が医務室にいること自体は将昇にとってなんら不思議なことではなかった。彼女は身体的なところで少しばかり特殊な事情を抱えており、そのため体調も崩しやすいのだ。医務通学はこれまでも度々あって、夢香を語る際に“医務っ子”はほぼ同意義シノニムとして扱われるくらいに校内で浸透している。だからといって心配していないわけではないが気遣いの一つでも掛けようものなら、二、三の不服となって返ってくるのを知っているので、将昇は気にしないようにしている。


 睨みつけてくる夢香に将昇が辟易へきえきしながら。


 「まだ遅刻と決まったわけじゃないぞ?」

 「あと五分で間に合うって言うならそうでしょうね」


 そこで夢香は手で隠しながら大きな欠伸あくびをした。それから「まあ、無理でしょうけど」とすぐさま付け加える。


 「ずいぶんと眠そうだな」


 そんな夢香の様子に将昇が訊いてみた。

 が、すぐに『しまった』と後悔する。質問を耳にした途端、彼女の眼がキッと鋭くなった。


 「ほんとよ。あんたの妹のおかげでこっちは散々だわ」


 夢香は眼を伏せると、難儀そうに溜め息をついて。


 「普通に寝たらいいのに。あの子、するまで意地でも起きてるみたいだから……春休みの間なんてずっとこんな調子よ」


 なぜか鳴明めいのことで不平を漏らす夢香。


 「あー、なるほど。寝落ち、ね」


 なかなか巧いこと言ったもんだと、将昇が弱々しく笑ってみせる。が、夢香は迷惑そうに彼を睥睨へいげいしたままだ。


 「どうせあんたも夜更かし付き合ってたんでしょ。適当な屁理屈並べ立てて妹の世話を優先して。それで寝坊してるんじゃ意味ないでしょうが」


 「う……」


 将昇は小さく呻いて視線を泳がす。するとざわざわと木々の葉擦れの音が耳のなかに伝わってきた。実際に風が吹いているわけではなかったが、不思議と涼しいと感じられ、このまま空気のなかに溶けて逃げられたらと思った。


 しかし夢香の険のある言葉はまだ続く。


 「まったく……ほどほどにしなさいよ。そうやってあんたが甘やかすからあの子もだらしなくなるの。ナカヅこっちに戻ってくる前はこんな事、滅多になかったんだから」

 「別に甘やかしてるつもりじゃ――」

 「知ってるのよ。あの子を寮住まいにさせないように、あんたが学長に直談判したことくらい」

 「そ、それは……」


 鳴明が将昇と一緒に暮らすようになったのは春休みが始まってからのことだった。

 それまでは本土にある父方の実家に住んでいたが、ナカヅの高校に通うために一人でこちらにやって来たのだ(もっとも、実家からナカヅまでずっと、将昇の同伴ありきなのだが)。そのため将昇と直接に顔を合わせたのは久しく、およそ五年ぶりになる。


 それから夢香の言うとおり、将昇は鳴明が自宅通学できるよう学長に掛け合い、許可を得ていた。


 「仕方ないだろ。うちがいいって、あいつが言うんだから」

 「誰でも自宅通学できるみたいに言うんじゃない。あんたたちだけなんだから、そういうの。自分たちの立場、ちゃんと理解しなさいよね」

 「分かってるよ。当たり前だろ、そんなこと……」


 無意識に視線を遠くにやる将昇。


 本来、学生は学校が個々に所有する学生寮ないし学生マンションに住まうことを義務づけられている。それは遠方からはるばる赴く者はもちろん、島内に住居を構える者も例外ではない。


 それほどの原則があるにも拘わらず、いち学生である将昇が妹も含めてその枠から除外されるのは、ある特別な理由があるわけなのだが――。



 「はぁ……妹好きも度を超せばただの病気ね」


 眼許を擦り、さも興味がなさそうに夢香は最後にひと言を添えた。


 「このシスコン」

 「誰がシスコンだ」


 将昇が顔をしかめる。

 とはいえ、妹に何かあっては大変だと気が気でないのもまた事実である。


 鳴明に対して冷たい態度を取るのはよくあることだが、その根底には必ず“心配”が敷き詰められている。そのため将昇は彼女に何かと世話を焼きたくなるのだ。



 「まあ、形守かたがみに面倒を押し付けてんのは間違いないしな……いつも悪ぃな、迷惑かけて……」


 将昇が申し訳なさそうにそんなことを言う。


 だがそれを見た夢香は鬱陶しそうに「ふんっ」と鼻を鳴らした。眉間の皺も深くなり――彼の態度が気に食わなかったのは明白だった。


 「別にあんたたちに非があるわけじゃないでしょ。それにこれはあたしの問題でもあるんだし」


 クッションを抱く夢香の腕に力が込められる。


 「あたしたちはただ利用されただけなんだから。悪いのはあたしの両親とあんたのとこの母親でしょ。好き勝手にいじくって、道具みたいに扱って――だから


 「…………」


 不意に将昇の足が止まった。

 夢香に顔を合わせないまま、じっと足許を見下ろす。


 「あんたに謝られたってこっちは嬉しくなんかないのよ。ただ鳴明を甘やかさないよう、時間だけは守りなさいってこと。それから――」


 そこで夢香は短く言葉を切って、なぜか遠慮がちに。


 「それから……たまにはあたしとも付き合ってくれたら、いいんじゃない……かな?なんて……」

 「……違う」

 「え?」


 将昇の呟きに夢香はしばらく固まっていた。つたないながらも口にした誘いを断られてしまったと思い、呆然と彼を眺めて黙り込む。


 そんな夢香をそっちのけに、将昇は自分に言い聞かせるように否定する。


 「違う……あいつはじゃない……」

 「……はぁ。あんたねぇ」


 言葉の意味を理解して、夢香はホッとするのも束の間に。


 「まだそんなこと言ってるわけ?いい加減、現実を見なさいよ。あの子はあんたの大事な――」



 夢香の言葉はそこまでだった。

 突如、明滅する赤いランプと共にV-MAID携帯端末からアラート音が鳴り出したのだ。異変を検知した端末機器に彼女の声が途切れる。


 「……どこだ?」


 将昇が夢香との会話を断ち切って手元のV-MAIDを操作していく。


 液晶内に表示されたコントロールパネルに彼がいくらかチェックを入れると、夢香を映す空中モニターとはべつに小振りのモニターがその脇に複数展開された。


 監視映像のようなものらしく、街なかの一部を切り取った映像が素早いピッチで切り替わりながら流されている。

 折り重なったモニターが上に下にと目まぐるしく交錯するなか、擬似映像ステラムで展開された円形型のレーダーでは何かの所在を示す反応があった。



 「――第二層七区、疾風はやち通り……5km先か、近いな」


 将昇の操作によってモニターの数が絞られていき――最後にどこかの路地の映像だけが残った。


 「ちょ、ちょっと将昇っ!」


 しばらく将昇の様子を眺めていた夢香が口を開いた。


 「まさかあんた、今から行くつもりなの?」

 「ん?ああ、そうだけど」

 「学校どうするのよ。教官に怒られてもしらないわよ」

 「どうせ急いだって遅刻するんだ。だったら間に合わなかった口実を作りゃあいい」


 呑気そうにそんなことを言って、将昇は駆け足になる。


 「それにこの一年でどれだけ成長したか、実戦で確かめたいんだよ」

 「放っといたってが何とかするっていうのに……」


 夢香が嫌そうな顔でぼやいた。

 それから諦めたように嘆息すると、上体を起こしてV-MAIDで作業を始める。


 「形守かたがみ……?」


 将昇が怪訝そうに声を掛けると、夢香がぼんやりとした表情で応える。


 「どうせ止めたって言うことなんか聞かないでしょ。仕方ないからナビしてあげる」


 どうでもよさそうに淡々と。


 「あんたひとりじゃ頼りなさすぎて心配だもの」

 「そりゃ助かる!ありがとな、形守」


 将昇が感謝するや、夢香は身体をビクッとさせた。


 「うっさい!お礼なんていいからさっさと目的地に行けっ!」


 髪を逆立てて唸る夢香。

 相変わらず気難しいたちだなと内心抱きつつ――将昇はモニターを全て解除すると、通路横にあった下り専用のスロープに向かって柵を跳び越えた。

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メタバース・バグハント おこげ @o_koge

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