第2話 ムスヒ島


◆ ◆ ◆


 鳴明めいが眠りについたのを確認して、将昇しょうは学校までの道のりを急いでいた。


 周辺は奇妙な風体のビルやマンションが乱立する住宅街だ。


 まるで積み木で遊ぶように個々の建物が上に上にと重なり合っている。外壁のあちこちから階段や連絡通路が無秩序に伸びており、空中に幾層もの生活空間を築き上げている。

 建物や通路はそのほぼすべての壁面から草木を生やしており、見方によれば人工物を呑み込んだ広大な森のようでもある。


 また、街にはいくつもの擬似映像ステラムが至るところに展開されている。赤に青に黄色にと、鮮やかな視覚情報が音声や効果音に乗せて街を染めている。



 将昇たちが暮らしている街、【ナガツ】は複数の群島が構成する広大な浮体式人工島メガフロートだ。東アジア近海に位置するそこは本土である【ヒノマル】が管轄しており、住居と商業・教育施設が主に集まった環境特区となっている。


 周囲には【ナガツ】の他に二基の人工島がある。

 一般的な次力製品を開発・製造する企業や工場、それから島外との交易・渡航手段である港に海上鉄道が中心となった――工業特区【ヤマト】。

 未だ謎の多い次力ヴィータを研究し、その性質を解明すると共に新たな価値創造と社会発展を目指すことを目的とした――研究特区【シキシマ】。


 これら三基の人工浮島は総じてムスヒ島と呼ばれている。

 総人口およそ183万人。上空に広がるエリア層への往来は各所に設置されたエレベーターが主な移動手段である。交通機関として水上バスとモノレールが走っているが、自家用車の所有は専用の交通経路を利用する皇族と一部の者にしか認められていない。


 ムスヒ島はを囲うように、ひいては守るようにして、複雑に入り組んだ連絡橋によって結ばれている。


 それは三基のどこにいようとも見上げれば必ず確認することができる。

 塔のような超高層のビル群すらも遥かに凌ぐ。分厚い雲を突き抜け、太い幹によって支えられた、巨大な樹木だ。


 【天豆智アマツチ】と称されるそれは次空間ネストから次力ヴィータを汲み上げ、将昇たちの世界に次力技術をもたらした神樹である。海外ではその神秘性と人々が新たな生活基盤を築くきっかけとなった事を讃えて“生命の樹王”とも呼ばれている。

 情報機器に植物を意識したものが多いのは天豆智を神聖視する、植物信仰が世界規模で根付いているためだ。


 天豆智アマツチの幹には特殊加工を施した極薄の金属合板が不規則に接合されている。

 貼り絵みたく金属をぺたぺたと貼り付ける様は一見罰当たりではあるが、これは神樹を現実世界に繋ぎ止めるのに必要な工作の一つなのだ。


 本来、天豆智は次力ヴィータ同様に一般概念――現実世界の法則性と異なる高次の存在だ。


 遡ること二百年、人類と次力との歴史は生物学者のヴァート=ヴィルブレットが偶然に発見した新種の素粒子から始まる。

 高密度のエネルギー源を保有する素粒子はのちに次気ヴィットと名付けられ、その解明と活用のために多くの研究機関が起ち上げられた。四半世紀に渡る研究はやがて実を結び、次力技術として確立していく。そして、その過程で天豆智アマツチの存在も確認されたのだ。


 研究成果から、神樹は四次元のさらに先の世界――次空間ネスト現実世界こちらとの境界をまたぐかたちで両方の世界を繋いでいることが判明した。また双方の性質を併せ持ちながらも、本質としては実体がないということも――。


 そこで研究者たちはなんとかして神樹をこちらの世界に繋ぎ止めることはできないかを考えた。

 二つの世界の橋渡しの立場にある神樹からその均衡を奪い、領域をこちら側に傾けさせる――つまり人為的な方法で“状態”から“物質”へと変化させられないかと模索したのだ。


 未知の原理を解明することはまさに空を掴むようなもので、当時の研究者たちはそこからさらに気の遠くなるような年月を研究と実験に費やす事となった。

 それでも彼らは諦めなかった。それは歴史が証明している。失敗という山ほどの瓦礫がれきを築こうとも試行錯誤を重ねていき――やがてついに、その目論みは成功した。巨大な樹木は現実世界に顕現し、同時に次気ヴィットの生成量も飛躍的に増加した。初期には天豆智の近くに立地する、ヒノマルを始めとした一部地域でしか供給できなかった次力が、世界各国で利用できるようになったのにはこういった経緯がある。


 天豆智アマツチ擬似映像ステラムと同じだ。眼には見えるが、そこにはない。実体がなく、質量もない。


 ゆえに影が存在しない。


 次力性質を付与している合金板によって幹は部分的な物質化に成功した。だが上空に向かうにつれてその性質は失われ、遠方の景色を透過している。

 島を凌ぐほどの、規格外なまでの大きな樹木がそばにあるにも拘わらず、春の陽射しが街に届くのはそれが理由だ。




 将昇は擬似映像ステラムで造られた桜の並木通路にさしかかる。


 当然ながら本物の桜はそこには一本もない。直接触れようと腕を伸ばしたところで、何の手応えも得られずに映像を通り抜けてしまうだけだ。


 決して枯れることのない桜並木。

 その桜花が舞い散るなかで、不意に将昇のV-MAID携帯端末から着信音が鳴りだした。


 将昇はポケットにあったV-MAIDを取り出し、手元に眼をやった。液晶画面に表示された発信元を確認するや、なぜだかうんざりとした表情を浮かべる。

 無視してしまおうかとわずかに逡巡したものの、後になって小言を聞くことになるよりはマシかと考え改め、将昇は渋々ながら通信に応じることにした。


 歩みを緩めた彼は画面を操作して空中に通信モニターを展開させる。



 「おはよう、寝ぼすけさん。新学期早々に遅刻だなんてずいぶんなご身分だこと。さぞ楽しい夢でも見てたんでしょうね」


 通信が繋がると同時に、そんな嫌味が擬似映像ステラムモニターにいる女の子から飛んできた。

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