第1話 壊れかけの眠り姫


◆ ◆ ◆


 “生”と“死”は常に隣り合わせにある。

 両者は互いに対照的であり、また対称的でもある。

 一見、正反対の価値を持つ二つも、俯瞰ふかんしてみると元は同じものから枝分かれしただけの同質性のものだと分かる。二元論や存在論といった哲学用語が浮かぶかもしれない。


 ここでは便宜上、“同質異義”とでも呼ぶことにする――。


 人間を例にすると分かりやすい。出身地、性別、肌の色、体格、貧富の差に大人と子ども……そういった形質的特徴や法律上の追随義務、さらには経済的事情によって、人は高慢にも各々の立場を区分しているが、パッケージに包んでラベルを貼ってしまえば、それらはすべて人類だ。


 人格だとか性格だとか社会コミュニティだとか、性質や思想の観点からは天を仰ぐほどの違いがあるというのに、分類上では実はまったく同じ“ヒト”なのである。


 その事を踏まえてみれば、“生”と“死”はそれ自体の意味合いが真逆と言うべきほどに異なる定義であるものの、しかし同じものとして一括りにできる抽象概念だと言えるだろう。


 それを言葉にするならば、“人生”やら“生命”やら“生き様”といったところか。


 この地に“生”を受ける――響きとしては幸福この上ない喜びと聞こえなくはないが、ひいては命ある限り、“死”の恐怖に怯えなくてはならないわけだ。


 “生”と“死”は常に隣り合わせにある。


 言い換えれば“生”と“死”は均衡している。平等である。分け隔てられない。切り捨てられない。逃げられない――。



 だから時間が存在する。


 いつの時代も時間とは有限だ。たとえ天地がひっくり返ることがあったとしても、そのルールは永久不変の絶対真理である。


 どうせ命なんていつかは散るものだ。どれほど美しいバラ色の人生を送ろうとも、やがて精気が尽きて終わりを迎える。


 神様の意思だとか。

 宇宙の真理だとか。

 自然の摂理だとか。


 どうあがいたってそこにあるルールのなかで生きている限り、ちっぽけな存在の人間は逆らえない。

 だからこそ人は皆、人生のなかで必然的に何かに夢中になるのだ。時間に手を引かれ、緩慢に朽ちていくだけの命に価値を築きたくて。


 そして、それが最も顕著に現れるのが青春とも呼ばれる学生時代である。


 未来のなかに夢や希望を重ねて胸をふくらませる。友人を作って、時に恋に酔ったりして、笑って泣いて怒って精一杯に今を楽しむ。あるいは惰性や非行によって現実から眼を背けたり、若者特有の孤独感がゆえに、過去を懐かしんでは愁いを帯びることもあるかもしれない。


 それはどれが正しいとも間違っているとも言えない。

 人生とは、それぞれが手にした似て非なるものだからだ。同質意義、個々に異なるなら他人がとやかく口出しするべきでない。自分の人生は自分で決める。



 本人が正しいと思うならば、それが正解なのだ――。



 そんな回りくどく、かつ言い訳がましい信条のもと、夕西将昇あかにししょうは一年目の修学期間を経て、高校生になって最初の春休みを悠々自適に過ごしてきた。


 別段、ひねているわけではない。どちらかと言えば……いや、どちらとも言えなく将昇はどこにでもいる学生だろう。

 周りに指図されたくない、好き勝手にやりたい、そう思うのは選択肢に溢れた人生の岐路に立つ若者にとっては至極当たり前のことだ。


 そんなわけで、これは仕方がないことだった。


 一年間の集大成である戦術実技スキルテスト理論試験ノードチェックをぎりぎりのところでなんとか合格パスして。

 活力がみなぎり弾けるような、異常なまでの解放感に包まれて。

 昼夜逆転するのもいとわず、毎日のように遊び呆けて。


 結果、今日が始業式だというのを完全に失念していたとしても、それは仕方がないことだった。



 窓の外はミルクを落としたように明るい。

 春のやわらかな陽射しが寝室のベッドで眠る将昇の頬をうっすらと染めている。


 円筒住宅ドームハウスの三階に位置する十六畳ほどの一室である。部屋のなかは例えるなら切り分けたバウムクーヘンのような空間だ。天井は高く、凸状に外側へと大きく膨らんだ奥壁は一面が窓という実に開放的な造りだ。


 部屋にはさほど物がない。

 彼とベッドを除けば、部屋にあるのはエアコンとクローゼット、壁打ちフックにぶら下がる制服とその下に立て掛けられた脚折れテーブルに学生鞄。それから向かいの壁脇には教科書やノートが乱雑する学習机やら大きめの荷物棚。あとは中央に敷かれたカーペットと、あちこちに点在する観葉植物に見えなくもない奇妙なオブジェくらいだ。


 男子高校生の自室としては持て余す広さなのかもしれないが、それにしたってあまりにも殺風景――というよりも何だか違和感がある。


 部屋にはリモコンやキーボードがいくつかあるのだが、エアコン以外に用途がある機器は今のところ見当たらない。


 いや、「見当たらない」と表現するのは少しばかり説明が足りないかもしれない。より噛み砕くならば、「そこにあるが見えていない」が正しいだろう。



 現在、人々の暮らしは主要動力源である高次元エネルギー、【次力ヴィータ】によって支えられている。


 これによりあらゆる物質的なデータ情報は量子化が行われ、離散的な数値に変換して保存することが可能となった。俗に言うデジタル化である。

 また数字の羅列でしかないデジタル情報は人が知覚・認識できるよう画像や音声などに加工処理レンダリングし、データ情報の貯蔵庫でもある次空間ネストから次界ネットワークを経由することで、物理的な距離問題の一切を排除し、その場にいながら世界中の様々な情報を取得・共有することができるのだ。


 次力技術はその有用性と応用性により飛躍的な進歩を遂げている。各種インフラを担い、多岐に渡る分野で利用・転用され、人々の生活はますます便利になっている。


 おかげで情報機器はそれ自体に物理的な構造をあまり必要としなくなった。とことん小型化・軽量化・簡略化されていき、最近ではテレビやPCなどはゼンマイやサボテンのような植物化が主流となっている。

 

 機器はその多くが花やつたといった植物系統を模して製造されている。景観を意識した作りなのだ。


 このデザイン性は開発当初から考案されていたようで(初期の大型コンピュータは果樹に酷似したものが多かった)、昨今では微塵の違和感もなくすっかり定着してしまっている。

 人々のあいだでは驚くほどに馴染みすぎていて、むしろ植物これ以外の外見のものが販売されたとしても、誰にも相手にしてもらえないだろう。


 つまり、部屋にある観葉植物っぽい置き物はすべてデジタル機器なのだ。

 最先端のテクノロジーの塊であるくせして、見た目はたいへんエコロジーである。


 だが、そんな野草もどをどうやって情報媒体として役立たせるかというと――簡単だ、機器に軽く触れてやればいい。

 触れることで機器が必要な情報を読み込み、(場合によっては利用者の個人情報を照合して)、起動する。あとは周辺状況のデータを取得して、空気中の光と次気ヴィットと呼ばれる次力で作られた素粒子を相互干渉させることで空間上に立体的な映像を展開することができるというわけだ。


 現に部屋では、ヘッドボードから臙脂色えんじいろの茎を伸ばす月下美人の頭頂で、針時計が展開されている。時計は熟睡中の将昇の頭上で静かに時間を刻んでいる。



 昨日は空が白んできた頃になってようやく床についた。昨日というより、もはや今朝――というかついさっきである。


 寝不足ならではの倦怠感とまぶたの重みの前では“一瞬”があれば充分だった。

 布団を被った途端、浮遊するような感覚を指先まで浴びて思考は完全に停止し――将昇はあっさりと惰眠の旅へといざなわれていた。


 夜更かしが定着してしまった彼には、快適な起床と共に現実と向き合うのはまだまだ難しい。


 ならば、仕方がない。


 睡眠は誰にとっても不可欠なものだ。それを取り上げてしまうのはあまりにも酷というもの。

 このまま布団にくるまって、静謐せいひつな早朝を微睡みのなかで過ごすのも悪くは――。




 「どーんっ☆」



 だが突如、そんなバカみたいに能天気で超元気な声と一緒に、強烈な一撃が将昇の腹の上に決まる。


 扉を勢いよく開け放って部屋に飛び込んできた妹の鳴明めいが、そのまま兄を目指してダイブしたのだ。


 もちろん、安らかな眠りは腹部の鈍い痛みによって強制的に叩き切られる。


 「ぎぁーーっ!!」


 将昇の絶叫が天井に突き刺さった。


 皮をひん剥かれたかえるみたいに藻掻もがく兄の様子に、何がおかしいのか、鳴明はキャッキャッと楽しそうに手足をぱたぱたさせる。


 ちなみに彼女、このテンションにしてよわいは十五歳である。明後日には将昇と同じ高校にて入学式を迎える、ぴかぴかの一年生だ。


 妹の過度なスキンシップ(のしかかり)が容赦なく将昇を襲う。



 「死ぬ……死ぬ……」


 消え入りそうな声で呻く将昇をよそに、伸びやかにはしゃぐ鳴明。


 やがてひとしきり満足すると、彼女は這うようにしてその場で身体の向きを変えた。もぞもぞ動いて将昇の腕と胴体のわずかな隙間に仔猫みたいにぴったりと収まる。


 まるで添い寝の格好だ。


 それから彼の寝間着Tシャツをきゅっと掴み。


 「いい匂い……」


 などと、わりかし危ない発言をしてから顔をうずめた。



 …………すぅすぅ。


 おまけに本当に寝息まで立て始めた。


 おとぎ話の眠り姫のようなかわいい寝顔である。


 将昇は気持ちよさそうに寝ている妹を息を荒げながら見つめていた。


 「はぁはぁ……」

 「すやすや……」


 「はぁはぁはぁ……」

 「むにゃむにゃ……」


 将昇が呼吸するたび、鳴明の身体が小さく上下する。

 熱を帯びた吐息が彼女の肌を撫で、真っ直ぐな短めの髪を揺らす。


 それから彼女のほうに手を伸ばして。



 「――おりゃっ!」



 掴んだ布団とまとめて妹を引っぺがした。


 くるくると宙を舞って、鳴明はカーペットの上に尻餅をつく。


 「きゃん!?いったぁい……なにするの、にぃ!」


 鳴明が布団を抱き寄せながら頬を膨らませた。

 鮮やかな紫紺しこんの眼が不満げに将昇を捉えている。


 「せっかくかわいい妹がかいがいしく起こしに来てあげたのに!横暴だよ!虐待だよ!」

 「うっせぇ。どこが“かいがいしく”だ。こっちは死ぬかと思ったんだぞ」


 将昇は迷惑な表情を向けて、抗議する妹に枕を投げつけてやる。


 テキパキとはまったく遠いものだった。

 部屋に入ったまでは良しとしても、起こしに来た兄を道具に遊んで騒いで、挙げ句に寝ようとしてと、やることはめちゃくちゃだ。


 「えっ、死ぬほど嬉しかった?」

 「言ってねーよ」

 「もぅ。にぃは照れ屋さんなんだから。素直に喜べばいいのに」

 「おいっ」

 「だけどいくら嬉しかったからって昇天しちゃダメだよ。もしも永眠なんかしちゃったら一緒にお話できなくなるもん」

 「ならせめてちゃんと会話してくれ」


 「でもまあ、にぃはアレだもんね。大好きな妹との何気ないやり取りにすら恍惚こうこつとする、困った性癖があるから」


 「お前は俺を何だと思ってるんだ」


 「うんうん、仕方ないよね……」


 溜め息を吐き、諦念混じりの表情を貼り付ける鳴明。

 将昇はこれ以上話を引っ張っても無駄だと感じ、話題を切り替える。


 「……まあ、いいや。それでお前、結局何しに来たんだよ。いつも起こしになんか来ねぇだろ」

 「あっ。そうだった」


 そう言って鳴明は何でもなかった様子で視線を将昇に戻すと。


 「おめでとう、にぃ。今日から二年生だね」

 「……は?」


 鳴明の言葉が頭のなかをくるりと一周する。

 日付と学年を噛み合わせてゆっくりと思考を巡らせ。


 「……始業式っ!?」


 将昇はその事実を思い出して眼を見開く。


 「今、何時だ!?」

 「えっとねぇ……」


 鳴明が答える前に将昇は振り向き、部屋の針時計を確認した。


 八時十二分――。


 長針はてっぺんをとうの昔に越していた。


 「なんで早く言わないんだ!」


 将昇が妹に向き直って叫んだ。


 「だって言ったらにぃ、起きちゃうでしょ」

 「お前は起こしに来たんだろうが!」

 「ふっふっふー。起こしに来たが起こすとは言ってない。寂しがり屋な妹のちょっとしたわがままなのだよ☆」

 「意味分からんわ!!」


 言って、慌てて支度を始める将昇に鳴明がむっとする。


 「愛しい妹をひとり残して出て行くなんて薄情だと思わないの?こんなに広いと迷子になっちゃうよ」

 「ウロチョロしなきゃいいだけだ。つーか、寮に住めば良かったろ。向こうにはもう新入生だって集まってるだろうし、わざわざこっちに戻ってくる必要なんかない」


 将昇は淡白に答えながら赤く縁取りされた黒のブレザーに袖を通す。


 「にぃに会いたかったのだよ」

 「俺はそうでもなかったがな」


 「むっ!で、でも――」


 だが鳴明はその先をすぐには続けられなかった。

 言葉を切った彼女は「あぅ」と間の抜けた声を漏らして頭に手を当てた。さっきまでの元気は嘘のように消え、ぼんやりした表情で身体をふらふらとさせる。



 どうやららしい。


 「おいっ!」


 将昇は機敏に反応して床に崩れ落ちそうになる鳴明を、すんでのところで抱きとめた。


 「ったく、気をつけろよな。怪我したって面倒見てやんねぇぞ」


 心配しながらも毒づく将昇。


 額に汗を浮かべる彼の腕のなかで、鳴明は「でも……でも……」と弱々しく少しかすれた声で、なおも口にする。


 「でも……もし、悪い奴がやって来たら……どうするの?」


 願うように。縋るように、自分の顔を覗き込む兄に問いかけた。


 常に隣り合わせにあるのだ。


 「にぃがいなきゃ、やだよ……」


 悪魔を信じて眠るのを恐れる小さな子どもみたいに、まつげが震えている。



 ――瞳にノイズが走りだした。



 「大丈夫だ!」


 将昇が断言した。


 「そんな心配しなくたって平気だ。ここにはなんもないが、セキュリティだけはバカみたいに充実してるからな」


 言って、将昇は鳴明の髪を優しく撫でつける。


 「学校だってどうせ昼までだ。すぐ帰ってくる」

 「にぃ……」


 絞り出したような鳴明の声には不安の色が混ざっていた。


 きれいだった紫紺の瞳にはいくつもの細い線がちらついていて、まるでナイフで無惨に斬りつけられているようだ。


 「俺のベッドを貸してやる。だからこのままおとなしく寝てろ」


 鳴明を抱きあげ立ち上がると、彼女の腕がだらりと垂れた。

 さっきまでの無邪気な少女とはまるで別人で、もうほとんど全身に力が入らない様子だった。


 「それにお前みたいなオンボロ、今さら誰も欲しがらねぇだろうしな」


 憎まれ口をたたいて鳴明をベッドに降ろす。それから将昇はしゃがんで、彼女の頬をつねった。邪気のない、優しい仕草だった。


 その頃にはノイズもずいぶんと弱まっていた。紫紺の擬似映像ステラムはほとんど解けていて、それに覆われていた金属の義眼が奥から覗いていた。


 「まあ、万が一にそんな奴がいたとしても――」


 眼を細めて鳴明に告げる。

 どこか寂しそうに。


 「俺が必ず守ってやる」


 つねるのをやめて頬に手のひらを添えて、彼は「必ず」と繰り返した。


 壊れた人形のように鳴明はされるがまま、兄のぬくもりに甘える。


 朝陽と静寂に包まれて、少女はゆっくりとまぶたを閉じた。

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