どうも、おこげです。
言葉遣いというのは癖と同じで、脳やら肉体やらが成長する幼少期のうちに、概ね習慣化してしまうものだと思います。
もちろんその年の流行ワードとか、CMのフレーズとか、大きくなってから身につくものも🙆
ただそれは全体の一部分に過ぎないもので、例えばワーキングメモリのように一定期間のサイクルで抜け落ちる(ブームが去る)ものが多いんじゃないかと思います😨
今回言うところの言葉遣いは、本人も自覚していないほどに日常化したものです。口調はそれぞれ個性が出ますが、日常会話をする際にいちいち脳内で文章を構成してから読み上げる、なんてロジカルな思考をする人はいないと思います😓もっとこう、反射的な感じじゃないかと。肩の力を抜いて、リラックスした状態で、ありのままの剥き出しの心の言葉(ツッコミとか言い得て妙って気がします)。
たとえ知識として持っていても、同じ意味合いなら使い慣れた表現で口走っちゃいますよね。「拝見します」よりも「見させてもらいます」とか「窺います」よりも「行かせてもらいます」とか。目上の人だから気をつけなきゃと思いつつ、普段から使用してないとついうっかりなんて😨
まあ、ビジネスマナーを語りたいわけじゃないので話を割愛しますが。
ここで話したいのは最近、おこげが意識して使わないように心掛けている言葉です。
🌀【~してあげる】です
「あー、私も使ってる」という方は多いと思います。だいたいの人はこの言葉を深く意識せず使用してるとは思いますが、いざ注視するとどんな印象を持ちますか?「遊んであげる」「買ってあげる」「手伝ってあげる」……ほとんどがタイトルのどちらかに当てはまるかと思います。
「あげる」という言葉の本来の意味に関しては説明するのが面倒なので個々に調べて頂くとして😒問題はどうして無意識にこの表現を使ってしまう人が多いのかです。
結論から言えば、最初に述べた癖・習慣なんですが、それだってまずは学ぶ見本が必要なわけです――つまり親を始めとした親族によるものです😼面白いことにこの【~してあげる】は全国各地で耳にします。要はそれだけ浸透化しているわけです。なぜ?深掘りすれば日本という国の社会背景が浮き彫りになってきそうですが……😖それは今は置いといて。
おこげが注目したいのはこれが主に家庭環境によって育まれる言葉遣いだということです。超広義的に解釈すれば遺伝といって相違ないかもしれません(なにそれ恐い)。
本人は厚意からの発言でも、相手によってはそれが蔑視だと受け取られかねないんですね😲
最近、子どもと接する機会があってふと感じたわけです。気付かないところで自分の行動・言動が周囲に(特に子どもに)悪影響を及ぼしていないかなと。単なる自意識過剰かもしれませんが(人って案外、他人に無関心ですしね)。それでもある意味で自分を見つめ直す良いきっかけになるんじゃないかなと思った次第です😅
皆さんも正す正さないはともかく、自分は何かないかなと考えてみてはどうでしょうか。意外とこういう意識のアプローチから作品のネタとか台詞が閃くかも(ないか)。