100
そして日が落ちて暗くなった頃、俺はたどり着いた。最上階、屋上。そう、ここだ。
俺は今、上空900メートルにいる。
冒頭で説明した場所。
視界を遮るものは何もない。自由な空間だ。足元には、俺の足の何倍もあるような太さの丈夫な鉄骨。俺が立っているのは建物の端、空を突くように斜め上に飛び出る尖ったシンボル。施設はほとんど透明だから、遠くから見たら俺は本当に宙に浮いているように見えるのだろう。正確には、宙に浮いた針に立つように見える、か。足元の鉄骨は叩いてもびくともしない。
「いよいよだな」
再び俺は呟く。
人が集まり始めた。透明な柵を越えてこちらに来るときは何人かが止めに来た。馬鹿なことはやめなさいだの、まだ遅くないだの。やがてビルの管理人が来て、次いで野次馬がどっと増えた。だからダメなんだと俺は思う。
目に入る情報で動き、興味から集まる。俺の作戦に見事に引っ掛かり、情報に突き動かされる大衆。嫌な方の結末を想像しては周囲に噂し、さらに多くの人間が操られる。この社会を支配するのは情報で、それを集めたデータを提示されるとまた多くの人間が一喜一憂する。こりゃ忙しい。V社にとっては便利だが。
透けた床から施設の内部を見ると、何もない空間からスーツを着た男たちが慌てて出てきた。いや、何もない空間ではない。そこには確実に部屋が存在する。施設はどこをとっても透明だから気付かないのだが、その透明な壁から部屋にいた男たちが外へ出てきたのだ。透明といっても二種類ある。
一つは、その物質がクリアで、反対側が透過して見えるということ。もう一つは、その物質は全面液晶でできていて透明ではないが、反対側に見えるであろう景色を液晶に映し出すことであたかも透過しているように見えるということ。ザ・スカイの一部の壁・床面は後者で、実際は隠し部屋があるのだった。そして、その隠し部屋こそがV社のオフィスであり研究所であり、俺の誕生した場所なのだった。
俺の予想は見事的中した。なるほど、とてもずる賢いじゃないか。多くの人間にとって灯台下暗しというわけだな。都合が良くてこれまた俺にはありがたかった。話をしたい者が向こうからすぐに駆け付けてくれる。
「君か」
ぼーっと透けて見える施設内を見渡して人々の動きを目で追っていると、声が聞こえた。そこには投影モニターで見た男がいた。V社の社長だった。さすがだ、到着が早い。社長自ら動くとは、どれほど危機的状況かわかって面白いじゃないか。
「やめてくれ、こっちに来て私たちと話し合おう」
そんな交渉が響くとでも思っているのか。まったく、笑わせやがる。
遠い空からメディアのFORMが飛んできているのが見えた。いいぞ、早く来い。このビッグニュースを逃すな。
「私たちが悪かった」
男は謝った。予想より早かった。周りに客がいるにも関わらず、だったからだ。もう会社の信用を取り戻すことは難しいと諦めたのか。
俺は一つ訊いた。
「俺はなんだ」
群衆が静まり返る。みんな、興味津々である。
「普通の人と少し違う」
社長の答えは曖昧だった。まだ抵抗するのか。
「はっきり言え、この場で」
俺は強く睨みつけた。その眼を見て人々がざわついた。
「私たちの子だ」
「もっと明確に言え」
回りくどい言い方ばかりするな。諦めろ。
「私たちが頑張って育てた・・・」
「わからない!」
「人工人間だ!」
やっぱりな。
群衆がうるさくなった。みんな、残念がる気持ちと、もっと聞きたいという気持ちが入り混じった表情を浮かべている。
つじつまが合った。俺は誕生して2年か、それとも3年か。俺は逃げ出して目を盗んで生きてきたんだ。だから世界で唯一、パーソナルナンバーを付与されていなかった。あの断片的な記憶は勝手に刷り込まれたのだろう。V社は膨大なデータから忠実な奴隷のような人間を作ろうとしたのだ。しかし、まさか逆にデータとは違う、群衆とは違う考えを持つ者が誕生してしまったとはな。俺は無意識にデータ化されない行動をとって生き延びてきたわけか。Vよ、自分の身を滅ぼすものを作り出してしまったな。
足先から地上を見ると、米粒ほどの人間が集まってこちらに注目していた。中にはメディアも警察もいる。町の中心にある巨大な投影モニターには、俺の映像がリアルタイムで流れているのが確認できる。
俺は大きく深呼吸した。
この情報社会に終止符を。
この管理社会をゼロに。
俺は社長の方に向き直った。
「お前は神にはなれないよ」
そう言うと、全世界が注目する中、俺は情報や金がキラキラと錯綜した闇夜の世界に飛びこんだ。
(完)
ZERO ボーン @tyler019
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