第一幕「鞄の中に秘めたアガット」結

「そりゃ方法はいろいろとあるけどね。いま履いてる靴のことかい」

 ファゴさんは身を乗り出すようにしてテーブル越しにニトの足元を覗いた。

 ぼくも改めてニトの靴を見る。そういえばまじまじと見た記憶もなかったが、ニトの体格には不釣り合いに大きなブーツだった。爪先は毛羽立ち、皺も深い。随分と使い込まれたものだ。

「たしかに大きいね」

「今は布を詰めて調整してるんですけど……」

「ちょいと見てみようか。こっちにおいで」

 ファゴさんは立ち上がって店舗へ続く扉を開けた。ニトと一緒にぼくも付いていくことにする。

 ファゴさんが向かったのはこことは逆側の扉だった。そこは小さな部屋で、まさに職人の工房と表現するのがぴったりだった。使い込まれて色を深めた大きな机がふたつある。ひとつは壁際に。ひとつは部屋の中央に。工具や革、作りかけの靴や木製の足形、金槌やノミなど、靴作りの道具が並んでいる。

 ファゴさんは部屋の隅から座面の高い特徴的な形の椅子を引っ張ってきて座面を叩いた。

「ほら、ここにお座り」

 促されてニトがよじ登るように座ると、ファゴさんは今度は足置き台を引っ張り出して、両足を載せるように言った。ニトのブーツの靴紐をほどくと、手慣れた手つきで脱がしてしまう。ニトの小さな素足がちょこんと横に並ぶと、ブーツの大きさがより際立った。

 ファゴさんは作業机から丸メガネを取り出して鷲鼻に引っ掛けた。ニトのブーツを持つと、目を細めながら丹念に眺め始める。

「エルフの仕事じゃないね。こりゃミドの造り方だ」

「お母さんが旅先で作ってもらったと言っていました。三十年は履ける靴なのよ、って」

 はん、とファゴさんは鼻で笑う。

「三十年? こりゃブラゴスカの革だよ。手入れを怠らなきゃ五十年だって履けるさ」

「ごじゅっ」

 目を丸くするニトに、ファゴさんは笑った。

「あんたのお母さんは見る目がある。こいつは希少な革だが、靴にするなら最高の素材さ。物の分からない人間は絶対に手を出さないくらい高級だがね、丁寧に扱えば人間より長生きもする。エルフの寿命にはさすがに負けるがね」

 ファゴさんはブーツの中に詰められた小さな布を引っ張り出すと、中を指先でなぞった。

「さて、小さく仕立て直すことも出来るがね……あんたもずっと小さいままってわけじゃないだろう」

「そう、ですね、たぶん」

 ファゴさんは靴底を確認したり、縫い合わせた箇所を撫でたり、ひっきりなりに靴を回しながら丁寧に隅々まで目を通した。

「丁寧な仕事をしてるね。バラすよりは中敷と爪先に詰めて調整する方がいいだろうさ」

 なるほど、とニトが頷いた。

「……それって、時間がかかりますか?」

「あんたの足はまだ小さいから詰め物も大きくなるし、何度か履いて合わせる必要もある。今日明日ってところだろう」

 ニトのもう片方の靴も脱がしながら、ファゴさんはぼくを見上げた。

「聖堂の表に停まってた車はあんたのかい」

「はい、そうですけど……?」

「だったらちょうど良い。靴の調整料として頼みたいことがあるんだけどね」

 仕事には対価を払う。それはヤカンを修理してもらったときに教わったことだった。それが良い仕事であればなおさらだ。

 申し訳なさそうな顔をするニトに笑って頷きを返して、もちろん構いませんよ、と答えた。

「古い馴染みがまだしぶとく生きてるかどうかを確かめてきてくれるかい。もしまだくたばってなかったら荷物を渡しておくれ」

「分かりました。その古い馴染みというのは、どこに住んでるんです?」

「さっき話したメルシャン通りを抜けた先だよ」

「けっこう近いですよね。自分で確かめに行ったことはないんですか?」

「あんたみたいに若いか、車がありゃそうできるけどね。あたしらみたいな年寄りには億劫なのさ。行って帰るだけで日が暮れちまう」

 ニトの靴を作業台に置いて、ファゴさんは棚の下段の扉を開けた。そこから油紙に包まれた荷物を取り出して戻ってくる。

「別荘地の一番奥に青い屋根の家がある。そこに住んでる偏屈なじじいに渡しておくれ。あたしの名前を出せばわかるだろう。もしくたばってたら家の中にでも置いてきて構わないからね」

「すごく遠慮がないですね……」

 荷物を受け取って苦笑してしまう。人の生き死にに関わる話とは思えない口ぶりだ。

「あ、わたしも」

 ニトが声を上げたが、自分がすっかり素足なことに気づいたらしい。ぼくもその白くて小さな足を見下ろす。爪が桜色に色づいている。

「年頃の娘の足をじろじろ見るんじゃないよあんたは」

 そう言われると自分が品のないことをしているように思えた。ぼくは視線をそらしつつ咳払いをして誤魔化した。

「ちょっと行ってくるから、ニトは靴を調整してもらいなよ」

 ニトは椅子に両手をついて体をまわし、ぼくを見上げた。ちょこん、という表現がしっくりくるような座り方だ。むむむ、と悩んでいるのは、調整を後回しにして付いて行くべきかと悩んでいる様子でもあった。

「……お土産、お願いしますね」

「機会があったら逃さないようにしておくよ」

 外に出る前に、さっきの部屋に戻る。シャロルが目を閉じて座っている。声をかけると、感情を感じさせないほど透き通った瞳がぼくを見た。

「ちょっと出かけることになったんだ。もしよかったらニトを見ててくれないかな?」

 シャロルはわずかに首をかしげた。頰の横の髪がさらりと揺れた。

「必要はないと思うけれど」

「でも、ほら、一応、心配でさ」

「……そう。いいわ」

 頷いて、シャロルは立ち上がった。呆気ない了承にぼくの方が言葉に詰まった。

「いいの? どれくらいかかるのかとか、どこまでいくのかとか訊かなくて」

「別にいいわ。だいたいわかるから」

 横を通り過ぎて工房に入っていく背中を見送る。その振る舞いに、ぼくはううむと唸った。

「クールだ……」

 シャロルに任せていれば安心できると思えるのが不思議だった。出会ってから間もないのだけれど、そう思わせるなにかがあるようだ。ニトも懐いているし。

 店を出て、ひとり坂道を登っていく。こうしてひとりで行動するのが久しぶりなことに改めて気づく。そのことに寂しいと思う自分がいることがおかしくもあり、嬉しくもあった。ずっとひとりで旅をしていた日々のことを、今では懐かしく思えるくらいだ。

 下りてきたときよりも時間をかけて聖堂まで戻って、一度、部屋に入ってバックパックを回収する。ヤカンに乗り込み、助手席にバックパックと、預かり物の荷物を置く。

 ひとりのドライブになるので、賑やかな曲でもかけようかとスマホを取り出した。ポップソングを大音量で流しながら、ヤカンのボイラーに火を入れた。蒸気自動車はボイラーの熱で水を沸かして動力としているので、余熱が終わるまで発進することができない。ぼくは窓から景色を眺め、聴き慣れた曲の歌詞を口ずさんだ…………




6/19発売予定「さよなら異世界、またきて明日II −旅する轍と希望の箱−」へと続きます。

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