至高のリドルストーリー

 御贔屓の作家の新刊を待って開店前の書店に並ぶ読者のように、私は朝早くからネットにつなげたPCの前にじっと座り「まぼろし」第三話のアップロードを待っていました。(嘘です。本当は、起床時まだアップされていなかったので、テレビをみたり朝ご飯を食べたりしていました。ごめんなさい)
 映画『ニューシネマパラダイス』の一シーンを勝手に思い浮かべ読み始めたのですが、直ぐに「一寸違うな(いやかなり違うな)」と気づき、スタンスを変えて読み直しました。
 コロナ禍で仕事(非常勤講師)にアブれ、もう三か月も自宅に引き籠っている私は主人公=語り手の若者に自分の姿を思いっきり重ねながら、この多くの謎が複雑に入り組んだ、しかし綺麗に整列しているようにも見える不思議な物語を何度も読み返しました。(嘘です。たったの二回しか読み返していません)
 ほとんどの謎が、第三話の老人の語りに収斂されます。
 老人が金を貸した手引きの少年に投影された者は誰なのか。(私は語り手の若者ではないかとおもいました)
 船代を払ってくれた奉公人とは誰なのか。(私は手引きの少年=語り手ではないかとおもいました)
 渡河の途中で舟を返して戻る元の岸とは何処なのか。(私は語り手が待つベンチかとおもいました)
 その他…
 老人が渡し舟で行こうとした先は何処なのか。
 老人は元の岸に何をしに戻ったのか。壊れたベンチ、ブランコ、釣り道具、老人の歌、缶コーヒー、その他諸々の小道具は何のメタファーなのか。
 主人公の体験は幻だったのか現(うつつ)だったのか。そもそも、幻と現に境はあるのか。そして、作者は何故、三つに割った物語を一話ずつ公開したのか。
「だいたい見当はつくでしょ? でも教えてあげないよ」と、この物語の作者はほくそ笑んでいるに違いありません。
 この小説は至高のリドルストーリーです。
 これだけの小説がKN文学賞を受賞しなかったことも謎です。選考者はどこに目ぇつけてんねん。(あっ、宮本先生、すんまへん)

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