さくらんぼの結び目
田所米子
さくらんぼの結び目
赤いルビーと呼ばれているように、真っ赤に熟した佐藤錦をガラスの器に移す。山形のおじいちゃんたちが、時期になると毎年送ってくれるさくらんぼは、いわゆる「キズモノ」だけれどとっても綺麗だ。なんてったって赤いルビーなんだから、ちょっとぐらい傷がついていても、形が不ぞろいでも、全然気にならない。
ところで、「赤いルビー」は「頭痛が痛い」や「馬から落馬」と同じ重言なんじゃないかな。だって、コランダムっていう宝石のうち、赤いものをルビー、それ以外をサファイアと呼んでいるそうだから。なんてことも、つやつや輝くさくらんぼを見ていると、どうでも良くなっちゃう。
大量に送られてくるさくらんぼは、美味しいけれどすぐには食べきれない。だからいつもお隣さんにおすそ分けしてたんだけど、今年はそっけないフードパックじゃなくてオシャレなガラスの器に盛ったから、ますます美味しそうに見える。
お母さんがデパートで一目で気に入ったというお皿は、縁がフリルみたいに波打ってて確かに可愛い。このお皿を勝手に使ったら、お母さんは怒るかな。ううん、きっと大丈夫。だって私の家と優香ちゃんの家までは、徒歩で五分もかからないんだもん。お皿なんてすぐに返してもらえるはず。
折角冷やしていたさくらんぼがぬるくならないように、と急いで優香ちゃんの家のインターホンを押す。仕事で忙しい優香ちゃんのお父さんとお母さんは、休日でも滅多に家にいない。だから、まだ三時のおやつの時間にもならない今お家にいるのは、優香ちゃんだけなはず。
扉が開くのを待っていると、出てきたのは案の定優香ちゃんだった。
「優香ちゃん! 今年もさくらんぼ届いたよ!」
お昼寝でもしてたのかな? ちょっと眠たそうな顔した優香ちゃんにさくらんぼを盛った器を手渡そうとすると、
「……ねえ」
優香ちゃんは、いつもよりも低い声でこう言ったんだ。
「ちょっと早いけど、一緒におやつにしない?」
私がこの時間に優香ちゃんの家に押しかけてきたのはそのつもりだったからなんだけれど、誘ってもらえるとやっぱり嬉しい。優香ちゃんの本当の目的は、なんとなく察しが付くんだけれど。
「うん!」
うきうきしながら玄関をあがる。もちろん、靴を揃えるのは忘れずに。
「じゃ、先に部屋に入ってて。わたしはジュースと小皿持ってくるから」
幼稚園の時からずっと行き来してきた、勝手知ったる優香ちゃんの部屋だから、私は迷わず特等席のベッドに腰かけた。ちょっと前まではこうして二人で並んでファッション誌を眺めたり、漫画を読んだり、あと時々は課題の難問に一緒に取り組んだりしていたのが懐かしい。
「……お待たせ」
優香ちゃんが持ってきてくれた飲み物は、私が大好きな炭酸飲料だった。流石優香ちゃん、分かってる。
しばらくは、私が持ってきた佐藤錦を、一言も話さずに黙々と平らげた。優香ちゃんが時々哀しそうな、何かを言いたそうな眼をして私のことをじっと見つめていることには気づいていたけれど、あえて。
「ねー、優香ちゃん」
佐藤錦も残るところ三分の一になった頃。それまでだんまりを決め込んでいた私が突然口を開いたものだから、優香ちゃんを驚かせちゃったみたい。
「……なあに?」
一瞬肩をびくりと揺らした優香ちゃんは、それでもすぐに返事をしてくれた。
「さくらんぼのヘタを舌で結べる人はキスが上手いって言うじゃない?」
「う、うん」
ちょっと前までの優香ちゃんなら、いきなり何言ってんの、ぐらい言ってきたのにね。遠慮なんてしてくれなくてもいいのに。
「でもさあ、実際にさくらんぼのヘタを舌で結べる人なんているのかな? だって、さくらんぼのヘタって結構硬いでしょ?」
私が何を言いだすと思ってたんだろう。ほっと溜息を吐いた優香ちゃんは、心の中でこう思ってるのかな。なんだそんなことか。でも、どうしてこんなことを、って。
「……わたし、結べるよ」
「えっ、ほんと!? やってみて!」
内心はどうあれ、私に対して負い目がある優香ちゃんは、赤くて美味しい実じゃなくて硬くて細いヘタをぽいと口に入れた。そういえば優香ちゃんの唇は小さいけれどふっくら赤くて、つやつやしていて、さくらんぼみたいだ。美味しそう。
ひとしきりもごもごしていた後、べっと突きだされた舌の上には、確かに綺麗に結ばれたさくらんぼのヘタが。一年前――ううん、一か月前までの優香ちゃんには、こんなことできなかったはずなのに。
優香ちゃんがさくらんぼのヘタを結べるようになった理由を、私は知っている。二ヶ月前までは私の彼氏だった人が、優香ちゃんにキスを教えたんだ。……世間一般の見方で言えば、私は彼氏を取られたってことになるのかな。
でも、私はそんなことは別に気にしてない。元彼からの告白を受け入れたのは、女子高生なんだから一度ぐらいは誰かと付き合ってた方がいいかな、なんて適当な理由だったから。だけど、優香ちゃんが私と一緒にいる元彼の姿を見かけて、一目惚れしちゃったなんて。こんなことになるぐらいなら、やっぱりあの時断っていれば良かった。
優香ちゃんはいい子だから、友達の彼氏を黙って取るなんて、汚い真似はしない。優香ちゃんは私が知らない所でずっとずっと苦しんでいて、二か月前にとうとう耐えられなくなったから、泣きながら私に自分の気持ちを打ち明けたんだ。彼をわたしにちょうだい、って。
だから私は、自分が思いつく限りで一番ひどい言葉を並べて彼を振った。元々大して好きじゃなかったし、接点と言えば朝乗る電車が同じぐらいのものだったから、そんなことも躊躇いなくできる。だから優香ちゃん、私が怒ってるのは、優香ちゃんと彼が付き合ったことじゃないんだよ。
彼との交際を始めてから、優香ちゃんは私とあまり遊んでくれなくなった。まあ、理由は分からなくはない。優香ちゃんはいい子だから、私に対してうしろめたさみたいなものをどうしても感じちゃったんだよね。
それに彼からしても、今の彼女の家の隣が前の彼女の家というのは、色々と気まずいと思う。そういうお年頃なんだから、やりたいことも色々あるだろうしね。だから優香ちゃんは、近頃週末は出かけてばかりなんだ。でも、今日は家にいてくれていて良かった。
私があんまりにもさくらんぼの結び目をじっと見ていたからかな。優香ちゃんは、よく手入れされた眉をちょっと寄せた。
「……実はね、さっきはあんな風に言ったけど、私もさくらんぼのヘタを舌で結べるんだよ」
可愛らしい唇がウソでしょと紡ぐ前に、私は優香ちゃんの唇に私の唇を押し付けて、私の舌を優香ちゃんの口の中に入れた。柔らかな口内を弄って舌を絡めると、さくらんぼの甘酸っぱい味がする。
優香ちゃん。可愛い優香ちゃん。大好きな優香ちゃん。
私は、優香ちゃんが私の元彼と付き合うことになっても、全然かまわなかった。優香ちゃんが以前のように、私を一番好きでいてくれるのなら。でも優香ちゃんは、念願の彼氏ができた途端、私を放って、さくらんぼのヘタを舌で結べるような子になっちゃった。これって、ひどい裏切りだと思わない?
さくらんぼのヘタを結べるような舌なんてなくなっちゃえば、優香ちゃんは前の優香ちゃんに戻ってくれるのかな。
そうして私は優香ちゃんの甘酸っぱい舌を、思い切り噛みちぎった。
さくらんぼの結び目 田所米子 @kome_yoneko
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