それでも魔女は毒を飲む

夏野けい

命果てるまで

 櫂奈かいなに魔女の血は現れなかった。戦うことのない未来を、わたしは喜んだ。


 現代の魔女に大した力はない。人間相手に商売になりそうなのは、よく当たる占いくらい。とはいえ魔のものに対しては今も唯一の対抗手段だった。わたしたちは戦う。人に知られず、感謝もされず、傷を負って死ぬさだめを受け入れて。

 今日も夜の戦場へ出る。箒で飛べるわけもないからマイクロバスに詰めこまれる。たたき売りのスポーツウェアに身を包めば、見た目の神秘性など微塵もない。


真名子まなこ、弱くなったんじゃない」


 世那せなが援護に入りながら憎まれ口をたたく。言い返すことはできなかった。

 息が切れる。全身が痛む。竜の形の生き物を、銀のいかずちで薙ぎ払っていく。魔法は前線でのみ可視化される。出力が足りない。当たり前だ。血の味がよみがえって舌打ちをした。今は目の前のことだけを考えるべきだ。生きて帰らなかったら意味がない。


 櫂奈、五つを迎えたばかりの我が子を胸のうちに呼ぶ。

 三つまでに発現しなければ魔女ではない。永い命も万能の魔法も持たないならば、そんなものにはならないほうがいい。そう信じていた。あの子が難しい病に苦しむようになるまでは。

 魔女は丈夫だ。風邪もひかない、怪我も治りやすい。古の魔法の名残が守ってくれる。もしも、あの子が魔女だったら、大人になるまでは痛みを知らずにいられたのではないか。喜んではいけないことだったのではないか。


 主任が殲滅を宣言する。あたりはずいぶん静かになっていた。くたびれた魔女たちが三々五々、帰りのバスへと向かう。

 去りぎわに毒を拾う。竜の牙が持つ毒。この身体にはよく効くはずだ。


 一人で家に戻る。誰も待たない家に。

 食事は摂らなかった。すでに午前零時を過ぎている。毒をグラスにあけて飲んだ。すぐに手がしびれてくる。眩暈がした。


 血が喉をゆっくりとのぼる。台所のシンクに手をついて口をひらいた。夜へと零れていく深紅。何度か咳き込みながらやりすごす。散らばる、水滴と混じって流れる、指を汚す。わたしの血は、とても、汚いと思う。

 命を削って誰かにあげる。魔女がなかば永遠に生きていた頃なら、遊びのようにできただろう。わたしには非効率的な方法しか残っていない。自分の身体に刃を立てて、手のひらで掬えるだけをあの子に与える。痛くて血なまぐさくて息が苦しい。だけど、あの子が病気と治療によって受ける苦痛に比べたら、きっとまだ甘い。


 手のひらに意識を集める。ここになるべくたくさんの命を溜めて、明日は朝一番にあの子に会いに行く。


 別れたくない。まだそばにいさせてほしい。抱き寄せたい。声を聞きたい。願うのはわがままだろうか、あの子をそこなう行為だろうか。櫂奈は五つだ。生も死もおぼろにしか知らない。

 いつか、あの子は死にたいと言うのだろうか。言われたところで、わたしは命を引きのばすのをやめられるのだろうか。


 迷いは尽きなくて、痛みは日ごとに強くなり、戦場では足を引っ張り、正義などわたしにはなくて、もうなにも見えなくなりそうで。

 血を吐いて這いずりながら、それでも魔女わたしは毒を飲む。

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