Ⅴ 語られる伝説
これが、あの夏に僕が体験した奇妙な出来事のすべてである。
あの夏祭りの夜以来、売ったはずのスイカが店に戻ってくるようなことはなくなった。
また、近所で流行っていた血のなくなる奇病も不思議と終息を見せ、スイカ泥棒のウワサを聞くこともそれ以降はなくなったのだった。
やはり、あのスイカがすべての犯人だったのだろうか?
これは後に偶然知ったことなのであるが、ユーゴスラビアのロマ(※かつて〝ジプシー〟と呼ばれた人々の一派)の間では、クリスマス後にスイカを長いこと放置しておくと、それが吸血鬼になるのだという。
そして、吸血鬼になったスイカの特徴は、血のような文様が表面に浮かび、唸るような声を上げ、人間を困らせるためにごろごろと転がり回るのだそうだ。
もちろん、これはあくまでただの言い伝えであるが、あの青果店のオーナーがこの吸血鬼伝承を持つユーゴスラビアの人間であったことを考え合わせると……どうにも偶然にしてはできすぎているように思えてならないのだ。
そういえば、夏祭りであのスイカが見事に割られた次の日、店長代理の男がスイカの棚を見て、「ない、ない」と喚き立てながら、ひどく狼狽していたように記憶している。
もしかして、あの店長代理という男もアレがなんであるのかを知っていたのではないだろうか?
吸血スイカの話ばかりでなく、ユーゴスラビアを含む東欧地域は吸血鬼伝承の本場なのだ。
ひょっとすると、彼はユーゴスラビア人のオーナーから何か秘密の役目を仰せつかって……。
いいや。すべては僕の想像にすぎない。
確証は何もないし、今でも本当のところはどうだったのか僕にもわからないのである。
あの青果店は、今でもあそこにあるのだろうか?
あれからしばらくして、大学を卒業した僕は故郷に帰省し、あの店に関わることも完全になくなった。
その後、あの青果店がどうなったのかはまるでわからないし、社会人として新しい生活に追われる中で、あの不思議な体験についての記憶も次第に薄らいでいったのである。
しかし、こうして茹だるような暑さの中、あの夏の日と同じ蝉の鳴き声を耳にする時には、不意にあの頃のことを思い出す……。
今日もそんなことを思いつつ、陽炎の立つアスファルトの道を汗だくで歩いていると、ふと、町角にひっそりと佇む、涼しげな影を作る青果店が目に留まった。
僕は照りつける太陽から逃れるようにして、その店の影の中へと滑り込む。
すると、その店の軒先には――あの夏の日と変わらずに、大きなスイカの玉がいくつも並んでいたた……。 (西瓜の赤い色は 了)
西瓜の赤い色は… 平中なごん @HiranakaNagon
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます