Ⅳ 赤く染まる夏祭り

 そんな折、この青果店のある商店街では毎年恒例の夏祭りが開かれる時期となった。


 夏祭りといっても神社のそれではなく、商店街に夜店が出たり、広場に櫓を立てて盆踊りをしたり、こじんまりとした花火を上げたりと、そんな地域住民の娯楽と商店街活性化を目的とした納涼祭である。


 その催し物の中の一つとして、これも毎年のことなのだが「スイカ割り大会」というものもある。


 その名の通り、目隠しをした人間が周りの先導する声に従って、うまいこと棒でスイカを割るというあのゲームだが、海水浴でするそれと違うのは、砂浜ではなく広場に敷かれた青いビニールシートの上でやることだ。


 でもって、それに使うスイカを提供するのは、当然のことながら商店街で唯一の青果店――つまりはこの店ということになっているのだが、この年は例年以上に人の出が多かったらしく、準備していたスイカでは数が足りなくなってしまった。


 夏祭り臨時営業のため、その日バイトだった僕が夜まで店番をしていると、汗だくの実行委員の人が慌てて駆け込んで来て、店に残っているスイカを全部くれないかと言ってきた。


 もちろん、その分、後で実行委員会から代金が支払われるし、大量購入してくれるお客さまは大歓迎である。


 ところが、求めに応じててスイカの置かれた棚の方を振り返ってみると、生憎、棚には二玉しかスイカが残っていなかった。


 今日もぼちぼち売れたし、何より当の夏祭りに供出してしまっているので、当然、残っている数は少ないのだ。


 ……いや、それでも夏祭りの終了時間は迫っていたし、二つもあれば数的には充分だったと思う。


 問題はそこではないのだ。問題は……その中に〝アレ〟も含まれているということだ。


 あんな得体の知れないものを渡すのは、やはり気乗りがしない……。


「それじゃ、ここにある二つもらってくよ!」


「……え? あ、あの……」


  だが、汗だくで急かす実行委員の人に「あのスイカは危険です」などと、バカげた理由で断るわけにもいかない。


 僕がどう言おうか躊躇っている内に、彼はその二玉を段ボール箱に入れて、さっさと持って行ってしまった。


 …………まあ、大勢の人がいる前じゃ悪さもできないか……。


 早足に去って行く彼を見送りながら、そう思い直してみる僕だったが、段々と時が経つにつれ、じわじわと罪悪感とも不安感ともいえる、なんだか居心地の悪い感情が心の中で広がってゆく。


「店長ーっ! ちょっと夏祭りの用事頼まれたんで店番お願いしまーす!」


 気がつくと、僕は店の奥に向かってそんな言い訳を叫び、スイカ割り大会をしている広場に向かって駆け出していた。


「ああん? ……お、おい! んなこと、俺にゃできねえぞーっ!」


 背後でそんな店長代理の濁声が聞こえたが、そんなものこの際無視である。時を置かずして、それほど離れてはいない広場に僕は到着した。


 商店街の真ん中に位置するその広場には、赤い提灯で飾られた盆踊り用の櫓が立てられ、それを囲むようにしてそれなりの人だかりができている。


 中には艶やかな浴衣を着た若い女性や、今しがた掬ったであろう金魚と水の入ったビニール袋を提げる、まさに夏祭り然りとした子供の姿なんかも見られる。


 その人だかりを掻き分けるように進んで行くと、ビニールシートを地面に敷いただけのスイカ割り大会のブースがあった。


 そこでは、目隠しをした男性が木刀を振り上げ、地面に置いたスイカを今まさにかち割らんとしている。


 裸電球の黄ばんだ光に照らされる、まるで大静脈のように禍々しい色をした黒い文様の浮かぶ巨大な球体……。


 そのかち割らんとしているものは、見紛うことなくあのスイカだ。


 囲む聴衆は細かく割られたスイカにむさぼりついていて、どうやらもう一玉の方はすでに割られてしまったらしい。つまりは、アレが最後のスイカとなるわけだ。


「パパーっ、がんばってーっ!」


「違う! 違う! もっと右だって! もっと右!」


 その最後となるスイカ割りの挑戦者は若い父親らしく、幼い女の子やその母親らしき女性がそんな声を張り上げる中、彼は木刀を頭上高く構えながら、その声に従って次第にあのスイカへと近づいてゆく。


「そう! そこよ! そのまま振り下ろして!」


「えいっ!」


 そして、湧き立つ歓声の中、奥さんの指図通りに彼の木刀は、絶妙な位置でスイカ目がけて一気に振り下ろされる。


「痛てっ!」


 だが、次の瞬間。木刀はスイカをかすりもせず、硬い地面を叩いて男性の手を痛めていた。


「………………」


 僕は、今見た光景に目を見開き、呆然とその場に立ち尽くしてしまう。


 あのスイカが、ごろんと横に転がったのだ。まさしく文字通りにごろんと……。


「ちょっと今のはナシなんじゃない? 動いたわよ、あのスイカ!」


 奥さんが少々興奮気味に、実行委員のおじさんに文句をつけている。


 他の観客達も、その言葉に頷いている。


 となると、僕の見間違いではなかったようだ……やはり、あのスイカはひとりでに……。


「もう、ちゃんと転がらないように置いといてくれないと。ここの地面、傾いてるんじゃないの?」


「いやあ、すみませんね。形が歪だからかなあ? 今度は転がらないようにちゃんと固定しますから……」


 だが、直後、奥さんとそんな会話を交わした実行委員はどこからか風呂桶みたいなものを持ってきて、間一髪、難を逃れたあのスイカをその枠にすっぽりと嵌めてしまう。


 どうやら、僕と他のみんなとでは〝動く〟の意味が違っていたらしい……。


 いや、普通ならそう考えるのが当然だ。あれは自ら動いたのではなく、ただ何かの拍子に転がっただけなのだ。


「そう! そのまま真っ直ぐ! あと、三歩くらい!」


「パパーっ、がんばれーっ!」


 僕がまたしても妄想に取り憑かれてしまっていた自分に反省している間にも、最後のスイカ割りは再開され、家族の声に導かれながら、木刀を振り上げた男はあのスイカへと迫ってゆく。


 あれだけしっかり桶に嵌っていては、今度はヤツも逃げることが……いや、転がることはないだろう。


「そう! そこよ! そのまま叩いてっ!」


「えいっ!」


 そして、再び絶妙な位置に来た男性は、あの禍々しいスイカを目にすることもなく、上段に構えた木刀を改めて思いっきり振り下ろす。


 ウオォォォォーン…。


 その瞬間、アレはそんな唸り声みたいな音を不気味に響かせ、桶の中でプルプルと振るえたように僕には見えた。


 だが、一瞬後にはまるで爆発でも起こしたかのように、巨大スイカはその緑と黒の皮付き果肉を四方八方へと飛び散らせる。


 周囲から巻き上がる割れんばかりの拍手と歓声の中、僕はそっと近づいて、桶の中に残る砕けたスイカの残骸を覗き込んだ。


 だが、僕の予想に反し、それは動くことも、もがき苦しんで痙攣しているようなこともない……普通のスイカの断片である。


 ただ、普通のスイカと少し違っていたことといえば……


 その千切れた果肉の断面は、それはそれは色濃く鮮やかな、まるで〝人の生血でも吸っている〟かのような、たいへんきれいな赤い色をしていた――。


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