Ⅲ 重なる偶然

 さて、そうして僕が不気味なスイカを売らないよう心を砕いていたある日、常連客のおばさんから、ある奇妙な話を聞いた。


「――ああ、そういえば知ってる? 最近、この辺で流行ってる変な病気の話!」


「変な病気?」


 釣銭を受け取りながらそう言うおばさんに、僕はなんのことだかさっぱりわからず、怪訝な顔で聞き返す。


「ええ、そうなのよ。それがね、突然、血が少なくなって寝こんじゃうんですって」


「血が少なくなる? ……貧血とかじゃなくて?」


「それが、貧血じゃないらしいのよ。ある日突然、ほんとに体の中から血がたくさんなくなっちゃうみたいなの。しかも、その病気にかかった人はみんな首筋に何かに刺されたみたいな傷があるんで、吸血鬼の仕業なんじゃないかっていう人もいるわ。まあ、よく映画とかで見る牙で噛みつかれたような二ヶ所の傷じゃなくて、こう蚊に刺されたみたいに一ヶ所だけみたいだけどね」


 そう説明しながらおばさんは、汗ばんだ自分の首筋に人差し指を立て、頸動脈を刺すような仕草をしてみせる。


「へえ~吸血鬼ですか……じゃあ、巨大な蚊みたいなのに吸われたんですかねえ? いや、さすがにそんな血がなくなるほど吸う蚊なんていないでしょうし、マラリアみたく、その蚊から新種のウイルスにでも感染したとか?」


 さすがに吸血鬼なんてことはないだろうが、突然、血が少なくなってしまうとは確かに奇妙な病である。


 そんな奇病がご近所で流行っているとは知らなかったので、僕は感心したように恍けた声を上げ、常識的に考えられる可能性を推理してみるのだったが。


「さあ、どうなのかしらねえ。病院に行ってもお医者さんは首を傾げるばかりで、いまだに原因不明のままらしいわよ。まあ、それで亡くなった人はいないみたいだし、輸血してもらえばすぐによくなるらしいんだけどね。それでも、やっぱりなんだか怖いわよねえ……ああ、怖いといえば、最近、泥棒もこの界隈でよく出るらしいわよ?」


 おばさんはもう一つ、僕の知らないご近所の流行りを思い出したかのように付け加える。


「吸血鬼の次は泥棒ですか?」


「そうなの! それもただの泥棒じゃないわよ? そいつはね、金目のものじゃなくて〝スイカ〟を盗んでいくらしいの」


「スイカ?」


 その言葉に、僕はそれが何を意味するのかもわからない内から、なんとも得体の知れない、嫌な胸騒ぎを本能的に覚える。


「そう! スイカよ! 聞いた話じゃ、スイカを買って来て翌朝食べようと思ったら、いつの間にやらそのスイカが見当たらなくなってるらしいの。まあ、それ以外に盗まれたものはないし、近所のこどもの悪戯かもしれないけどねえ……この店で買ってったスイカも被害にあってるかもよ?」


 買って来たスイカが消える?


 ……それって、もしかして……あの、スイカなんじゃ……。


「吸血鬼にスイカ泥棒に、最近ここらも物騒になったものよ。じゃ、あんたも独り暮らしなんだから気をつけなさいよ?」


 特になんの根拠もなかったが、その事件とあのスイカのことを自然と結びつけ、今日も棚の隅の影に潜むそれへ僕が目を向けていると、おばさんはいかにも井戸端会議的な台詞を残して立ち去ってゆく。


 ……いや、まさかな。これはきっと、ただの偶然の一致だ……それは考え過ぎってもんだろ?


 その時は、そんな奇妙な符号にも自分の思い過ごしと受け流していたのであるが、その後、店に集まってくるお客さん達の話から、さらなる驚くべき事実が明らかとなった。


 なんと、盗まれたスイカは全部、どうやらこの店で買われたものらしいのだ。


 いや、それだけでそれがあのスイカだとは断言できない……断言はできないが、当の盗まれた被害者であるお客さんの顔を見てみると、ぼんやりとではあるがアレを売ったような記憶があるし、それとなく話を訊いてみたところ、やはり盗まれたのは店で一番大きなスイカを買って行った時だと言っていた。


 こんな偶然ってあるのだろうか?


 ……もし、盗まれたスイカが全部アレなのだとしたら、それは盗まれたんじゃなく、アイツが自分でひとりでに……。


 だが、そうしてますますアレへの疑惑を深めてゆく僕を他所に、話はそれだけに終わらなかった。


 もう一つの奇妙な事件、「体から血がなくなる」奇病についての情報も、お客さんと話をする内にだんだんと集まって来たのであるが……驚くべきことにもその奇病の発症者は全員、スイカ泥棒に遭った被害者、あるいはその家族と合致するのである!


 全員…といっても、実際に奇病にかかったすべての人に当たったわけではないし、店で聞くお客さんの話だけが唯一の情報源なのであるが、そのジグソーパズルのピースのような話を繋ぎ合わせてゆくと、どうにもそういうことらしいのである。


 いったい、これはどういうことなのだ? あのスイカはひとりでに帰って来るだけじゃなく、この吸血事件にも何か関わっているということなのだろうか?


 最早、偶然の一致とはいえないその新事実に、僕は驚き、そして混乱した。


 アレは…あのスイカはいったいなんなんだ?


 この店から売られて行った先でいったい何をしているというんだ?


 それまでのそこはかとない不安から、言いしれぬ恐怖に変わった感情を抱きながら僕は棚の隅に潜むアイツを睨みつける。


 だが、その疑問の答えに繋がるヒントは、他ならぬそのスイカ自身が教えてくれた……。


「――またか…………あれ?」


 いつもの如く…いや、慣れというのは恐ろしいもので、またも店頭に戻っているスイカに〝いつも〟などとそれが日常のように感じ始めていたある日、よく見るとそれにはこれまでと違って、一つ、いつにない変化が起こっていた。


 スイカの蔓が、伸びていたのだ。


 そう。あのスイカの天辺にあるヘタから、にょろっと蔓が伸びていたのである。


 長さは30センチくらいだろうか? しかも、その蔓からは新しい鮮やかな緑色の葉っぱまで生えている。


 仮にこれが昨日売ったスイカではなく、まったく別の新たに仕入れたスイカなのだとしたって、これはおかしい。こんな状態では出荷されてこないはずである。


 それとも何か? 出荷後に成長し、ここまで蔓が延びたとでも言うのだろうか?


 いずれにしろ、これでは商品として棚に陳列することはできない。


 こんなもの置いといたら、あの店長代理に何を言われるかわかったもんじゃない。


 そこで仕方なく、いつも野菜の整形に使っている菜切り包丁を取り出してきて、その蔓をヘタの付根から切ろうとしたのだったが……。


「…つっ!」


 僕の指先に、何かチクリと針で刺されたような痛みが走ったのである。


 見ると、蔓を?んでいた左手の人差指の先から、みるみる赤い血が滲み出てきている……。


 どうやら蔓で指を切ったらしい。


 そういえば、蔓の先端もなぜか棘のように鋭く尖っているが、スイカの蔓って、そんな鋭い棘があったりしただろうか?


 そんなことを考えている間にも、指先にできた小さなドーム状の血液は鋭敏な痛みとともにどんどんと大きくなってゆく。


 僕は慌てて指を口に含み、傷を舐めようとした……ところが。


 僕が指を舐めるよりも一瞬早く、スイカの蔓が傷口に吸い付いたのである。


 蔓が、自分から動いた……ように僕には見えた。


 そして、傷口にまとわり付いた蔓は、傷口から流れ出た僕の血をきれいに吸い取ったのだ。


 ……いや。それは僕の思い込みかもしれない。


 ただ、蔓に僕の指が触れ、それで血が拭われただけだったのかもしれない……。


 しかし、この時の僕にはどうしても、このスイカが旨そうに血を吸ったとしか思えなかったのである。


 不意に恐ろしくなった僕は、急いでその蔓を根元からスパっと切り取った。


 すると、切られた蔓の断面から、今吸った僕の赤い血が流れ出す……ようなことはもちろんなかった。


 もちろん、そんなバカげたことはなかったが、この些細な出来事がそれまでに見聞きした奇妙な出来事を一つに繋げ、ある妄想を僕に抱かせる。


 売っても売っても戻って来る不思議なスイカ……


 それを買ったお客の家で起こるスイカ泥棒……


 そのお客がかかった血の少なくなる奇妙な病……


 その患者の首筋に残る何かが刺した傷……


 そして、今僕の指先から血を吸い取ったこのスイカの尖った蔓……


 もしかして、こいつは自分を買って行った客の家で夜な夜な伸ばした蔓を家人の首に刺し、あたかも吸血鬼のように血を吸っているのではないか? 


 そして、たっぷり血を吸って満足すると切って食べられてしまう前に、こっそりこの店に戻って来て次なる得物を狙っているのではないだろうか?


 そう考えれば、すべて、辻褄は合う……。


 その思いがけぬ結びつきに、僕はこの暑い真夏の最中だというのに、全身に鳥肌の立つ感覚を覚えた。


 ……いや、何を考えているんだ。そんなバカなことあるわけないじゃないか!


 だが、僕はそこまで考えて、その妄想を払い落すかのように激しく頭を左右に振る。


 スイカの吸血鬼なんて聞いたこともないし、第一、植物であるスイカが独りで勝手に動くわけがない。いや、植物どころか今はもう食べられるのを待つただの〝食物〟だ。


 きっと、すべては偶然の一致なのだろう。


 初めから僕の中にこのスイカに対する疑念や恐怖の感情があったから、そんな風に都合よく、本当は関係のない個々の事象を繋げて考えてしまったに違いない。


 僕はなかば強引にそう結論づけると、もうそれ以上、このことについて考えることをやめた。


 ただし、それは本心からそう思ったからではなく、次第に現実味を帯び始めたその妄想の、言い知れぬ恐怖から逃れるためであったのだが……。


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