最終話:明日を約束できた日

 あれから、四年が経った。

 修道院に代わりの誰かが来ることはなく、しばらく侍祭の人たちが切り盛りしていた。


「せめて罪滅ぼしだ。あたいにも手伝わせておくれよ」


 と言ったメナさんは、やがて乞われて、聖職者へと復帰した。最も低い階位からやり直すと言ったのだけど、元の助祭となった。

 ならばと粉骨砕身。その姿勢から、最近では司祭に推す声も増している。当人はあり得ないと固辞するけれど。


「メンダーナの罪が問われなかったのは、大人の事情というやつだよ。たぶんね」


 そんな風にダレンさんは言った。

 町のまとめ役となった師匠の相談役として、彼は毎日を忙しく過ごす。こちらも町の人たちが、正式な代表者になるようせがんでいる。

 奥さんと同じく断ったけれど、代表代行の師匠が鶴の一声。あと一年の引き継ぎ期間みたいなものを経て、そうなると決定した。


「ああどうも、国外追放になったらしいや」


 前触れなく師匠の言ったそれが、マルムさんの辿った運命らしい。

 どうして知ったのか、国外追放とはどういう罰なのか。問うても聞こえないフリしか返ってこなかったけど。

 優しいダレンさんに聞くと、誰も居ない畑の真ん中でこっそり教えてくれた。


「国外追放とはつまり、そんな人間はこの国に居なかった。ということさ」


 国にとって国民とは、税を納める固有の財産だ。それをよその国に移り住ませることは、よほどの特例と言える。

 そういう、ある意味で国の保証付きの人物とはまるで反対。どこの国の出身とも、名乗ることのできない存在。

 マルムさんはもう二度と、門衛の居る町に入ることはできなくなった。


「生きながら、亡霊にされたようなものだね」

「そんな……」


 酷い。

 聞いた瞬間、間髪入れずにそう思った。だってそれは、何があっても誰にも助けを求められない。

 服が破れても、お腹がぺこぺこでも、商店は町を囲う塀の中だ。

 しかもそれは、一緒に居るはずのレティさんにまで降りかかるだろう。と、ダレンさんは気の毒そうに言った。


「それが大人の事情、ですか。そうでなければ、他に罰せられる人が?」

「そうだよ。普通に裁かれれば、死刑でもよほどつらいやり方になるだろうね。もちろんメンダーナも、準じることになる」


 曖昧にした質問を、ダレンさんは正直に返した。こんな人だから、信頼を得るのだとは思う。けれど、生きづらそうだ。


「ええと、領主さまが?」

「二度は答えないよ。それと、枢機卿すうききょうだよ。教会では、宗主さまに次ぐ人たちさ」

「マルムさんを引き立てていた事実もろとも、ですね」


 前置き通り、ダレンさんはもう言葉では答えなかった。ちょっと頷いて、「じゃあ」と逃げ去った。

 何もかも順調に育つ畑の中で、僕は二人の安全を祈る。偽善と分かっていても。僕が追い出したことへの、負い目に過ぎなくとも。


「シン。次のミヌスはいつできるかって」

「ええと、最後の順番だね。来月になる予定だよ」


 畑を世話するのは、前と変わらずに侍祭や子どもたちだ。僕一人の手では、到底追いつかない。

 毎年。二、三人の子どもたちが巣立っていく。代わりにまた、一人か二人がやってくる。

 救急病院や救急車のない世界だ。孤児になる子をゼロにするのは、なかなか難しい。

 獣化の病は、もうすぐ根絶される。

 結局のところ、僕の能力で増やしたのはイトイアだけだ。マルムさんの残した月閃鉱が、それで尽きたせいではある。

 でも一番は、町のみんながそれでいいと言ったのだ。


「作物ってのは、土と水で育つもんだよ。シンの力がどうこうじゃなく、そういうイカサマめいたのを当たり前にしてちゃいけない」


 僕もその言葉に納得した。というか、僕などが否を唱えられる話ではない。現実に被害を受けたのは、町の住民たちなのだから。

 彼らの首に、月閃鉱の聖印はまだ下がっている。その気持ちへも、僕が差し挟む言葉などない。


「さあ出航だ。用意はいいのか船長!」

「よしてください。僕が船長なんてやったら、沈みますよ」


 かく言う僕。

 みんなのわだかまりを、直接にどうこうとはしなかった。やってきたのは、薬を作ること。作物を育てる相談に乗ること。

 それに師匠がやっていた、治水関係を引き継いだ。今日、いま進んでいる先までを船で下ってみる。

 忙しい師匠も、仕事の結果を見るのは楽しみなようだ。陽気に僕をからかって遊ぶ。


「迷ってたのは、もういいのか」

「いいのか、は分かりませんけど。簡単なことじゃないのかって、吹っ切れました」

「ああん?」


 迷いとは、もちろんホリィのことだ。あれきり姿を見ることはなく。僕は彼女を傷付けたまま、途方に暮れていた。


「こうなった以上は。次にどうするかしか、考えられることはないんですよ」

「たったそれだけに、四年もかけたのか? 買いかぶってたな」


 土木建築の基礎も知らない僕が、治水をやりたいと。師匠は何の冗談だなんて怒って、話も聞いてくれなかった。

 たしかに僕は、技術を知らない。だけど現代日本の、護岸工事された川なら知っている。

 なにせ暇なら売るほどあったのだ。日本の公共放送のそういう特集も、意味も分からず見ていた。


「杭打ちひとつできねえお前さんが、どうして堤防やらの造りを知ってるんだかな」

「夢に見たんですよ」

「そんな夢なら、俺も見てえもんだ」


 審哉からシンへ。転生について、親しい人に一応は話した。が、信じてもらえなかった。

 口を揃えて「要するに夢を見てたようなもんだろ?」と言う辺り。そんなことを気にする必要はない、という気遣いかなとも思っている。


「現実になった夢を、いまから見に行くんですよ」

「ああそうだ。お前の案と、俺の図面。どんな格好になったか、隅の隅まで見せてもらうぜ」

「お手柔らかにお願いしますよ」


 大規模なダム。流量管理の堰。水位エレベーター。大きな施設では、そんなのまでも実現させた。

 そうやって治水を行えば、下流に住む彼女たちが安全になる。

 ――何より僕も、会いに行ける!


「船長、この辺りのはずだぜ」

「だから船長じゃ――」

「船の進む方向を決めるのは、シンだろうが」


 下ること、三日。工事を確認しながらなので、かなりの時間を食った。まっすぐ来れば、半日の距離だ。

 川の両岸を、密林が覆う。この辺りには工事をしていない。少し先に、頂上のきらり光る岩山が見えた。木々の間へ少し目を向ければ、たくさんの獣が映る。

 ――ここがホリィの故郷なんだ。


「来たはいいが、探す当てはあるのか?」

「ないですよ。だから忙しいのに、護衛を頼んだんです」


 出航時は船室に潜んでいた、ダレンさん。もう四年ぶりの、武装した姿だ。

 町の代表代行が留守をして、その後継者も姿をくらます。あとのことはメナさんに頼んだけど、帰ったらどんなお礼をすればいいのやら。


「ごめんよシン。先に言っておくけど、最大でも三日だ。町を放っておけないし、食料の余裕もない」

「分かってます」


 船を降りるのは、僕とダレンさん。それに腕自慢の人が、ほかに二人。

 船底に気を配りながら、岸に寄せる。ハシゴを用意して、固定する。その間も、猛獣が居ないか。魔物が居ないか。気を抜くことはできない。

 慌てず急いだつもりだけど、それだけで十分だか二十分だかが経ってしまう。だけど焦ることはない。僕は来たんだ。


「待て、音が!」


 声を抑えぎみに。ダレンさんが警戒を発した。誰もが動きを止め、耳をそばだてる。

 獣や風の動きで、ガサガサと葉が鳴るのはずっとだ。けれどもその中に、ザザザザッと連続音が混じる。


「こっちへ来てる」


 それでますます、剣呑となった。武器を扱える人はそれぞれに持ち、どこから敵が現れるかと視線を配る。


「たぶん、敵じゃないです」

「ええ?」


 一応は僕も、船の縁に身を隠す。しかし僕は、さっき見た光がそうだったと考え始めていた。

 陽の光を眩しく跳ね返す、銀灰色。

 懐かしく思い浮かべる間に、それは現実の光景となった。


「ホリィ、どうして……」

「やあシン、久しぶりだね。こんなところまで、何しに来たのさ?」


 彼女は僕の薬を受け取って去った。なのに今、ホリィは人間の姿のままだ。マルムさんとは違う、自然な微笑がよく似合う。


「薬を飲まなかったの?」

「質問したのは、あたしが先だよ」


 どうやら本当に危険はないと、船上の人々は素知らぬふりをしてくれた。

 気にならなくはない、けど。僕は一人でここへ来ることもできなかった。だからこれでいい。


「謝りたかったんだ、ずっとあれから。でもその資格があるのか悩んで。遅くなった」

「資格があったの?」

「分からないよ、でも気付いたんだ」

「気付いた?」


 そうだ、僕はホリィを傷付けた。だからと悩んでも、なかったことになんかできない。

 こうなった以上、僕がどうしたいかで動くしかない。それを受け入れるかは、彼女にしか分からない。

 たったこれだけを気付くのに、僕は四年もかかってしまった。


「君を傷付けたのを謝りたい。あれは僕の思い込みで、勝手な決めつけだった。でもホリィが許してくれるのなら、僕の気持ちをあらためて伝えられるって」


 知らなかったからと、許されはしない。なかったことにも出来ない。

 でも真実を知って、心を入れ替えることはできる。ホリィが許してくたなら。


「あははっ、相変わらずのろまだね。どんな気持ちさ?」

「狼の姿。君はとても怖ろしくて、きれいだった。種族が違っても、僕はそう思ったよ。それからホリィと話すのが、とても楽しかった」


 彼女の表情は、微笑でなくなった。代わりに悪戯っぽく、「いひひ」と声を立てる。


「僕は会いにくるよ。これから、何度でも!」


 高らかに、ホリィは遠く吠える。空の青を深くし、翠の木々を潤すような澄んだ声。

 おもむろに、スカートのポケットから何かが取り出された。摘まれたのは、ひとつの小さな丸薬。


「待ってるよ!」


 ホリィは大声で答え、薬を口に放り込んだ。


― healer ≠ ノットイコール ヒーラー 完結 ―

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healer ≠ ノットイコール ヒーラー 須能 雪羽 @yuki_t

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