第383話 永き幸

 ――乗り切った。

 勝算こそあったものの、『深緑の魔女』と『竜宮の魔女』が本気で抵抗してきたなら、こうもあっさりと片が付くことはなかっただろう。


 『深緑の魔女』と『竜宮の魔女』が撤退、そして『王水の魔女』を捕獲。

 三人の魔女との戦闘は俺の圧倒的な勝利で終わった。

 貴重な魔蔵結晶を幾つか消費はしたが、戦果を考えれば充分な結果だった。


 戦闘の痕跡を改めて見れば、森は広範囲に枯れ果てて、あちこちに凍土が散乱して今も冷気が漂っている。

 遠くにある村の方を『鷹の千里眼』の術式で観察すると、『吸血豪雨』の呪術で『深緑の魔女』が生やした樹木が枯れ、森に呑まれて家に閉じ込められていた村人達がちらほらと外へ姿を見せている。

(……村の方はひとまずどうにかなったか。仮宿で滞在していた魔導飛行船の乗客たちが被害を受けたかもしれんが……)

 今は一旦、レリィの元に戻った方がいい。

 あの二人も待っている。



 俺が古代遺跡へ戻ると、宝石をちりばめた純白の鎧を全身に着こんだ騎士が真っ先に出迎えてくれた。

「師匠! 無事に戻られたようで何よりです。退けたのですね、魔女共を」

 俺が魔女と戦闘している間もずっと完全装備で警戒していてくれたのだろう。真白い石の面頬バイザーが付いた兜を外すと、一括りにされた長い銀髪が垂れ下がる。銀色の瞳が真っ直ぐに俺を見返し、安堵したような微笑みを漏らした。


「ああ、魔女二人は撤退、もう一人は捕獲に成功した。もう追撃は来ないだろう。そっちは何も問題はなかったか? セイリス」

「特に何も。……と言いたいところですが、師匠の様子を見に行こうと、ビーチェとレリィが抜け出そうとするので、押しとどめるのが大変ではありました」

 セイリスの後ろから黒い長髪を所々跳ねさせた金色の瞳の少女が飛び出してくる。

「クレス!! 無事だった! よかった!」

「ビーチェ……お前、あれだけ注意しておいたのに抜け出そうとしたのか?」

 俺が三人の魔女と戦いに出向くことについて、あらかじめビーチェとセイリスには絶対に戦闘の場へ姿を現さないようにと、召喚手帳を通じて伝えてあった。セイリスは理解してくれたようだが、ビーチェは納得しきれていなかったらしい。


 腰に抱き着いてきたビーチェは「むぅ」と不満そうに唸りながら、唇を尖らせて反論してくる。

「クレスだって、いつも一人で危ないところに行こうとする。今回も」

「それに関してはあたしだって、今も納得できてないんだけど?」

 ビーチェの後ろからゆっくりと歩いてきたレリィも苦笑いを浮かべながら俺に文句を言ってくる。それでも、俺が無事に戻ってきたことに対して、隠しきれない安堵の表情が見て取れる。レリィの足取りは彼女にしては不自然なほどゆっくりで、まだ体が本調子ではない様子がうかがい知れる。

「レリィ、お前も抜け出そうとしたらしいな。ビーチェと一緒になって何をやっているんだ……」

「だって……本当に大丈夫なのか、心配になるでしょ。クレスのことは信じていたよ? 参戦するつもりもなかった。それでも、気になるに決まっているよ」

「……まあ、心配をかけたのは悪かったな」

「本当だよ。無茶してさ。ともかく無事に戻ってきてくれてよかったかな。終わったんだよね?」


 レリィの問いかけには重みがあった。終わったのか、とはビーチェの救出作戦として魔窟に潜り、戦ってきたその道程がこれで本当に終わったのかという問いだ。

「ああ、今度こそ終わった。俺は失った幸福を取り戻した。そして、守り切れたと確信している」

「そっか! やったね、クレス!!」

「おう!」

「さすが師匠です」

「……? おぉ~!」

 底抜けに明るく祝福してくれるレリィに同調して、よくわかってなさそうなセイリスとビーチェも祝福をしてくれた。



「それで、この後はどう動くの? いくらあの魔女達を退けたからって、のんびりはしていられないんでしょ?」

「そうだな……。メルヴィから新たに入った情報によると、もはや魔導技術連盟本部が起こした革命は覆らないようだ。貴族同盟や『風来の才媛・アウラ』の一派は首都の奪還を諦めて、伯爵夫人エリアーヌが領主を務める洞窟攻略都市に反抗拠点を移したらしい。一方の首都は表向き平常運転されていて、大きな混乱はないって話だ」

「エリーを助けに行く!!」

「それはダメだ」

「なんで!?」

 エリアーヌの危機と感じてビーチェが戦う意思を見せるが、俺は即座に却下する。


「俺達が直接、この紛争に関わることはない。とはいえ、連盟の意識が貴族同盟に向いてくれるのは好都合だ。だから、エリアーヌやアウラには影ながら支援を送ろうと考えている。こういう規模の大きい戦争ではな、金と物資が物を言うんだ。洞窟攻略都市には戦力になる冒険者も多い。金で傭兵を雇えれば十分に連盟と渡り合えるだろう」

「ぶ~……。私達が直接、戦えば勝てるのに……」

「ビーチェ、魔人である私達が加勢に行っては無用の混乱を招いてしまう。やるにしても目立たない方法でうまくやらなくては」

「わかった! 闇討ち!! 暗殺!!」

「ビーチェちゃん過激だね……」

 ビーチェは直接的に戦う気満々だったが、とりあえずエリアーヌ達のことは影ながら支援するということで全員が納得した。


「当面、俺達の目的地は隣国の神聖ヘルヴェニア帝国になる。あそこも何年か前の大きな政変で国内の混乱が続いているが、だからこそ潜り込むにはうってつけの環境だ」

「えぇー……なんだかそれも不安なんだけど。大きな政変って何があったの?」

「神聖ヘルヴェニア帝国の皇帝、『占光帝ルーメン』の暗殺事件だ。現在は皇女イグニスが皇帝の座を引き継いでいるが、国内を治めるのに相当な苦労をしているらしい」

「皇帝暗殺って……この国でもヘルヴェニアでも、国が傾くようなことばかり最近は起こっているんだね」

「最高権力者を狙った暗殺なんて、どこでもいつでも、よくあることだ。国が滅びたのでもなければ問題ない」

 皇帝を暗殺した首謀者は捕らえられたと聞いているし、正当な後継者が帝位を継いでもいる。今回の魔導技術連盟による革命のように、権力者の構造が大きく変わったわけでもない。今まさに紛争の真っ最中である『永夜の王国ナイトキングダム』よりは遥かに落ち着いた状態だろう。

「ただ、ヘルヴェニアへ行く前に一仕事済ませておく」




 古参魔女達との戦闘に巻き込まれた山奥の村は、『深緑の魔女』によって生み出された樹海で甚大な被害を受けていた。不幸中の幸いというべきか、怪我人が多数いたものの人的被害としては死者・重傷者はおらず、建物や畑の損壊が主な被害となっていた。

 それでも、これほどの荒れ具合では、この村で冬を越すのは非常に難しくなってしまった。

「……せっかく好きになれると思ったのに、どうして……こうなっちゃったんだろう……」

 村が壊されてしまった原因が自分達にあると感じて、レリィはひどく落ち込んでいた。これが村を飛び出したころのレリィならば、それほど心が痛みはしなかっただろう。だが、故郷へと戻ってきて、レリィは暖かく迎え入れられてしまった。それを心地よいと感じて、故郷への思い入れを育んでしまった。そんな故郷の村をめちゃくちゃにしてしまった後ろめたさを、俺には計り知ることができない。


「村長と話をしてきた。正直、俺を狙った権力闘争に巻き込まれたようなものだからな。村の受けた被害を補填できるように、俺から無期限で無利子の融資をすることに決まった」

「……この状況で、村の人に借金を負わせたの……?」

 ゆらりとレリィの体から色のない闘気が立ち昇ったように感じた。

「ご、誤解するな! 契約で縛るような借金ではなく、無期限で無利子の融資だぞ! 実質、無条件で資金をあげたようなものだ。……寄付をする、と言ったら、そこまでしてもらうわけにはいかない、と拒否されたから仕方なく融資という形にして金を握らせたんだ。そうでもしないと、この村は確実に消滅するだろうからな」

 竜狩りの村として再出発できるかもしれない、という希望が芽生えた直後この災厄に見舞われたのだ。村人達の心が折れてしまってもおかしくない。実際のところ、俺の融資を受けることになっても、竜の素材を街へ売りに行ったついでに移住しようという意見の者達が半数近くいるらしい。残念だが、この山奥の村は廃村となる確率が高い。


 樹海に呑み込まれ、荒れ果てた村の様子を眺めながら、レリィは真鉄杖を力強く握りしめて呟いた。

「ねえ、クレス……。やっぱり、幸せになりたいと願っているだけじゃ足りないのかな? あたしは何をすれば良かったんだろう……。どうすればこの幸せを守ることができたの?」

 ほんの数日前までこの村に溢れていた笑顔。それは一夜にして失われてしまった。

 ここまでの事態を予期することができただろうか。故郷のためにと思って滞在を伸ばしたことが、結果的に故郷を滅ぼすことになったのではないか。だが、その滞在がなければこの村を好きになることもなかったという矛盾を抱えた想い。


「……宝石の丘で、己の幸福を守りきれなかった俺にその答えは出せない。ビーチェを取り戻すことはできたが、どう足掻いても元には戻らないものもある」

 俺の言葉に振り向いたレリィは、翡翠色の瞳を涙に潤ませて言葉の続きを待っていた。

 その先を俺に言わせるのか。偉そうなことなど、俺が言える立場ではないのだが。

「探すしかない……次の新しい幸福を。そして次こそ、手に入れた幸せを逃さないように守れ」

 その激励は、俺自身にも向けられた誓いの言葉だ。

「うん。そうする」

 溢れ出た涙が頬を伝うも、それを拭うことなくレリィは笑顔で頷いた。

 ひどくいびつで不器用な笑顔だった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


幸福と不幸

それらは必ずしも天秤が釣り合うような、互いに打ち消しあうものではなく

例えるなら、澄んだ水の如き幸福の中に、一滴の濁った不幸が混じるようなもので

時には一滴の不幸が、全ての幸福を汚すこともありうるのだ


ようやく掬い上げ、浄化された不幸の一滴

しかし、全く異なる不幸の波が、怒涛のように目の前の幸福を押し流していった


もう二度と、手にした幸福を失うまいと誓った

今ならば何が自分にとって大切なのか、幸福の源泉を見誤ることはない

今度こそ守ってみせよう、己のさいわい


――例えそれが、永きさちを求め続ける、終わりなき道程であったとしても

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ノームの終わりなき洞穴【Web版】 山鳥はむ @yamadoriham

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