いつか風になるまでにやるべきたった一つのこと

 期末試験は、もうすぐそこだ。明後日だ。

 部活が休みなので帰宅しようとすると、急に空が顔色を変えて雨を降らしてきた。わたしと早奈英さなえは、学校の自転車置き場で雨宿りをすることになった。

 早奈英はサドルに腰掛け、降りしきる雨を眺めながら呟く。


「ねぇ、三久みく。期末試験、やばいね」

「うん、わたしも、ぜんぜん勉強してないし」

「あ、それ。実は勉強してる人の台詞」

「いや、ほんとなんだって。なんだったらトラックにはねられて異世界にでも逃げたいな」

「もう、変な冗談やめてよー」


 ふふふっと、早奈英から自然と笑いがもれる。

 こういう反応を引き出せたとき、たまらなく嬉しくなる。

 早奈英と、くだらない会話をしているとき、ときどきわたしは不思議な感覚になる。くだらないものを、くだらないまま共有できる、その特別さを感じている。

 だって早奈英は、ひいきなしでかなりの美人で、性格はさばさばしていて、なんだろう、一点も曇りもないから。率直に、わたしは憧れているから。

 容姿も性格も、立ち振舞いも、なんだか洗練されていて、たぶん積んでるエンジンが違うんだ。人生を走ってて横に並ぶことは、通常ありえない、たぶんわたしの周回遅れ。明確には言えないけれど、絶対そう。

 そんな彼女とわたしは、どこをどう間違ったんだか分からないけれど親しくなって、二年生になってクラスが変わっても、彼女と「仲良し」なんて称号をもらっている。

 卑下しすぎ? 知ってる。客観的に考えたら、彼女かそんな嘘をついてまで仲の良さを見せつけるメリットはないし、現実にそんな卑屈を口に出したら、めんどうな奴と苦い顔をされるだろうし。

 でも、自分の卑屈さは頑固に染みついた気質だから、「サンタクロースはちゃんと存在する」みたいな淡い期待と同じぐらいの感覚で、この卑屈な想像を素朴に信じている。

 彼女と仲良しなんて、もったいない出来事で壮大なドッキリでも驚かない、なんて心の準備をしている。


「聞いてるー?」


 早奈英の声が、飛んでくる。ぼーっと考えているうちに聞き逃していた。


「あ、ごめん。上の空だった」

「だからね、ほんとは白馬の王子様的な人に、かっさらってもらいたいわけ。人生まるごと。テストとか関係ない楽勝な流れに乗りたいわけ」

「うん」


 聞き逃していたのは、恋愛のはなしのようだった。


「でもさ、ばあちゃんが言ってた。『王子は待ってても白馬に乗ってやってこないのよ。王子は蛙にすがたを変えられていて、それに気づかず、あなたは素通りしてるのよ』だと。私は高望みしがちだから、派手なお迎えを期待しないで周りをよく観なさい、ってさ」

「なんだか、堅実な教えだね」

「そう、そうなの。でもさ、ふつういやだよね。蛙は蛙じゃん、気持ち悪いじゃん」


 たぶんそういうことではないのでは?

 どんな言葉を返そうかなと思っていると、自転車置き場の死角から小さな影がぬっと現れた。蛙だ。


「あ!」


 わたしと早奈英は、揃って驚いた。かなり大きいサイズの蛙だ。

 とりあえず黙って見つめていると、なんと蛙はおもむろに口を開いた。


「おいおい、聞こえちゃったよ、悪口」


 クセのある甲高い声だった。わたしはぎょっとして押し黙る。

 そのかわりに早奈英は、ばつの悪そうな笑みを浮かべてこう言った。


「蛙沢じゃん。なにしてんの? 盗み聞き?」

「違うわ、雨宿りだよ」

「蛙のくせに雨宿りするんだ」

「うるせぇ、好きにさせろよ。それよりなんだ、うっかり通っりかかったら、悪口言われててさ。傷つくわー、まじ傷つくわ」

「ごめんってば、蛙沢。でも蛙の見た目、ほんと苦手なんだよ。蛙沢には悪いけどさ」

「まぁ、いいけども。見た目のことは、もう散々言われて慣れたし」


 蛙沢と呼ばれた蛙は、諦めの境地のようなスマイルを返してきた。

 わたしも釣られて、微笑みをかえす。

 いやまて。早奈英、ふつうに会話してるし、こいつ何者?

 蛙と早奈英の会話の隙を見て、わたしは小声で早奈英に質問する。


「ねぇ、友達?」

「うん、四組の蛙沢ガマ太。最近私のクラスに転入してきたんだ。前に居た世界で馬車に轢かれて異世界転移しちゃったんだって」

「そっか、そうなんだ。知らない人に失礼なこと聞かせちゃったと思って焦っちゃった」


 わたしが胸を撫で下ろすと、蛙沢は呟く。


「知ってる人にも、失礼なこと言わないほうがいいけどね」


 * * *


 テレビのニュースで、異世界転移のハードルが下がってきたなんて学説が大々的に取り上げられたのは、十年前だったっけ。

 今では「トラックに轢かれて異世界転移しようかな」なんて話が「あーもう仕事も家庭も交遊関係もぜんぶ捨てて太平洋の離島で悠々自適に過ごしちゃおっかな」と同じ感じで語られるくらいには、異世界転移はありふれている。


 こっちの世界でトラックに轢かれてたまに異世界に飛ぶのなら、逆もまた全然あり得る。

 たとえば、早奈英によると蛙沢は異世界ZLQ733Eから来た転移者だ。

 蛙沢が住んでいた世界は、わたしたちが思い描くおとぎ話の世界観に似ているらしく、蛙沢は向こうの世界では王家の血筋を継いだお坊っちゃんだったという。

 うっかり魔女に敗北して、すがたを蛙に変えられて落ちぶれた生活をしていたところ、馬車にはねられてこっちの世界に転移してきて、なんやかんやの果てにうちの学校に転入してきたんだと。

 持ち前のアレだけど憎めない見た目と、そもそもの王家らしい品格があったおかげで、すぐクラスに馴染んでいたんだって。転移者は、そこが上手くいかない子も多いのだけれど。


「解せない。蛙なんだから、別に雨に濡れたって構わないでしょ?」

「そこは、むかし王子だった尊厳を忘れないために、ちゃんと傘を差していきたいんだな、これが。心まで蛙になりたくない」

「じゃあ、駅まで誰かの傘入れて貰えば? まだ教室に残ってる人いたと思う」


 とわたしが言うと、すぐに早奈英が返してくる。


「そういえば、竜山ドラ美先輩と、ロボ崎くん、ゴブ林太郎は、まだ教室に居たはずだ」

「あー、持ってるヤツいないっぽい。雨気にしないもん、ヤツら」


 蛙沢はそう言って、露骨にため息をはいた。


 最近は、こっちの世界からひょんなことで行方不明になる人間が急増してきたし、そのかわりに、あっちの世界やそっちの世界から、勇者や魔女や空想上の生き物が、また生き物でないものたちが、異世界転移してきていた。

 街中は年中ハロウィンみたいになっていて、いろんなヤツらが行き交っている。学校の生徒も四分の一は、転移者だ。

  

 いつかの授業では社会の先生が、どれだけ異世界転移が容易になったのか、折れ線グラフで示していた。


『百年もむかしには、日本中の電力を一点に集めて、やっとひとり異世界に送れたのが、最近はトラックではねられるだけで飛べるようになりました。この傾向は留まることはなく、これからもっともっとハードルが下がるでしょう。人類は抜本的な対策を求められています』


 たぶん、あと何十年後には、異世界転移は日常茶飯事になる。

 たとえば休み時間中に、椅子でバランスとる遊びでミスって後ろに倒れちゃう、そんなダサいヤツから異世界に転移する。

 もっと経てば、真夏のプールに飛び込むそばから、ざっと水しぶきを上げて、水泳部員たちは異世界に転移する。

 もっともっと経てば、体育の授業でバスケのシュートが決まって、ハイタッチした陽キャが異世界に転移する。ついでにバスケットボールも、そのまま体育館の床にぶつかった拍子に転移する。


 異世界に飛んだ矢先に、また異世界へ飛ぶこともあるだろう。異世界に転移しやすくなる傾向はどの世界も変わらない。

 あっちからこっちへ。そっちからあっちへ。どいつもこいつも、いったりきたり。

 そこには、もうわたしたちの思い描くような単純な世界と未来はなく、ちょっとの衝撃で飛び回る日常、一歩一歩で風景が目まぐるしく変わる体験がある。

 すこしの合間に、たくさんの世界を駆け抜ける。わたしたちは言わば、風になるんだ。


 ちょっと想像すれば、そんな世界で社会のシステムは成り立つはずはなくて。

 それならばその未来は、世界の終焉と言ってさしつかえないだろう。

 大人たちは慌てふためいた。地位の高いものたちはみんなこの世界にしがみつきたかった。偉くて賢い人たちは、終焉の回避方法をいま一生懸命考えているらしい。

 既にこれが日常のわたしたちは、まだ危機の実感を本格的に沸かないのだけれど。


 蛙沢がスマホの着信を受けて、電話を取って大声をあげた。


「──なんだって?!」

「どうしたの、蛙沢?」


 蛙沢は慌てた様子で、しゃべる。


「三組の田中が、異世界転移したっぽい。嫌いなヤツにドロップキックしたあと、強く身体を打って消失したって」

「え、ほんと?」

「なんで嘘つく必要あんだよ。くそ、あいつ無茶しやがって。人より異世界転移しやすい体質って医者から診断食らってたのに。くそ、俺は行かなきゃならない」

「どこに、なにをしに?」

「田中の自宅だよ。ノートパソコンにある、あんな画像やこんな画像、本棚の奥に隠した、あんな本やこんな本を抹殺しなきゃいけない。田中との約束なんだ」


 さきほどより強くなった雨のなかを、蛙沢はぴょんぴょんと走りだした。


「あれ、いいの? 傘は!」

「俺のことなんかより、田中の尊厳だ!」

「なに隠してんのよ、田中は……」

「知らなくていいこともある。じゃあな!」


 呆れかえるわたしたちをよそに、蛙沢は颯爽と消えていく。早奈英はからっとした感じで笑っていた。


「田中も行っちゃったか。あ~あ」


 明るい調子だが寂しさも混じる台詞。ふと、わたしたちも卒業までにこの世界に留まっている保証がないことを考えてしまう。ざわざわと心の内が波立っていく。


「ねぇ。わたしは行きたくないな。早奈英と離れたくない」

「不安?」

「うん。早奈英は不安じゃないの?」

「うーん。先のことだと思うし、いつ行くか分からないし。それにどこに行くか分からないから考えても無駄だし」


 さばさばも、ここに極まれり。

 だけれど早奈英の言う通り、ほとんど未来を想像するのは無駄だった。あと何年後かには、進路希望表も、親が望んだ将来像も、誰かが敷いたレールも、ぜんぶ水の泡になる。


「だから、それよりも今だ、いま。むこうの世界にたくさん三久との思い出を持ってっていくために、一分一秒楽しみたい。これからどうするかなんて賢いヤツらにぜんぶ任せてさ。世界を救えないわたしたちには、雨宿りを悔いなく送るくらいしか手立てがないんだよ」


 早奈英の言葉に、わたしは頷く。いつか風になってしまうまえに、思い出したい会話をたくさんしておこう。だったら、と早速わたしは話題を変えた。


「じゃあさじゃあさ。早奈英はさ、卒業したら何になりたい?」

「うーん、なんだろ? ちなみに三久は?」

「わたしは、魔導士かな」

「うわぁ、三久っぽいね。じゃあ、私は竜騎士」

「え、意外すぎる! けど絶対似合うよ、なれたらいいね」

「なってさ、どっかの異世界で再会できたら最高だよねぇ」

「夢が膨らむねぇ」


 そんなこんなで、いまを、風を感じながら笑い声を雨音に溶かしていく。会話が途切れないうちは、この先のことは考えなくて済む。心の波が静まっていく。


 まぁ、そんな調子だったから、期末試験はふつうに赤点取ったんだけどね。


 *おわり*

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