星いっぱいの大風呂敷をたたむ簡単な方法/いつか風になるまでにやるべきたった一つのこと
緯糸ひつじ
星いっぱいの大風呂敷をたたむ簡単な方法
ぶち模様のねこが、庭に忍び込んできた。夏休みに入ってから毎日だ。僕も夏休み中ずっと縁側で遊んでいるから間違いない。他人の庭を我が物のように悠々とくつろいでいる。赤い首輪についていたネームタグから、この迷い猫の名前は「星野王子」だと分かった。飼い猫だ。
「ほしのおうじ……、星の王子さまじゃん」
もしかしたら飼い主はサン=テグジュペリの「星の王子さま」が好きかもしれない。ふと浮かんだ閃きを、どうしても兄に伝えたくなる。
「兄ちゃん、このねこ、星の王子さまだって」
「何それ」
「ほらほら、サン=テグジュペリの、有名な本だよ。知らない?」
「あー、うっすら」
兄はテレビゲームに夢中で、こちらをちらりとも観ない。
「ねぇってば、このねこの飼い主、どんな人だろ」
「え、そりゃたぶん、相当なサンなんたら……」
「サン=テグジュペリ」
「そう、その作家のファンだろ? じゃなかったら、どんな由来でつくんだろうな、王子さまなんて名前」
「調べてみよう」
「どうやって?」
「星野の後ろをついていくんだよ、尾行だ」
ちょっとした冒険だ。退屈しのぎに、ちょうど良い。星野はブロック屏にひょいと乗り上げる。いま追わなきゃ見失うような気がした。
「いっしょに行く?」
「いや、俺はパス」
「分かった、じゃあひとりで行く」
そうと決まれば。さっそく行動に移した。僕はリュックサックに手当たり次第にモノを仕込んで背負い、キャップをかぶる。そして、スニーカーに乱暴に足を突っ込んで家をでた。星野はブロック屏を越えて道路に出ていた。セミたちの声が住宅街を満たしていた。兄の気だるそうな、気をつけろよー、の声を背に受けながら僕は追跡を開始した。
* * *
少し離れた距離を保ちながら追う。星野は僕の尾行には気づいてないようだ。尾をゆったりと揺らしながら白線の上を歩いて公園へ向かう。公園では野良ねこ連中がいた。星野は彼等との井戸端会議を一通りすると、つぎは隣町にある神社の境内にお邪魔して木漏れ日の下で涼をとっていた。そののち、川の土手沿いを歩き出した。
「意外に、行動範囲が広いな。星野」
僕は、すこし感心した。冒険には発見がつきものだ。
川の土手は日陰こそ無かったが風が気持ち良かった。サッカー少年や、サイクリングを楽しむ人なんかとすれ違いながら、僕は星野を油断なく追い続けた。
星野は土手にある広い駐車場に差し掛かると、自動車の列を眺めながら、まっすぐ草むらにむかう。がさがさと茂みをあさったあと、星野は何かをくわえて出てくる。なんだろう、目を凝らす。僕は唖然とした。
「……クルマのスマートキー?」
星野はおもむろに赤い自動車に近づき、スマートキーを慣れた手さばき(この場合は口さばきと言うべきか)でピピッとドアを解錠して乗り込む。そして平然と、星野は自動車をさっそうと発進させた。
「マジか」
僕はあわてて歩道に飛び出す。赤信号で星野の車が停まっているのを確認すると、周りを見渡してタクシーを見つけて、勢いよく手を上げて乗り込んだ。
「お客さん、どちらまで?」
「あそこで停まってる赤い車を追ってください」
「え? えぇ……分かりました。こんな経験初めてですよ。でも、どういう事態です? 向こうの車に乗ってるのは友達ですか?」
「ねこです」
「ねこ……?」
「ねこです。つべこべ言わず、追ってください」
「は、はぁ」
困った顔の運転手には有無を言わせず、僕は順調に星野を追う。
星野の車はそのまま県道から高速道路に乗り、北へ進路をとった。福島、岩手を越える。メーターの金額はつり上がるが、手当たり次第にリュックに詰めたアイテムのなかに、たまたま札束が入っていたから助かった。あやうく星野に煙に巻かれるところだった。
それから青森に入ると、そこからはフェリーを乗って函館へ。星野の車は止まらない。また車を飛ばして稚内。稚内港から、ロシアのサハリン州コルサコフ港へ。たまたまビザとパスポートをリュックサックに放り込んでいたから良かった。
ロシアに踏み入れてからは、ひたすら電車とバスを乗り継ぎ、ただただ大陸を西へと向かった。
そしてついに僕らは、コルサコフ港からはるばる九一五〇キロメートル。北の大地ロシアはモスクワ州スターシティに着いた。「星の街」と名乗るこの街は、宇宙開発の前線基地みたいなものだ。宇宙飛行士の訓練施設がたくさん集まっている都市で、宇宙飛行士やその関係者しか入れない街だ。一般市民が入るには特別な手続きが必要だった。たまたまリュックサックのなかに身分証明のIDカードを入れていたから僕は星野を見失わずに済んだが、ここまできてあやうく全てが台無しになるところだった。
ここが終着点、僕はそう確信した。星野王子が「星の街」に居ることは、あまりにもしっくりきた。
星野がふいに振り返って、僕と視線がぶつかる。
「あれ? 君はたしか……」
星野がおもむろに喋った。思慮深そうな声だった。車の運転ができたなら喋れても無理はない。
そもそも、問題はそこじゃない。
僕の存在に気づかれた。長い旅路が終わって気を抜いていた。ロシアの見知らぬ街で、下手をこいた。
星野は、すたすたとねこらしいしなやかな歩き方で僕に近づく。絶体絶命の僕のすぐそこまで迫ると、すくっと二本の脚でたち、もふもふした片脚を僕のまえに差し出した。
「君が新しい訓練生か。よろしく、ぼくの名前は王子。宇宙飛行士の、星野王子だ」
求めに応じて握手する。小さな手のひらに、肉球に、力強い意志が乗っているような、そんな感触の握手だった。安直に表現するなら、まさに宇宙飛行士の手だった。
「あ、僕。訓練生なんすか」
これから始まる厳しい訓練の予感に、僕の心がひりついた。
* * *
宇宙でのミスは死を意味する。
だから、宇宙飛行士になったらほとんどの時間を訓練に費やされる。
いまさらながら宇宙に行くのは大変だ。いつかまた月面に立ちます。次には火星に向かいます。とんでもない大きな風呂敷を広げているけれど、いざたたむ為にぼくらがこなすのは小さな小さな問題を潰していくことだった。
たとえば、無重力での食べ方からトイレの仕方、修理に治療に野営術、それに閉鎖空間での仲間の遺体という感染症物質の保管方法まで。
想定されるほとんどの手順の、それらを小さく細切れにした反復練習。訓練教官は、シミュレーションに意地汚いトラブルをさんざん寄越してくる。
もううんざり。僕は慣れないロシア語にも積み重なった課題にも、辟易していた。
でも、星野は違った。
ねこの小柄な体に収まると思えないような知識とバイタリティを、彼は備えていた。成績は常にトップで、どんなピンチにも冷静沈着で、ユーモアに溢れている。彼の周りには人が自然と集まった。教官連中は口々に「ねこの手を借りたい」と言った。それはすべて心強いヒーローへの称賛だ。
僕はここにきて、まだ星野の背中を追わなければならなくなった。しかも屈辱を味わいながら、羨望のまなざしを向けながらだ。
なぜ、ここまで星野は宇宙飛行士としての才能に恵まれているのだろう。いつか星野は言っていた。
「僕は星の王子だろ? 外宇宙とは切っても切り放せないんだ」
だから、星野が次の宇宙ステーション長期滞在ミッションに選ばれることも当然のように思えた。
そして順当に、星野にミッションが通達された。それは、波乱の幕開けでもあった。
* * *
「──どういうことですか? 上官!」
薄暗い会議室に僕の声が響いた。部屋には、上官と僕が二人だけ。会議室にあるモニターには、星野が乗ってまさに飛ばされる直前のロケットと、すこんと抜けた青空の映像が流れていた。今日は星野が宇宙ステーションの長期滞在ミッションに旅立つ日のはずだ。上官は苦々しく言った。
「これは全て決まったことなのだ」
「そんなの冗談じゃない!」
「ふむ。付き合いの長い君には、星野の真実を伝えようと思ったのだがな……間違いだったか」
「どうして星野は、こんな無茶苦茶なミッションをしなきゃいけないんですか?!」
僕は上官から手渡された極秘資料を床に叩きつけた。散らばった紙の一番上には、こう記されていた。
極秘隕石破壊ミッションについての概要。
公表されているミッションは宇宙ステーションの長期滞在ミッションだが、本当は違う。星野がこれから向かうのは、いま地球に近づいている巨大な隕石を破壊しにいくという内容だ。
表向きには、このあと打ち上げ失敗で話を処理されて、その実、ロケットはそのまま隕石に向かい星野の操作で隕石を破壊。地球には細々にされた石ころが流れ星が降りそそぎ、地上に落ちる前にすべての星が燃え尽きる。もちろん星野もそのなかに含まれる。酷いミッションなのは一目瞭然だ。
上官は悪びれもせず言いのける。
「彼はひとつの隕石を、たくさんの無害な流れ星に変えるんだよ。彼が天才的なのは、身近に居た君がいちばん感じているはずだ。彼は生まれたころから、こういう事態のために特別に訓練してきた。彼の使命だよ。このまま隕石を見過ごせば、北半球は消滅する」
「でも、でも……そんなの生け贄じゃないですか。命をなんだと思ってるんだ!」
「地球のピンチだ、仕方ない」
「こんなの非人道的です!」
「彼はねこだ。人じゃない」
冷徹に言い放つ上官の胸ぐらを掴みかかる。いくらなんでも冷静になれない。
「……よくも、そんな屁理屈を……!」
上官の冷えきった瞳を見て、僕は馬鹿馬鹿しくなった。部屋から飛び出た。管制室を映す画面には、発射シークエンスに入ったアナウンスが流れていた。
「おい、どこへ行く!」
上官の怒声が飛ぶ。行く場所はひとつしかない。
* * *
「どおりゃあああ!」
「にゃああああ!」
発射直前のロケットのハッチを僕は蹴り破った。とつぜんの事態に、狭い船内にいる星野はめちゃくちゃ驚いていた。怒りに任せたばかりにどうやってここまで来たか覚えていない。ハッチをむりやり開けて、金魚鉢をひっくり返したようなヘルメット姿の星野に、僕は詰め寄る。
「星野、こんなこと、やらなくていい。いっしょに帰ろう」
「なにを言ってるんだ。なぜ、ここに?」
「そんなのどうでもいいよ。いくぞ」
「隕石は、どうするんだい?」
「どうする? たかだか北半球だろ? 星野と比べりゃ安いもんだ」
「子供じみたことを……。もうスタートは切られてるし、止まる訳にはいかないんだよ」
星野は僕から顔を背けて、冷たくあしらう。大人ぶった感じで腹が立つ。ヘルメットをばしっと掴んで、怒りをぶつけた。
「いや、そろそろ止まれよ!」
「なに?」
「日本からずっとずっと追っかけてきたんだよ、星野の背中を! 星野は誰よりも優秀だった。頭脳明晰なのに、驕りなんてひとつもなく、仲間には分け隔てなく気さくでさ、落ちこぼれの僕にだって。君がいるだけでチームの雰囲気はがらっと変わるんだ。ただの仲間の一人じゃない、憧れだ、ヒーローだ。だから、ずっとお前に憧れ続けて追っかけてたんだよ! それなのに……。なのに……嘘まで吐いて、こんな別れはあんまりじゃないか!」
「でも、これは大勢を助ける大事な任務──」
「──でも、じゃねぇよ。そんな正論は自分が犠牲にならないところで言うもんだろ。本心はどうなんだよ。本心を聴けるまで帰れるか!」
僕は思いの丈をすべて乗っけて叫ぶ。そして、重たい沈黙が、狭い船内を満たす。
星野は僕を睨むように見つめてから目をそらし、ふぅっとため息を吐く。そして、ゆっくりと首輪のネームタグに肉球をかけて──。
「──えい!」
力いっぱい切り放した。ぶちんと音が鳴る。
「そりゃあぼくだって、逃げたいさ! そんたの当たり前じゃないか! 使命だとか、こんな名前だとか、そんなもんがなかったら……なかったら、ぼくだって……」
船内に震える声がひっそりと響いた。
彼の力なくゆっくり開かれた肉球から、ふわりと「星野王子」のネームタグが舞う。星野の瞳から離れた涙が、無重力によって丸い水滴となって、かぶった金魚鉢ヘルメットの中を漂う。星野の本心は分かった。浮いたネームタグを掴み取って、僕は意を決する。
「なら任せろ。それだけ分かりゃ十分──」
開いたハッチから覗く地平線を見る。高さは五十メートル。僕は、おもいっきり星野の首根っこを掴んで体を翻して──。
「──だぁああああ!」
「にゃああああ!」
ロケットの外に飛び出した。空気を切る音が、心地よかった。着地のことは考えてなかった。(あれ、なんでさっき船内無重力だったんだろ?)
速度が増す。地上がみるみる近づいた。地面と激突するその瞬間。
ばっと僕は目を覚ました。扇風機がからからと回っていた。縁側には兄が、切り分けられたスイカの皿が置いていた。
「──いや、夢かよ! いや、そりゃそうか。ねこは喋んねぇわ、むちゃくちゃだわ」
「何言ってんだよ、ぬるくなる前にスイカ食えよ」
「あ、星野は?!」
慌てて庭を見ると、空は夕日に染まっていた。
「お前が寝てる間に、帰ったよ……って、あれ? 居るな、あそこに」
兄は近づくと、もう一つ気づいた。
「ネームタグどっかいってるな。散歩中に暴れたか」
兄の言葉に、僕は吹き出す。
いやいや、話せば長くなる事情があるんだよ。
と思ったけど話したくなる気持ちを飲み込んだ。偶然、偶然。話しても兄には馬鹿にされるだけだ。
そう思い直しながら、僕はスイカに手を伸ばす。
すると、手のひらから何かこぼれ落ちて、こつんと縁側をたたいた。
「マジか」
拾ったそれは、星野王子と記されたネームタグだ。
「なに、ニヤニヤしてんだよ」
兄が怪訝な表情で聞く。
「教えないよ」
と、ぼくは答える。教えても分からないよ。という意味も込めて。
次の日からも星野は庭に来て、どこかへ帰っていた。行き場所は分からない。
だけれど、ねこらしく自由にやっていけてると思うと、僕の心は晴れやかだ。
*おわり*
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