第10話 それぞれのプライズ

 一年後。

 森山宗景は秋の叙勲で紫綬褒章を授与された。

 病から立ち直った宗景は精力的に新作

 『光輪』

 を発表して世を驚かせた。

 一.六メートル×一.六メートルの真四角の画面に、

 真円が切られ、周りを何故かオタマジャクシがカエルになり、カエルが蛇に食われ、蛇がゼリー状のカエルの卵となり、オタマジャクシがかえり、成長してカエルとなり、また蛇に食われ、という小さな絵が連続してぐるりと装飾している。

 真円の中心にまっ赤な太陽が輝き、太陽には黒点が現れており、空は金箔で、円周を大地としてぐるりと森と田畑と街と山が広がり、そこに人々、動物たちが暮らしている。

 一種の曼陀羅絵だ。

 巨匠森山のこの意表を突く斬新な絵に人々はあっと驚き、大胆なデザイン性と、緻密な描写のリアリティーと、どことなくユーモアを感じさせる生の営みとに、六十四歳にしての新境地に唸り、賞賛し、不死鳥のごとき病からの生還に拍手を送った。

 巨人森山はその世界を広げたと言うより、世界を深化させ、市井の人々を優しく包み込む春の空気のごとき温かさを身につけた。

 と、美術メディアは病を経た精神性の変化を好意的に評した。


 叙勲のインタビューに答えて宗景はこの新作をこう説明した。

「こいつは光琳の野郎をぎゃふんと言わせてやろうと思って描いたんだ」

 と、夢の中で出会った琳派の三巨頭のことを楽しそうに話した。

 曼陀羅を描いたことと病の関連について問われると神妙に頷き、

「倒れるまで特にこれといった病気もせずに来たからねえ、恥ずかしながら病に苦しむ人たちの気持ちが初めて身に沁みて分かったよ。

 今回の絵は俺の絵としては小さいだろう? 有り体に言ってこれは病で体力が落ちたからだ。しかしな、大きい絵を見るのはそれだけ体力がいるだろう? 小さすぎても目が疲れるしな。つまりこれは今の俺にちょうどいいサイズで、見る人にとっても、病気や老いで体力を無くした人にも、見やすい絵だと思うんだ。

 そうだね、これは病気の俺を支えてくれた人たちへの感謝を表した絵だと言っていいね。まったく、恥ずかしい話だが、この年になってようやく人に感謝することを覚えたよ」

 と穏やかに笑った。

 一時期ひどいバッシングを受けてすっかり不人気となってしまった過去の作品を今現在自分でどう評価するか尋ねられると、宗景はニヤリと謎めいた笑みを浮かべて答えた。

「皆いい作品だと思うよ。今の俺はどの芸術に対しても寛容なのだ。ま、一生懸命良い物を生み出そうと努力した物はね。俺は過去のそうした自分も認めてやっているよ」



 森山宗景に関して、一年半前展覧会を催した美術館が絵のクリーニングに関して謝罪声明を行った。

 クリーニングに使用した洗剤と、『黄金の黄昏』に使用された特殊な画材が化学反応を起こし、微量ではあるが有毒なガスを発生させていることが判明したのだ。日本からの報告で来日した美術館専門スタッフもこれを確認した。


『ガスはほんの微量なものではありますが、繊細な芸術鑑賞でお客様の精神状態に悪い影響を与えたことは十分予想され、会場を訪れたお客様及び森山宗景画伯にはたいへんなご迷惑をお掛けしてしまったことをここに謝罪するものであります』


 と。

 美術館は森山の名誉回復のため『黄金の黄昏』の再展示を招聘し、宗景も快く応じた。


 すっかり森山宗景再評価の気運が高まり、再び作品が活発に取り引きされるようになった。

 一年前オークションで二束三文で買いたたかれた代表作たちは再びオークションに掛けられ、スタート値の十倍、百倍、千倍で買われた。

 再び完璧な状態でニューヨークで公開された『黄金の黄昏』も今回は「都市生活の風景の中に突如現れた現代のジャポニズム」となんだかよく分からない感心のされ方をして、ともかく好評である。

 新作『光輪』と共に今、森山宗景は第二の絶頂期を迎えている。


 ニューヨークと言えばこちらに居を構えた砂川美羽も精力的に活動し、好評を得ている。

 彼女の絵は森山の『黄金の黄昏』と同じフロアに展示されている。


 宗景は「砂川夕陽美術館」を訪れ、美羽から譲られた『雨雲の中の太陽』を寄贈し、スタッフから喜ばれた。

 宗景は石川雄飛が自ら命を絶った現場で合掌し、深い哀悼の意を表した。




 さて。


 話はまったく変わるが、

 この頃紅倉美姫はある事情で都落ちし、芙蓉美貴と共にとある地方都市に小さな貸家を借りて住んでいた。

 栄枯盛衰を絵に描いたような暮らしぶりであるが、ここに一つの大きな荷物が届けられ、狭い部屋にでーんと置かれた。

 何かと言えば、

 ドミニク・アングルというフランス新古典派=アカデミズムの極致とも言える画家がいるが、そのアングルに『泉』という擬人化された泉である全裸の少女が肩に担いだ瓶から水をあふれ出させているという絵がある。

 その少女を実在の少女の原寸大で立体化した、一流工房に特注した一点物のマネキンである。

 問い合わせたら作ってくれると言うので注文したが、百万単位の買い物である。コンピューターで3Dデータを作って大まかな全体像は特殊プラスチックをレーザーで固めて作るのでプロポーションは完璧だ。細部も熟練職人が綺麗に仕上げている。

 芙蓉の予想通りであるが、立体化されたリアルな裸の少女はとてつもなくエロチックである。 芙蓉はポッと頬を染めて『泉』ちゃんを鑑賞する。

 紅倉に立体化して面白い絵はないかと訊かれて、半ば悪乗りでこの絵を選んだのは芙蓉だ。モナリザなんか立体化しても気持ち悪いだけだろう。芙蓉の名誉のために言っておくと芙蓉に少女趣味はない。もうちょっと大人の綺麗系の女の子が好きだ。………なんのフォローにもならないが。

 注文したのは一年前だ。商品が完成して代金を支払ったが、その支払いに充てたのは森山宗景の絵をオークションに出品して得た利益からである。数百万円の支払いも、利益全体から見ればほんの一部に過ぎない。

 すっかり落ち目の宗景の絵を二束三文の値で買い漁ったのは誰あろう紅倉である。そうして今、以前に数倍する値で全部売ってしまったのだから、確信犯である。悪い女だ。

 そうして悪趣味な買い物をした紅倉は、

「ふむふむ、なるほど、ここの曲線がこうなって」

 としたり顔で裸の少女のマネキンをべたべた触りまくり、

「これがほんとの芸術に触れるってことね」

 とご満悦である。

 芙蓉は江戸川乱歩の「盲獣」という気持ち悪い小説を思い出した。白い目でエロまがいの紅倉を見つつ、

「生きた芸術に触れたいならここにあるのに……」

「へ?」

「……いえ、けっこうです……………」

 赤くなった。

 念願の芸術に触れて大喜びの紅倉を、どうせすぐ飽きるんだろうなあと眺めつつ、自分も後で触れさせてもらおうとおよそ芸術とはほど遠い感性で思う芙蓉だった。



 おわり



    2010年6月作品

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霊能力者紅倉美姫22 呪う絵 岳石祭人 @take-stone

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