5.
そのあと。
結局絵の具は、パパが遠い町まで買いに行くことになりました。ジャンさんが注文しても、届くまでかなり時間がかかってしまうからです。ペルショワールは『とりのくに』で一番大きな町ですが、絵の具を作っているのは別の町なのでした。
「やれやれ、災難だったね。うまく絵の具が手に入ってよかったよ」
パパが半日をかけて、絵の具を作っている町まで飛んで、足りない色を買ってくることができたので、事なきを得ました。
「あなた、ありがとうね」
キャンバスに向かいながら、ママが改めてお礼を言います。
「なあに、ちょうど体がなまってたんだ。いい運動になったよ」
翼をパタパタさせて、「このくらいへっちゃらさ」とアピールをするパパ。
「さて、と」
愛用している小さな肩かけかばんを開けて、パパがくちばしで紙きれを取り出しました。テーブルの上に広げて、読み始めます。
「パパ、それなあに?」
「うん? これはね、『新聞』っていうんだよ」
「しんぶん?」
聞いたことのない言葉です。シャルは首をひねりました。
「いろんなニュースが書かれている紙だよ。最近、郵便ギルドが始めたんだ。せっかく色んな情報が入ってくるんだから、それを紙に印刷して売りものにしちゃおう! ってことになったのさ」
「ふ~ん」
シャルもパパの隣りに座って、新聞に目を向けます。
『とりのくに』は郵便が盛んな国です。なので、読み書きも非常に大切だ、と考えられています。
シャルはまだ小さいですが、ときどき行く学校で読み書きを教わっているので、近頃はちょっと文字が読めるようになってきました。
「いぬの、くに、と、ねこの、くに、の、せ……せん? これなんだろ?」
「シャルも読めるようになってきたんだね。『いぬのくに』と『ねこのくに』のケンカが、おわったんだってさ」
「へえ。どっちが勝ったの?」
シャルの何気ない質問は、意外と難しかったのか、パパが新聞をにらんで、「うーん」とうなります。
「……引き分けみたいだね。どっちも大勢がケガをして、犬やネコになってしまった人もたくさんいるんだってさ」
「えー、かわいそう。やっぱりケンカなんてしちゃだめだよ」
「本当に、そのとおりだねえ」
パパはためいきをついて、新聞を畳みました。
「ま、ひとまず平和になったのはいいことさ。『いぬのくに』も『ねこのくに』も、うまく仲直りできるといいんだけどね」
「いっしょにおいしいものを食べたらいいとおもう! おうさまみたいに、パーティーをひらけばいいんじゃない?」
「それはいいアイディアだね!」
はっはっは、とパパは楽しそうに笑いました。
「そういえば、おうさまのシェフは、いつごろ来るの? パパ」
「来年の春くらいかなぁ。まだまだ先の話だねえ」
「楽しみ~!」
おうさまのお城で出されたという、ごちそうを夢見てよだれをたらしそうなシャル。
「ね、パパ。『おうさまのくに』で、何かほかにおもしろいことって、なかったの?」
「うん? 面白いことかぁ~」
パパはわしゃわしゃとくちばしで毛づくろいしながら、少し考えます。
「そうだ。郵便ギルドの『おうさまのくに』支局で、一回手紙を配達したんだけど、そのときにちょっと面白いことがあったよ」
「なになに?」
「サナトリウム、って知ってるかい?」
また、知らない言葉です。
「しらなーい」
「サナトリウムっていうのは、病気の人や、お年寄りで体調の悪い人が体を休めるための……そうだね、病院みたいな場所のことさ。景色がよくて、空気のおいしいところに建てられるものなんだ。そしてパパは、そこへ手紙を配達した」
配達したのは、サナトリウムへ入居している『デュボワ』という名字のおじいさんへの手紙だった、とパパは言います。
「サナトリウムは、海に面した崖の上に建っていた。きれいな場所だった……とても高い崖だから、地上にいても空を飛んでいるような気持ちで、景色を眺められるようになっていたよ。そして周りは豊かな草原で、夏の終わりの花々が一面に咲き誇っていた。パパがはばたくのにあわせて、海から吹き上げる風が緑の葉っぱや花びらを散らして、空のお花畑を飛んでいるようだったよ」
「へぇ……」
シャルは海を見たことがありません。ですが、お花畑なら想像がつきます。
まだ見ぬ景色を思い描いて、楽しい気持ちになりました。
「そして、そのままサナトリウムに着いた――のまではよかったんだけどね」
夢見るような口調から一転、ひょうきんにパパは語ります。
「実際に訪ねてみると、困ったことになったんだ。『デュボワ』って名字のおじいさんが、三人もいたんだよ」
『アルノー・デュボワ』
『ジェラール・デュボワ』
『クリストフ・デュボワ』
なんと、同じ名字のおじいさんが、三人もいたのだそうです。
そして、手紙の封筒には『デュボワさんへ』としか書いていなかったため、パパはもうお手上げ状態だったとか。
「パパは支局で手紙を渡されただけだから、差出人がどんな人なのかわからない。そしてなぜか封筒に差出人の名前も書かれていなかったせいで、誰へあてた手紙なのかわからなくなっちゃったんだ」
そして始まったのは、手紙の取り合いでした。
「三人のデュボワさんが『これはワシにあてて孫が書いてくれたにちがいない』『いいや、これはワシへの手紙だ』『いやちがう、これはワシのだ!』って、取り合って、しまいにはケンカまで始めちゃってね……」
「またケンカ!」
そんなところでも争いはなくならないのか、とシャルは嘆かわしい気持ちになります。
「おなじ名前なのに、なかがわるいの?」
「いや、名前は関係ないんじゃないかな。やっぱり、みんな病気だったり、体調が悪かったりで、長いことサナトリウムにいたから、ふさぎこんでいたんだよ。家族からのお便りを恋しく思ってたんじゃないかな。だから、思わず取り合いになっちゃたんだよ」
誰でも、寂しいときは救いを求めたくなるものです。
「それで、そのおじいさんたちはどうしたの?」
「もう、誰への手紙かわからないから、仕方なくみんなでいっしょに読んでみることにしたんだ」
読めば、誰へあてた手紙なのかはっきりするだろう、という考えだったようです。
「ところが、そのお手紙は中身もヘンでね」
「何が書いてあったの?」
「『親愛なるお父さまへ、お元気ですか~』っていう、よくある始まり方だったんだけど、『あなたの可愛い孫が、病気になってしまった』『お医者さんにみせたら、治療費が足りないと言われた』『至急、これこれの住所まで、小切手でお金を送ってほしい』なんてことが書いてあってね……」
「小切手ってなあに?」
肝心なところが、シャルにはわかりませんでした。
「ああ、お金のかわりになる小さな紙切れのことだよ。その紙にサインをして数字を書くと、そのぶんのお金を銀行から引き出せるんだ。要は、自分で好きな金額を決められるお金、みたいな感じかな」
「へぇ~。じゃあそのお手紙は、三人のどれかのデュボワさんの家族が送ったものだったの? お孫さんが病気になっちゃったの?」
「う~ん、それにしちゃあ、おかしなところがあったんだよ」
シャルは思わず心配してしまいましたが、パパの口ぶりからするに、どうやら違うようです。
「手紙を読んだ三人のデュボワさんは全員大慌てで、『自分の孫かもしれない! すぐに小切手を用意しなければ』と騒ぎ始めたんだけど、パパは『これはおかしいですよ』ってみんなを止めたんだ。……『とりのくに』でも一時期流行ったけど、これは詐欺なんじゃないかと思ってね」
家族や知り合いのふりをして手紙を送り、小切手でお金を振り込ませる。そんな手口の犯罪が、『とりのくに』で問題になったことがありました。
そして郵便ギルドが広がり始めたばかりの『おうさまのくに』では、そんな詐欺があることが、よく知られていなかったのです。
「差出人の名前も、そして、あて先のデュボワさんの名前――名字じゃなくてね――が書かれてないのも、ヘンだと思ったんだ」
パパが指摘すると、デュボワさんたちは、
『突然のことで、気が動転していたのかもしれない』
『慌てて手紙を出したので書き忘れたのかも』
『万が一の可能性がある』
と、まだ心配していたそうです。
「『でも、慌てて書いたにしては走り書きでもないし、手紙の文面が丁寧すぎませんか?』とパパが続けてたずねると、さすがにちょっと、おかしいんじゃないか、とみんな気づき始めてね」
『言われてみれば、息子の字とはクセがちがう』
『ワシ相手に、こんなよそよそしい言い回しをするものか?』
『そもそもワシに頼らねばならんほど、金に困っているはずもない』
などと、おかしな点に次々気づいて、落ち着きを取り戻したそうです。
「けっきょく、どうなったの?」
「パパがいったん、郵便ギルドにもどって、手紙に書かれていた住所を調べたよ。そしたら、病院でも何でもなくて、ただのお家だったんだ。ギルドの職員が念のために確認しに行ったら、案の定、悪い人たちでね」
どうやら、サナトリウムに『お金持ちのデュボワさん』がいることを聞きつけた悪い人たちが、騙してやろうと息子のふりをして手紙を送ったのだそうです。
しかし、悪い人たちにとって想定外だったのは、サナトリウムにデュボワさんが三人もいたこと。
そして、その手の悪いことに詳しいパパが、たまたま居合わせたことでした。
「そんなわけで、悪い人たちは捕まって、デュボワさんたちも仲直り。デュボワさんたちの家族も心配してお見舞いに来たり、本当に手紙を書いてくれたりして、寂しい思いをしていたデュボワさんたちも喜んでたよ」
「へぇ~。『わざわいてんじてふくとなす』、ってやつだね!」
シャルは得意げに言いました。
「はっはっは、そのとおりだね。パパも、それぞれのデュボワさんとお話できて、楽しかったよ。アルノー・デュボワさんは人形師で、色んなお人形を作ってたんだって。ジェラール・デュボワさんはワイン農家で、機会があったらとっておきのワインをプレゼントしてくれるってさ。クリストフ・デュボワさんは商人だったらしくてね……」
パパは、それぞれのデュボワさんのお話を聞かせてくれました。
しかし、しばらく話していると、パパが「ふわあ」とあくびをしました。
「うーん。そろそろ、おやすみの時間かな」
窓の外は、日が沈んで、暗くなりつつあります。
「今日は運動したから、気持ちよく寝れそうだなあ」
「あはは。パトリスおじいちゃんにはこまっちゃうね!」
パパが予期せぬおつかいをする羽目になったのを思い出して、シャルはくすくすと笑いました。
あのあと、パトリスおじいちゃんはさすがにバツが悪そうでした。まあ、自分のせいでママに迷惑がかかって、道具屋のジャンさんも面目丸潰れだったので、当然といえば当然ですが。
まさかママも、きちんと注文した絵の具が、忘れられていて届いていないとは思ってもみなかったでしょう。もしもパパがいなかったら、今ごろは、絵のお仕事が大変なことになっていたかもしれません……
「まあ、まあ。パトリスさんは、お昼は眠くて仕方がないみたいだからねえ」
同じ鳥だからか、パパは同情的です。
「パトリスさんはたしかに、お昼は寝ぼけているのか、ぼけているのかわからないような感じだけど、夜になるとすごくシャキッとしてるんだよ」
「ええっ。ほんとに~?」
ぼんやりしていて、気がついたらすぐに寝てしまうパトリスおじいちゃんしか知らないシャルは、疑わしげでした。
「本当だとも。フクロウは夜行性だからね、仕方ないんだよ。逆に、シャルやパパたちが寝ているころには、町の平和を守ってくれているんだから、感謝しないとね」
「えっ、そうなの?」
道具屋さんの店番、としか思っていなかったパトリスおじいちゃんには、どうやら別の顔があるようです。
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