9.
そして、週が明けました。
ペルショワールの町は、ちょっとしたお祭りのようになっています。
今日は、クレールお姉ちゃんが空にかえる日だからです。
「みんなー! 集まってくれてありがとー!」
宙を舞いながら、クレールお姉ちゃんが元気に叫びます。
今日のクレールお姉ちゃんは、特別におしゃれをしていました。カナリアの黄色の羽によく似合う、水色のドレスのような服を着ています。
ところどころにフリルがついていて、かわいらしいレースもあしらってあって、小柄なクレールお姉ちゃんが飛ぶ姿は、まるで物語に出てくる妖精のようでした。
「みんなのために、歌いまーす!」
「おおおおー!」
「いいぞいいぞー!」
お花屋さんの屋根に飛び乗って、クレールお姉ちゃんがリサイタルを始めました。それにあわせて、集まったご近所の人たちも、いっしょになって歌い、人によっては楽器を持ち出して演奏します。
楽しく歌ってひとしきり踊ってから、今度はみんなが列になって、クレールお姉ちゃんを先頭に町をねり歩きました。
そうする間に、みんながかわりばんこに、一人ひとり、クレールお姉ちゃんにあいさつをするのです。
「シャ~ルちゃん!」
シャルが会いにいくと、クレールお姉ちゃんは、いつもみたいに少し間延びした声で、名前を呼んでくれました。
「ねえ、お姉ちゃん。本当に今日、お空にかえっちゃうの?」
「うん、そうなの。よばれている気がするから……」
シャルの肩にとまって、クレールお姉ちゃんは空を見上げます。
「だれによばれているの?」
「色んな鳥に。……シャルちゃんは誰かを見送るの、はじめて?」
「……うん」
シャルは、不安そうに、こくりとうなずきました。
「それは、とっても光栄ね! あたしが一番だなんて!」
あははっ、と明るく笑って、クレールお姉ちゃんがシャルを中心に飛び回ります。
あんまりにも、クレールお姉ちゃんの様子がいつもとかわらなくて、シャルはちょっと安心しました。
「だいじょうぶよ、心配しなくても。またいつか会えるんだから」
再びシャルの肩にとまって、クレールお姉ちゃんはぱちんとウィンクしました。
「だからシャルちゃん、元気でね。あたしのことも、笑って見送ってちょうだい!」
「……うん。わかった。お姉ちゃんも、げんきでね!」
「ええ!」
こくりとうなずいて、クレールお姉ちゃんはパタパタとみんなの上を飛び回ります。
「それじゃあ、あたし、そろそろ行くね!」
クレールお姉ちゃんがそう叫ぶと、にわかに、風が吹き始めました。
ペルショワールは、鳥に住みやすい町と言われています。
なぜなら上向きのいい風がふいて、空高く飛びやすいからです。
ですが、今ここでふく風は、その中でもとびきり強くて優しい風でした。
まるで――すべてを包み込むような。
「いってきまーす! みんな、またねー!」
つばさを広げて、ほとんどはばたくこともなく、クレールお姉ちゃんはどんどん空高く昇っていきます。
「それじゃあ、ぼくも見送りに行ってくる」
胸にリボンをつけて、特別におしゃれをしたパパが、そのあとに続きました。
いえ、パパだけではありません。町のあちこちから、鳥たちが飛び立って、お見送りをしています。
「クレール! とびきりのジャムをつくったからー!」
ママが叫んで、バラのジャムを詰めた瓶をかかげました。
すると、重さを失ったように、まるで翼が生えたかのように、ふわりと瓶が宙に浮いていきます。
「クレール! 向こうへのおみやげだ! 果物の詰め合わせだぞー!」
「あなたの好きなシナモンパイ、焼いたからー!」
「お前がほしがってたスカーフだー! 持っていってくれー!」
みんなも次々に、贈り物をかかげていました。それらはすべて、クレールお姉ちゃんのあとを追うように空に浮かび上がっていきます。
「クレールお姉ちゃーん!」
シャルも、名前を呼びながら、手作りのリボンの飾りを風にのせて飛ばしました。
くるくるとダンスをするように、リボンが空へと消えていきます。
「さあクレール! 行ってきな! 今日はおおばんぶるまいだよ!」
お花屋さんの店長、フローランスさんが、ごうかいに花びらを撒き散らしていました。
おお、とみんながどよめきます。まるでふぶきのように、色とりどりの花びらが空へ。
そしてきわめつけに、町の男たちが、いっせいにラッパを吹き鳴らします。
プァ――ッと甲高い音。ルショワールの山が震えるような、大きな音でした。
「あはは! ありがとう、みんなありがとう! すごくきれい……それに、体がとっても軽いの!」
空高くから、かすかにクレールお姉ちゃんの声が聞こえました。
「みんな、ありがとー! またね――……!」
その声は、尾を引くように、少しずつ小さくなって。
クレールお姉ちゃんの体も、豆つぶのようになって、空の青ににじんでいって。
やがて――見えなくなりました。
「クレール……! 元気でね……!」
花びらをつめていたカゴを抱きしめて、フローランスさんは、笑いながら涙を流していました。
「フローランスさん、ないてるの?」
シャルが心配そうにたずねると、フローランスさんはうなずきます。
「そうよ。……クレールが、あんまりにもきれいだったから」
パタパタ、バサバサバサ、と羽音がひびきます。
お見送りにいっていた鳥たちが、空から戻ってきたのです。
「パパぁ!」
その中に真っ黒なワタリガラスを見つけて、シャルはかけよります。
無性に、パパのふさふさの体を、抱きしめたい気分でした。
「やあ、シャル。ただいま」
大人しく、シャルの腕に抱かれたパパは、やっぱりいつもどおりで。
シャルはそれからお家に帰るまで、ずっとパパを抱きしめたままでした。
手を放したら、また飛んでいっちゃうんじゃないか、と。
どうしても、それだけが、ちょっぴり不安でした。
こんな気持ちになるのは、初めてのことでした。
その夜、シャルは窓からお空を見上げていました。
昼はあれだけ青かった空も、今は真っ暗です。
「ねえ、パパ」
「うん?」
隣には、ワタリガラスのパパ。
「クレールお姉ちゃん、どこまで行ったか、パパには見えた?」
「いや、見えなかったよ。パパも頑張って追いかけたんだけどね。あっという間に天高く昇っていっちゃって、とてもじゃないけど追いつけなかった」
「ふうん、そんなに高いところなんだね……」
クレールお姉ちゃん、今どうしてるかな。
そんなことを、考えました。
旅立つとき、あんなに元気だったので、きっと今も元気でしょう。
「パパもいつか、お空にかえるの?」
「そうだね。いつかは」
「いつかって、いつ?」
「わからないなぁ。でも、まだまだ先の話だよ」
のんびりとした口調のパパに、なんだか、シャルも安心しました。
「ねえ、パパ。何かお話して」
「お話かぁ……」
うーん、と考えこみながら、パパの翼がシャルの頭を撫でます。
「そうだなぁ。じゃあ、お空の果てに住む、とっても大きな鳥さんのお話をしようか」
「大きな鳥さん?」
「そう。その鳥さんは、はばたいたら嵐が起きてしまうほど大きいんだ。でも、とっても高いところを飛んでいるから、ふつうの人には見えない。逆に、その鳥さんは、ぼくらのことをいつも見守ってくれているんだけどね。そしてときどきぼくらのお願いごとを聞いてくれたりもする」
「おねがいごと?」
「そうさ。シャルは今、なにか欲しいものはあるかい?」
「え? ほしいもの? うーん……」
急にたずねられて、シャルは思わず迷ってしまいました。
「自分用の、筆と絵の具、かな?」
いつもは、パパやママのを借りてお絵描きをしていますが、そろそろ自分のものが欲しいな、とシャルは思っていました。
そして、できれば。
今日見た光景を、きれいなクレールお姉ちゃんの姿を、絵に描きたい、と思いました。
「そうかい。じゃあ今度、鳥さんにそれをお願いする手紙を書いてみよう。うまく書けたら、パパがその鳥さんまで手紙を届けてあげるよ。そうしたら、年が明けるころにはそれがもらえるかもしれない」
「えっ、ほんと!?」
シャルはきらっと目をかがやかせます。
近ごろ、シャルはほとんどの文字を書けるようになってきました。
頑張ればきっとお手紙も書けるはずです。
「やったぁ! パパ、そんな大きな鳥さんにも手紙を届けられるんだね!」
「そりゃあそうさ。パパは郵便屋さんでもあるから」
そう言って、パパはいつものように笑います。
「いいなぁ。お空を飛べるのって」
ふいにうらやましくなって、シャルはまた、窓の外を眺めます。
「高いところから色んなものが見えるし、お手紙も届けられるし。わたしも、鳥になって空を飛びたいたいなぁ」
シャルがそう言うと、パパが今度はクスクスとおかしがるように笑いました。
「心配しなくても、シャルもいつかは鳥になるよ」
「いつか、って、いつ?」
おとなって、『いつか』ばっかりだ、とシャルはくちびるをとがらせます。
「それは、人によるかなぁ。おじいさんやおばあさんになってから鳥になる人もいるし、パパみたいにある日突然、鳥になっちゃう人もいる。……でも、いずれにせよ、急ぐ必要なんてないんだよ、シャル」
パパは、やさしい目で言いました。
「人間の体じゃないと、できないこともたくさんあるんだ。だから、今のうちに、人間として色々なことを楽しんでおきなさい」
鳥として生きているパパが言うと、説得力がありました。
ひとたび鳥になってしまうと、人間に戻ることはできません。
パパは、くちばしや翼を使って、器用に絵を描くこともできますが、それでも、人間の体の方が描きやすい、とはいつも言っています。
「う~ん……わかった」
お空を自由に飛びたいのはたしかです。
ですが、シャルもお絵描きは好きですし、かけっこや踊りも好きです。
そしてきれいな飾り文字を書くカリグラフィーだってやってみたいですし、楽器にも興味があります。しばらくは、ふつうの人間の方がいいでしょう。
シャルも、そう思って、今は人間として楽しむことに決めたのでした……
ここは、『とりのくに』。
人が鳥になってしまう、ふしぎな国です。
『その日』がいつ来るのかは、誰にもわかりません。
ですが『とりのくに』では、人は突然、鳥になってしまいます。
だからそれまでは、人として、いっしょうけんめいに生きていくのです。
――いつか、自分があこがれた鳥のように、自由に飛ぶ日を夢見ながら。
おわり
ワタリガラスになったパパ 甘木智彬 @AmagiTomoaki
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