8.


 お家に帰って、ママはお花屋さんで買ったバラの花束をモデルに、絵のお仕事を始めました。


 シャルは、お勉強には飽きたので、ママといっしょにお絵描きをすることにしました。字の練習では粘土板を使いますが、絵に関しては、パパもママも紙やえんぴつ、筆、絵の具などをわけてくれます。


 せっかく描くんだから、きちんとしたもので描きなさい、と言ってくれます。シャルはお絵描きも大好きなのでした。ママの真似をしてペタペタとバラを描いていると――


 コンコン。


 と、お家のドアがノックされました。


「あら。誰かしら」


 ママが顔を上げて、玄関に出ます。


「はあい。どなた?」

「これはどうも。こんにちは」


 ドアの外に立っていたのは、知らない男の人でした。渋い顔立ちで、背筋がピンと伸びています。仕立てのいい上等な服を着ていて、白髪まじりの灰色の髪の毛は頭のうしろにぴったりと撫で付けられており、清潔感があります。そしてパパのようにかっちりとしたネクタイをしめていました。


「初めまして。ワタリガラスのシモンさんのお宅でしょうか」

「はい、そうです。シモンは夫ですが……あなたは?」


 ママが少しふしぎそうにしながら応対します。めずらしいことに、町で一度も見かけたことがない人でした。よその町から来た人でしょうか。


「これは失礼、申し遅れました。わたくし、セバスティアンと申します。わたくしの主人クリストフ・デュボワ様の使いとして参りました」

「クリストフ・デュボワ……様?」


 ママが首をかしげます。どこかで聞いたような名前です。


「デュボワさんって、おうさまのくにで、お手紙のさぎにあった人?」


 ママのうしろからひょいと顔を出して、シャルはたずねました。シャルの質問で、ママも思い出したようです。


「ああ、あのデュボワさん?」

「そうです、そのとおりです。シモンさんには、クリストフ様が助けられたそうで」


 セバスティアンさんがニコニコと笑います。たずねてきたときは、キリッとまじめそうな顔をしていて、どこか冷たい印象を受けましたが、笑うととてもやさしそうなおじさんでした。


「あの、はるばる『おうさまのくに』からいらしたんですか?」

「はい。実はこのたび、クリストフ様は、ここペルショワールに引っ越してこられることになったのです。今はこの町の宿屋に滞在しておられますが、適当な家が見つかり次第、本格的にお住まいになる予定です」

「まあ、まあ!」


 ママがびっくりして変な声を上げました。


 ペルショワールにも、お引っ越ししてくる人はたまにいますが、よその国から来る人は大変めずらしいのです。ましてや『おうさまのくに』は、鳥が飛んでも数日はかかるような遠い遠い国です。


「クリストフ様も、長旅でお疲れのようではありますが、またぜひ、シモンさんにお会いしたいとのことで。こうしてわたくしが、お伺いしたわけです」

「なるほど、そういうことでしたか。残念ですが、主人は今、出かけております。今日は帰りも遅くなる予定でして……」


 パパの姿を探すように、空を見上げるママ。


「いえいえ、こちらも突然お伺いして申し訳ございません。できればシモンさんがお帰りになられたら、クリストフ様のことをお伝え願えませんか」

「はい、もちろんです。主人も喜ぶと思います」


 そうして、セバスティアンさんは、手土産のお菓子の箱をママに渡して、クリストフ・デュボワさんが泊まっている宿屋の名前を教えてから、去っていきました。


「……びっくりしたね」

「ええ、本当に。まさか『おうさまのくに』からはるばる、引っ越してくるなんてねえ」


 セバスティアンさんが帰ったあとも、お菓子の箱を手に持ったまま、ママは茫然としています。


「パパもびっくりしそうだね!」

「そうね、わたしたちより、もっとおどろきそう」


 実際にどれだけ遠いか知ってるでしょうから、とママは言いました。



     †††



 次の日。


 パパは、シャルとママをつれてクリストフ・デュボワさんに会いに行きました。昨日の夜、デュボワさんのことを聞いたパパは、やっぱりびっくり仰天していました。


 単にクリストフさんが『おうさまのくに』からやってきたことだけではなく、サナトリウムに入居しなければならないほど具合が悪かった人が、実際に長旅に耐えてきたことにも、驚いていたのでした。


「おひさしぶりですね、クリストフさん」


 宿屋の、一番上等なお部屋に、クリストフさんはいます。パパは頭のシルクハットに翼の先で触れて、一礼しました。


 部屋の奥。セバスティアンさんがひかえる横で、ふかふかなクッションに埋もれるようにして、四角い顔のおじいさんがベッドに寝ています。


「おお、シモンさん。こうしてまたお会いできるとは」


 軽く身を起こして、にっこりと笑うクリストフさん。深いしわが刻まれたお顔。やさしそうでもあり冷たそうでもある、すごみのある顔つきをしていました。少しばかり疲れているように見えますが、顔色は悪くありません。


 クリストフさんの視線が、パパから、ママとシャルの方へ移りました。


「そして、奥方様と、娘さんですかな」

「はじめまして、アリッサと申します」

「シャルロット、です」


 なんだかすごそうな人だったので、シャルは緊張してしまいます。知らず知らずのうちに、スカートのすそをぎゅっと握っていました。


 ここに来る前、自分たちもついていく必要があるのか、ママは不安そうでしたが、パパがいっしょに来るように言ったのでした。なんでも、サナトリウムでは家族の話題で盛り上がって、『かなうことなら、妻と娘も紹介したいものです』『ぜひぜひ』などというやりとりがあったのだそうです。


「……それにしても、クリストフさん。はるばる『おうさまのくに』から、なぜご無理をなさってまで、『とりのくに』に?」


 家族の紹介が終わって、セバスティアンさんのいれたお茶をのみながら、パパはクリストフさんに問いかけました。


「無理、というほどではありません。たしかに、長旅は少々堪えましたが……わたしも歳ですから、な」


 ぬるく冷ましたお茶を飲みながら、ベッドでクッションに身をあずけるクリストフさんは、しわがれた声で答えます。


「わたしは、商売で少しばかり成功を収めましたが、思えば仕事ばかりの人生でした」


 カチャッ、とカップを置いて、静かに話し始めるクリストフさん。


「たしかに充実はしておりましたが、息子に商売を任せるようになってからは、なんだかこう、燃え尽きてしまいましてな。心が弱ったのか、体も悪くなって、サナトリウムに入りました……」


 そのまま、窓の外を見やるクリストフさんは、どこか寂しそうで。


「サナトリウムには、わたしと同じような人もおり、新しく友人もできましたが、やはり寂しいものでした。若いころ、わたしはあまり家族に構っておりませんでしたから。手紙の一件でそれを反省したところです。そして今となっては、もっとああしておけばよかった、こうしておけばよかった、と後悔ばかりがわいてくる……」


 ですが、と胸のあたりを撫でて、ため息をつくクリストフさん。


「今から取り返そうにも、体にガタがきておりましてな。そこで、シモンさん、あなたを見て思ったのです。……わたしも、鳥になりたい、と」


 じっと、クリストフさんがパパを見つめます。


 静かな眼差しです。


 しかし、強い光を宿していました。


 きっとそれは、あこがれの炎です。


「わたしも……鳥になれれば。今まで行ったことのないところへ飛んでいける。そうして色々なものを見て、聞いて、学んで、それを家族に話したい。シモンさん、あなたのように……。そんな願いが、抑えられなくなってしまったのです」

「なるほど……」


 パパは、神妙にうなずいています。


『とりのくに』で生まれた人は、いつか鳥になります。


 そしてまれに、外国の人が『とりのくに』ですごしていて、鳥になってしまうこともあります。クリストフさんがわざわざ引っ越してきたのも、そういうことなのでしょう。


『いぬのくに』や『ねこのくに』の方が、もっと近かったはずですが――クリストフさんは、それよりも鳥になりたかったのです。


 ですが、かならず鳥になれるとは限りません。


 むしろ、外国の人は、なれないことが多いのです。


 それでも。


 それでも――


「そういうことでしたら、『とりのくに』はあなたを歓迎するでしょう」


 とてもやさしい声でパパはそう言って、舞台でするように優雅に一礼しました。そしてクリストフさんの横、ベッドに飛んでいって、握手をするように翼で手にふれます。


「ようこそ、『とりのくに』へ」

「……ありがとう、シモンさん。わたしたちはこのあたりは不慣れですからな。もしよろしければ、何かと教えていただければ、嬉しく思います」

「ええ、こちらこそ。これからもよろしくお願いします、クリストフさん」

「はっはっは。老い先短いかもしれませんがな」

「ご冗談を」


 わっはっは、とパパも声をあげて笑います。にこやかなクリストフさんとやさしいパパの二人が、なんだかとっても眩しくて、知らず知らずのうちにシャルも笑っていました。




 帰り道。


「クリストフさん、いい人だったね」


 おみやげのお菓子をたくさんもらったシャルは、ご満悦でした。


「そうだね。でもまさか、『とりのくに』にまでやってくるとは……」


 よく無事にたどり着いたもんだ、とパパは未だにびっくりしています。


「それにしても、クリストフさんは鳥になれるかしらね」


 ママは、ちょっと心配そうにしていました。


「……わからない。よその国の人がなれるかどうかは、本当に運次第だからねえ」


 なれたらいいんだけど、とパパは肩をすくめます。


「……そういえば、よその国の人たちは、どうなるの?」


 ふと、ぎもんになって、シャルはパパとママにたずねました。


「うん? どうなる、って?」

「『とりのくに』の人は鳥になるでしょ。『いぬのくに』の人は犬に、『ねこのくに』の人はネコになるよね? それなら、『おうさまのくに』の人たちは何になるの? もしかして、みんなおうさまになるの?」


 でも、それはなんだかおかしな気がします。パパの話によれば、おうさまは国にひとりしかいないはずだからです。


「ああ。そういうことか……いや、『おうさまのくに』では、人は土にかえるんだよ」

「土に、かえるの? へんなの」

「そう。『とりのくに』の鳥が、空にかえるようにね」


 それで、シャルは思い出しました。


 お花屋さんのクレールお姉ちゃんが、『かえる』と言っていたことに。


「ねえ、空にかえるって、どういういみ?」

「そのままの意味だよ。僕たちは空からきたんだ。だから、いつか空にかえる」


 パパはお空を見上げて言います。


「この、ずっとずっと高いところに、本当の『とりのくに』があるんだ。僕らはみんな、いつかそこにかえるんだ」

「……そうなんだ」


 シャルは、なんだかふしぎな気分で、いっしょになってお空を見上げます。



 どこまでも、どこまでも透き通った青い色。



 目をこらしてみましたが、パパの言う『本当のとりのくに』は見えませんでした。


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