カナリアになったお姉ちゃん

7.


 秋も半ばになりました。


 夏の暑さはどこへやら、近ごろは長そでの服を着なければ、肌寒いほどです。


 街路樹の葉っぱも黄色や茶色に染まって、かさかさと寂しそうな音を立てていました。


「それじゃ、行ってきまーす」


 いつもどおり、ネクタイとシルクハットでおしゃれをしたパパが、かばんを手にお仕事に出かけていきます。


「いってらっしゃーい」

「あなた、気をつけてね~」


 パパは、近くの町で地図を描くお仕事があるそうです。今日の帰りはちょっと遅くなるかも、と言っていました。


「さて、ママも頑張らないと」


 パパを見送って、ふんす、と気合をいれたママが、腕まくりをしながらキャンバスに向かいます。


 ママはママで、お花の絵を描くお仕事を引き受けていたのでした。パパはお出かけ中でママも忙しいので、シャルは大人しく、お家で文字のお勉強をすることにしました。


 早くパパやママの手をかりず字を書けるようになって、新聞を自分で読めるようになるのが目標です。


 お勉強は、粘土の板を使ってやります。先の尖ったえんぴつのような木の棒で、ひっかいて文字を書くのです。紙やえんぴつはもったいないので、字の練習には使いません。


 ママが用意してくれたお手本と見比べながら、いっしょうけんめい字を書いては、粘土をこねて消し、また書いていきます。


 ママの字は、とてもきれいです。ふつうの字と、絵のような飾りのついた字の二種類が書けるようです。


 豪華な飾り文字は『カリグラフィー』というそうですが、粘土板には書くことができません。先の柔らかいペンと、インクを使って紙に書くものなのです。


 シャルがふつうの文字を全部自分で書けるようになったら、インクとペンを買ってカリグラフィーも教えてあげる、とママは言っていました。


 しばらくシャルは集中して字の練習をしていましたが、キャンバスに向かっていたママが「う~ん」とうなり声を上げました。


「ダメ! あんまりいい図が浮かばない! ……シャル、ちょっと休憩しない?」

「するー!」


 そろそろ手が痛くなってきたシャルは、喜んで答えました。


「ママは、お花屋さんにお花を見に行こうと思うんだけど、シャルは?」

「あ、わたしも行くー」

「じゃあいっしょに行きましょう」


 そうして二人は、お家を出たのでした。


 お花屋さんは坂の上にあります。ちょうど、郵便ギルドにつながる道の途中です。二階建てのかわいらしいお家で、壁は柔らかなクリーム色。お花屋さんだけあって、窓辺にはたくさんのお花が飾られています。最近は寒くなってきましたが、それでも色々な種類の秋の花がありました。


 そして入口には、色とりどりの季節のお花が描かれた看板。例によって、ママが描いたものです。


「こんにちは」

「こーんにーちはー!」

「あら、アリッサにシャルちゃん。二人ともいらっしゃい」


 お花屋さんに入った二人を出迎えたのは、かっぷくのいいおばあちゃんでした。丸顔に赤みがかった茶色の髪の毛、くりくりとしたとび色のひとみ。明るい笑顔が印象的で、優しそうな人。


 お花屋さんの店長の、フローランスさんです。


 ママが小さいころからご近所づきあいがあって、何かとお世話してくれたらしく、ママとフローランスさんは、まるで親戚のように仲がよいのでした。


「今日はどうしたんだい?」

「新しく絵の仕事を受けたのよ。でも、お花のインスピレーションがわかないの。モデルに何か買って帰りたいんだけど、なにか、おすすめはないかしら?」


 フローランスさんもママも、くだけた口調でお話しています。


 と、そのとき、ピピッ、ピピピッと笛のような、きれいな声がきこえました。


「シャ~ルちゃん。いらっしゃい」

「あ、クレールお姉ちゃん!」


 シャルのすぐ近くに、黄色の小鳥が止まりました。店長のフローランスさんと同じように、エプロンを身につけています。


 お花屋さんの『看板娘』――カナリアのクレールお姉ちゃんです。


 クレールお姉ちゃんは、ふつうの人間だったころから、とっても歌が上手なことで有名な、町一番の美人だったそうです。


 ですが、若いときに病気になって、そのまま鳥になってしまいました。まだシャルが生まれる前の話です。


 今は人間と鳥の両方の声で歌えるので、カナリアになっても人気者です。でもふだんはこのように、お花屋さんで働いているのでした。


「シャルちゃん、最近調子はどう?」

「うん! ほとんど字がかけるようになってきた! しんぶんも、ちょっとだけなら読めるよ!」

「すごーい、早いね! あたしの弟とか、もっと大きくなってからようやく読み書きできるようになったのに!」


 クレールお姉ちゃんが、羽をぱたぱたさせて陽気に笑いました。


「今日はどうしたの~?」

「ママが、新しい絵のモデル? をさがしてるんだって。わたしはついてきただけ」

「へえ~。冬が近づくと、どうしてもお花が減っちゃうからね~」


 春や夏に比べると、たしかに、お店の品揃えも寂しい感じです。


「昔はね~。秋の終わりごろには店じまいだったんだけど。最近は『温室』なんてものができたから、お花を育てられるようになって便利だね」


 クレールお姉ちゃんは、近くの鉢植えの花びらを翼の先でいじりながら言います。クレールお姉ちゃんは、お歌も上手ですが、お花も大好きなのです。


「秋のバラとか、とってもきれいだからオススメなんだけど……って、あたしが言うまでもなく店長がオススメしてるね」


 見れば、フローランスさんが、ママに色々なお花を見せていました。


 特にバラが多いようです。あざやかな真っ赤なバラ、あわいピンクで花びらがドレスのように立派なバラ、素朴な雰囲気の白いバラ、などなど。同じバラといっても様々です。


「バラ、きれいだね!」


 シャルも近よって、身を乗り出すように花々を眺めました。ふわりと優しい香りが漂ってきます。シャルは胸いっぱいに、バラの匂いを吸い込みました。


「ママ、わたしバラのジャムたべたい!」

「もう、シャルったら……」


 ママが呆れたような声を出します。実は、バラの花びらは、ジャムにするととてもおいしいのです。種類にもよりますが、ママが前に作ってくれたバラとレモンのジャムは、レモンの酸味にバラの香りがあわさって、スポンジケーキにつけるとほっぺたが落ちそうなくらい、おいしかったのを覚えています。


「本当に、パパに似て食いしんぼうなんだから……」

「なに言ってるんだい、アリッサも食いしんぼうだろう?」


 額に手を当てて呆れるママを、フローランスさんがからかいます。


「バラのジャムなんてあるの?」


 と、横からやってきたクレールお姉ちゃんは興味津々です。


「あら。クレールさん、食べたことないの?」

「ぜんぜん! 知りもしなかった、けっこう長いこと生きてたのになー!」


 ピピピッ、と可愛らしくお尻の羽根をふりながら、クレールお姉ちゃん。


「じゃあ今度、絵を描き終わったら、バラのジャムをごちそうするわね」

「ありがとうアリッサ!」


 クレールお姉ちゃんはうれしそうに、きれいな声で鳴きながらママの頭の上を飛び回りました。


「あ……でもね、アリッサ」


 ふと、クレールお姉ちゃんが、ママの肩に止まります。


「あのね。あたし、そろそろよばれている気がするの」


 一瞬、ママが固まったように見えました。


「……もう、そんな年なの?」

「う~ん、十年くらいになるかなぁ~。そんなものよね、あたしってばカナリアだもん。だから、再来週くらいにかえろうと思うんだ」

「そう」


 ママは指先で、肩のクレールお姉ちゃんの頭を撫でます。


「じゃあ、餞別にとびっきりのジャムをつくってあげる」

「わぁい! ありがとうアリッサ、楽しみにしてるね!」

「お姉ちゃん、かえるって、どこに?」


 目をぱちぱちさせてシャルはたずねました。クレールお姉ちゃんは、フローランスさんといっしょにお花屋さんに住んでいます。


 ですが先ほど、『かえる』と言っていました。どこか、別の場所にお引越しでもするのでしょうか。


「うん! ちょっとお空にね。お姉ちゃん、もともとお空から来たから」

「そうなの? 旅行みたいなかんじ?」

「そうそう」


 クレールお姉ちゃんは、ピピピッとかわいらしく鳴きました。


「そんなかんじ!」


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