6.


「パトリスさんが着ているベスト、胸のところに、鳥かごのマークがあるだろう?」


 パパが翼で、自分の胸のあたりをトントンと叩きます。


 そう言われて思いかえしてみると、パトリスおじいちゃんのトレードマークである緑色のベストには、金色の糸でそんな刺繍がされていた気がします。


「あれは、『自警団』のマークなんだよ」

「じけいだんって、わるい人をとりしまる人たちのこと?」

「そうそう。パトリスさんは、貴重な『夜の見張り』を担当する鳥なんだ」


 フクロウだからね、とパパは言います。


「ほら、パパたちみたいなふつうの鳥は、夜になるとぜんぜん目が見えないからさ。でもパトリスさんだけは、夜でも空を飛べるんだ。昔、シャルが生まれてくる前にも、大活躍したことがあるんだよ」

「ああ、『黒ネコ怪盗団』ね?」


 絵を描きながら話を聞いていたママが、懐かしそうに言いました。


「『黒ネコ怪盗団』?」


 初めて聞く名前でした。


「そうさ。『ねこのくに』から、ネコたちのどろぼうがやってきたことがあるんだ。名前のとおり、黒ネコだけのグループで、夜な夜なお家に忍び込んでは、お金や宝石を盗み出してしまうんだ」

「ええっ、ひどーい!」


 宝石といえば、パパがこの間、『おうさまのくに』でもらったものがあります。


 あれが全部、盗まれてしまったらと思うと!


 シャルには、『黒ネコ怪盗団』の話が、ひとごととは思えなくなってしまいました。


「ああ、彼らはひどいどろぼうだったよ。ネコだからすばしっこいし、夜は鳥も空を飛べないし、人間が見張ってても黒くてよく見えないしで、『とりのくに』中を荒らし回ったんだよね」

「でも、ネコなのになんでわざわざ『とりのくに』にやってきたの?」

「そりゃあ、『とりのくに』の方がどろぼうしやすいからさ」


 シャルの疑問に、パパはあっけらかんと答えます。


「『ねこのくに』には元人間のネコがいっぱいいるから、ネコのどろぼう対策もしっかりしているし、『いぬのくに』で悪いことをしたら、匂いでどこまでも追いかけられちゃうからね。その点、『とりのくに』は、逃げるのが簡単だったんだよ」

「へええ……なるほど、頭いいね」


 ちゃんと、どろぼうしやすい相手を選んでいたわけです。シャルが思わず感心すると、おかしかったのか、パパとママが笑いました。


「でもね、そんな彼らの悪行も、この町――ペルショワールに来るまでのことだった」


 国中を荒らし回った黒ネコ怪盗団は、とうとう『とりのくに』で一番大きな町、ペルショワールに目をつけました。


 しかし、ペルショワールには夜の番人――ならぬ、番鳥がいたのです。


「新月の夜。黒ネコ怪盗団のネコたちは、意気揚々とペルショワールに忍び込んできた。それまで、何十という町で盗みを働いてきた彼らは、その日も楽々、お宝を盗み出せると思っていたらしい」


 でも、とパパはお手上げのポーズを取ります。


「そこに、パトリスさんが待ち構えていたのさ。町に踏み込むなり、一匹、また一匹と、パトリスさんに捕まえられて、次々自警団に引き渡されて、あわれ黒ネコ怪盗団は一夜にして壊滅してしまいましたとさ」

「へぇ~! パトリスおじいちゃん、やるときはやるんだね!」


 思ってもみなかったことです。シャルは思わず興奮して手を叩きます。


「ハッハッハ。パトリスさんは今でも現役だよ。毎日、夜遅くから明け方まで街の見張りをしているから、昼はあんなに眠そうなのさ。みんな、パトリスさんには感謝してるんだよ。だから、今回のことも、ぼくは悪く言うことはできないなぁ」

「ふぅ~ん」


 シャルは、改めて、窓の外を見ました。


 黒いインクをたらしたような空に、お星さまがきらきらとかがやいて、ぽっかりと丸い月がうかんでいます。


 耳をすますと、ホウ、ホウ、というパトリスおじいちゃんの鳴き声が、遠くに聞こえる気がしました。


「……しらなかったなぁ、おじいちゃんがそんなにすごい鳥だったなんて」

「黒ネコ怪盗団も、ずいぶん昔の話だからね」

「うん。でも、こんどパトリスおじいちゃんに、おれいを言っとかなきゃ」


 目には見えないだけで。


 あるいは声を大にして言わないだけで。


 人知れず、がんばっている人や鳥がいるんだなぁ、とシャルは思いました。


「そうだねえ。……ふわぁ。今夜は本当に眠いや。パパはそろそろ寝るよ」

「ふわ。わたしも~」


 パパのあくびが、シャルにもうつりました。


「そうね。続きは明日にしようかしら」


 ママもパレットと筆を置いて、背伸びをしています。


 そしてその日は、ひさしぶりに、家族全員で一つのベッドで眠りました。



     †††



 ホウ、ホウ。


 夜の空に、鳴き声が響きます。


 音もなく、ペルショワールの町を飛ぶ鳥がいました。


 パトリスおじいちゃんです。


 お昼は眠そうに半開きだった目も、今はぱっちりと見開かれています。いつものおじいちゃんからは想像もつかないほど鋭い目つきで、暗い町を見下ろしていました。


 上昇気流に乗って、翼を広げたまま滑空していきます。パトリスおじいちゃんは、ふと、町のかたすみに目をとめました。


 クルッ、とその頭が回転します。目をこらすように、地上を覗き込むように。


 そしてすぐに翼を畳んで、まっすぐに下へおりていきました。


 町のはしっこ、建物の陰に潜むようにして、素早く移動する黒いもの。


 ひたひたと小さな足音だけを立てて、走っていくのは、一匹の黒ネコでした。あたりを気にしながら、こそこそと隠れて、寝静まった家々の様子をさぐっています。


「ホウ、ホウ」


 しかし、突然頭上から響いた鳴き声に、黒ネコはビクッと動きを止めました。


 声の響いてきた方を見上げて、もう一度ビクッとします。目をらんらんとかがやかせたフクロウが、屋根に止まって、黒ネコをジッと見つめていたからです。


「……ニャァ」


 及び腰になりながら、黒ネコが鳴きます。すると、バサッと翼を広げたフクロウが容赦なく足のツメを開いて、襲いかかってきました。


「うわぁっ、やめろぉ!」


 黒ネコが悲鳴を上げます。


「なんじゃ、元人間か。ふつうのノラネコかと思ったわい」


 パトリスおじいちゃんは襲うのをやめました。


「お、おどかさないでくれよ! ただでさえ短い寿命が、ますます縮まったぜ」


 黒ネコは襲われないとわかって、ホッとしたようです。


「なぜ、こんな時間に、こんなところをうろついておる?」


 屋根の上に戻ったパトリスおじいちゃんは、首をかしげながらたずねます。


「なぜ、って……別に。散歩さ。今夜はいいお月さまじゃないか。おれっちもフラフラと出歩きたい気分だったんだよ」


 夜行性だしな、と黒ネコは笑います。ですが、パトリスおじいちゃんはくすりとも笑いませんでした。


「何も、身につけずにかのう?」


 パトリスおじいちゃんは、自分が身につけている緑色のベストをさっと撫でつけて見せました。


『とりのくに』では、ふつうの鳥と間違われないように、元人間の鳥はおしゃれをするのがしきたりです。


 これは、鳥たちのためでもありますが、他の人間たちのためでもあります。おしゃれをしていない鳥はふつうの鳥と考えてもよいので、『ふつうの鳥』にするように、追い払ったりしてもよいのです。


 そしてそれは鳥だけではなく、『とりのくに』を訪れる犬やネコたちにも、同じことが言えました。


「……いやあ、ノラネコ気分を、味わおうかと思ってさ……」

「『とりのくに』にノラネコはおらん」

「いないのかい?」

「おらん。鳥たちに、危ないからのう」


 すまし顔で毛づくろいしながら、パトリスおじいちゃん。


 そう、『とりのくに』には、ノラ犬もノラネコもほとんどいません。


 特にノラネコなんかは、鳥を襲うこともあって危ないからです。少なくとも町の中には住むことが許されません。


「ノラネコやノラ犬は、見つかり次第すぐに捕まえるんじゃよ、この国では。おぬしも、ノラと間違われたくないならば、しっかりと身なりを整えることじゃな」


 さもなくば、と言葉を続けます。


「ワシよりもよほど大きくて強いタカが、おぬしなぞぺろりと食べてしまうぞい」


 パトリスおじいちゃんの脅し文句に、黒ネコは震え上がりました。


「ひえっ、おっかねえ。ネコを食べるなんて野蛮だなぁ、きっとおいしくないぞ」

「よく知っておるとも」

「……おれっちは、本当におっかねえ町に来てしまったようだなぁ」

「ここはペルショワールじゃよ? おぬし、いったいどこから来たんじゃ」


 あまりにもとぼけた様子の黒ネコに、パトリスおじいちゃんは呆れているようでした。


「どこもなにも、国境の方から適当に歩いてきたんだよ。おれっちは、まだネコになったばかりで、勝手がわからなくてさぁ」


 黒ネコは、ひょいと人間らしい仕草で、肩をすくめてみせました。


「まあ、こんなおっかないところはごめんさ。おれっちはおさらばさせてもらうぜ」

「そうするがよい」


 パトリスおじいちゃんは、鷹揚にうなずきました。


「夜道には、くれぐれも気をつけるんじゃぞ」


 しわがれた声。黒いひとみで見下ろしながら。


 そろり、そろりとあとずさった黒ネコが、ダッと一気に走って、暗い夜道の向こうに消えていきます。


「ホウ、ホウ」


 その後ろ姿を見送ってから、パトリスおじいちゃんは再び、音もなく空へと舞い上がりました。


 お星さまと、まんまるなお月さまがきれいな夜です。


 月明かりに照らされる町を眺めながら、パトリスおじいちゃんは飛んでいきます。


「ホウ、ホウ」


 自分はここにいるぞ、と示すように鳴きながら。



 ペルショワールは、今夜も平和なのでした。

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