2.


 シャルが暮らす町は『ペルショワール』といいます。『とりのくに』の中で一番大きな町です。


 ペルショワールは山の上にあります。坂道がとても多く、お家もお店も学校も、みんな山の斜面に貼りつくようにして建っています。遠くから見たら、まるで町そのものが大きなお城のようです。


 何百年も前からある由緒正しい町で、石畳の道や古びた石造りの建物は、その長い歴史をうかがわせます。


 町のてっぺんまで登れば、ひしめくようにして建つお家の、色とりどりの屋根が見えることでしょう。そして、そのさらに向こうには一面の麦畑が広がっています。風に揺れる麦畑は、まるで黄金色にかがやく海原のよう――


 といっても、シャルは、まだ本物の海を見たことがありません。


 パパからは、どこまでも続く大きな水たまりのような場所、と聞いたことがあります。いつか、自分の目で見てみたいな、と思うシャルなのでした。


 さて、このペルショワールという町ですが、鳥たちにとっては、とても暮らしやすいと評判です。ですが、登り降りが大変なので、ふつうの人間にとっては不便な場所でもありました。よその町や国から来た人は、少し坂道を歩いただけですぐに息が上がってしまうそうです。


 ただ、シャルは小さいころからずっと住んでいるので、もうなれっこでした。どんな坂道でも、あっという間に駆け上がってしまいます。


「あらあら、シモンにシャルのおじょうちゃん。今日もいい天気だねえ」

「やあシモン、ひさしぶりだな! 今朝、帰ったのかい?」

「シモンさん、おかえり。シャルちゃんもおはよう」


 パパを肩に乗せて道を走っていると、ご近所の人たちが声をかけてきます。


 かわいいシャルはもちろん、ひょうきんなワタリガラスのパパもみんなの人気者です。パパがふつうの人間だったころ、似顔絵や風景画を描いてもらった人もたくさんいます。お花屋のフローランスさん、パン屋のポールおじさん、牛乳屋のコニーお兄さんなんかもパパが人間のころからの大ファンでした。


「みんなおはようー!」

「やあ、みなさん。おはよう、おはよう」


 元気に手をふるシャルにあわせて、パパも羽をふっています。そうして、町のみんなにあいさつするうちに、シャルはあっという間に郵便ギルドにつきました。


  郵便ギルド――町のみんなには単に『郵便局』とよばれています――は石造りのどっしりした建物です。


 入口には、郵便ギルドであることを示す、翼が生えた手紙のマークの看板がかかっています。屋根には鳥専用の出入口があって、パパのようにカバンを持った鳥たちがひっきりなしに行き来していました。


 今日はいつもよりみんないそがしそうだな――と、シャルは思いました。


 ちなみに、看板の手紙のマークは、ママがずっと昔に描いたものだそうです。ママは今でも、看板に絵を描く仕事をときどき引きうけています。


「シャル、運んでくれてありがとう。ここまででいいよ」


 トッ、と肩から地面に降りて、パパがシャルを見上げます。


「パパは局長にあいさつしてくるけど、たぶん長話になると思うから、ママには、昼前には帰るって伝えておいて」

「わかった!」

「ありがとう、それじゃ行ってきまーす」


 ぱちんとおちゃめにウインクしてから、パパは郵便局の二階に飛んでいきました。


 それからお家にもどって、シャルはママといっしょにお買い物に出かけます。


 パパが無事に帰ってきたので、今日はお祝いの大ごちそうになるでしょう。


 市場に行って、季節の野菜をどっさり買い込みます。それからお肉屋さんでハムとひき肉を、あとはチーズ屋さんによって大きなチーズのかたまりを買いました。


 そしてママが腕によりをかけて、まず夜ごはんの仕込みを始めます。


 野菜を洗って、切って、トマトを裏ごししてソースを作って、刻んだタマネギをあめ色になるまで炒めて……


 そのあとパパは昼前にいったん帰ってきました。


 ですが、まだお話が終わっていないらしく、軽くフルーツを食べてからまた郵便ギルドに飛んでいってしまいました。


「これは、お祝いは夜になるわね」


 そう言って肩をすくめたのはママです。


 そしてその言葉どおり。パパが用事を済ませて戻ってきたのは、結局夕方をすぎて、日が暮れかかってからのことでした……



     †††



「いやー、まいったまいった。まさかこんなに時間がかかるとは……」


 ネクタイをほどいて、シルクハットも脱いで、パパはクタクタな様子でテーブルの上に寝転がります。ぐったりしているのを見るに、よほど疲れているようです。


 全身から力が抜けて、バサ~っとテーブルに黒い翼を広げる姿は、使い古したぞうきんのようです。


「パパ、またおそくなっちゃったね」


 シャルは、お昼にはパパからお話を聞かせてもらえると思っていたので、ちょっとごきげんななめでした。


「あはは……そうだね。遅くなってごめんよ」


 力なく笑って、「ふぅ」とため息をつくパパ。


「局長が『いぬのくに』と『ねこのくに』のケンカのことを、すごく知りたがっててさ。あと『おうさまのくに』のことも。すっかり長話になって、なかなか帰らせてくれなかったんだよ……」


 パパの半開きの目にも、力がありません。


「あなた、おつかれさま。少し休む?」

「んー、そうだねえ。でもやっぱり、おなかが空いたかなぁ」

「ふふ。それじゃあ、ごはんにしましょうか」


 にっこりと笑ったママが、キッチンでかまどの火を起こし始めます。


 その夜は、大ごちそうでした。


 あつあつのハッシュドビーフステーキに、季節の野菜をトマトソースで煮込んでハーブでかおりづけしたラタトゥイユ、そしてオニオングラタンスープです。


 オニオングラタンスープは、シャルとパパの大好物。スープの上にパンを一切れ浮かべて、チーズをふりかけたあと、器ごとオーブンで焼いてあります。


 こんがり、とろ~んととろけるチーズは、スプーンですくうとどこまでも伸びます。じっくりと炒めた、タマネギの香ばしさとうまみ。それが濃縮されたスープのおいしさたるや!


 そんなママの料理が、パパ専用のミニチュアサイズのお皿にも、きれいに盛り付けられています。

「あつっ、あつあつっ!」


 パパは器に顔を突っ込む勢いで食べていました。ママは、おいしそうに食べてくれるのは嬉しいが、やけどしないか心配だ、という顔をしています。


「……あなた、もうちょっと冷ました方がいいんじゃない?」

「あつあつだからいいんじゃないか!」


 くちばしをチーズまみれにして、パパはバサッと翼を広げながら答えました。


「行きがけに『ねこのくに』を通ったけど、ひどいものだったよ。『ねこのくに』はみんな猫舌だからね。何を食べても冷えているか、どうしようもなく生ぬるいかで、うんざりしちゃったよ。そのときに思ったのさ、やっぱりごはんはあつあつに限るって」


 パパの決心はかたいようで、そのあとも、「あつい、あつい」と嬉しそうに言いながら食べていました。


 そんなパパを見ていて、ごはんを食べるなら、やっぱり人間の体の方がべんりだな、とシャルは思いました。


 空を飛べるのはうらやましくも思いますが、鳥の体だとスプーンをフーフーして冷ますこともできませんし、ナイフやフォークを使ってハッシュドビーフステーキをきれいに食べることもできません。


 何より人間だと、鳥よりもたくさん、おいしいものがおなかに入ります。やっぱり体の大きさがちがうのです。シャルは食いしんぼうなのでした。


「はぁ……おなかいっぱいだ。ママの料理は世界一だよ、ありがとう」


 シャルよりずっと少ない量のごはんで、パパは満腹になったようです。翼でポンポンとおなかを叩きながら、パパは満足げにうなずきました。


「あなた、デザートは? りんごでも食べる?」

「あ、りんごも食べたいな。ひとかけもらえる?」

「ええ」


 ママはにこにこしながらナイフでりんごをむいてあげます。そしてほんのひと口ぶん、お皿にのせてパパの前に出しました。


「ありがとう!」


 パパは小さなかけらを口に入れて、じっくりと味わうようにして食べます。


「はぁー。本当におなかいっぱいだ、もう何も入らないや。ごちそうさまでした」


 心なしか、パパの体がふくれているようにも見えました。きっと今のパパは、おなかが重すぎて空も飛べないでしょう。


「パパ、すっかり『少食』になっちゃったね」


 残りのりんごをしゃくしゃくと食べながら、シャルは言います。パパも人間だったころは食いしんぼうで、シャルよりももっとたくさん食べていたのをおぼえています。


 パパはおなかをかかえたまま、クックックと笑いました。


「たしかに、シャルから見たら少食かもね。でもね、パパから見たら世界がずっと大きくなって得した気分さ。考えてごらん、ふつうのりんごが、自分の体と同じくらいの大きさなんだよ?」


 つばさの先で、空中にりんごの大きさの円をえがくパパ。


「たったひとつのりんごでも、いくら食べてもなくならないよ」


 そう言われて、シャルも気づきました。


「あれ? じゃあパパの方がたくさん食べれることになるのかな?」


 ここにりんごが一切れあったとして、シャルは二口くらいでペロッと食べてしまいますが、パパはたった一切れでも、しばらく楽しめるのです。


「う~ん……」


 さっきは「人間の方がいっぱい食べられていい」と思ったシャルでしたが、鳥と人間、どちらが本当にお得なのか、わからなくなってしまうのでした。



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