フクロウになったおじいちゃん

4.


 パパが帰ってきてから、数日が経ちました。


 シャルたちは、いつものようにくらしています。


 パパは、しばらくお仕事はおやすみです。体がなまるといけないので、ときどきお空へ散歩に出かけますが、それ以外はお家でのんびりとすごしています。


「羽をのばしているのさ」


 と、窓辺で日向ぼっこをしながら、そう言ってパパは笑っていました。


 ママは最近、絵のお仕事を引き受けたようで、すこし忙しそうにしています。手が空いたら、キャンバスに向かってはお花の絵を描いているようです。


 いつもはママが手作りするごはんも、絵のお仕事をしている間は、お外で食べたり簡単なもので済ませることが多くなります。


 シャルとしては、ふだんは食べないようなお肉のサンドイッチや、甘いおかしなんかも食べられるので、ママのお仕事期間はけっこう気に入っています。


「シャルー」


 ある日、シャルがお家で文字のお勉強をしていると、キャンバスに向かうママが声をかけてきました。


「なぁにー?」

「道具屋さんにおつかいに行ってきてくれない?」


 ママは、横に置いてある絵の具の箱を、筆で示しました。


「そろそろ絵の具がなくなりそうなの。しばらく前に、新しいのを注文しておいたから、道具屋さんにもう届いていると思うのよね。悪いけど手が放せないから、ママの代わりに受け取りに行ってくれない?」

「いいよー」


 お勉強にも飽きてきたシャルは、こころよくおつかいを引き受けました。


「ねえママ、今日のおやつ、アップルパイがいいなぁ~」


 シャルがニコニコしながらそう言うと、ママはパレットを持ったまま、「はぁ~……」と大きなため息をつきました。


「……しかたないわね、あとでパン屋さんに行きましょ」

「やったー!」

「それじゃ、絵の具もお願いね~」

「はーい!」


 意気揚々と、シャルはお家を出ます。


「坂道に気をつけるのよ~」

「はーい、いってきま~す!」


 ママの声を聞き流しながら。




 道具屋さんは、シャルの家から少し離れたところ。ペルショワールの中でも、一番長い坂道の下、町のはしっこにあります。この坂道はとても急で、非常に危ないので気をつけて下りなければなりません。


 ――むかしむかし、ある男の子が、この坂を勢いよく駆け下りていました。

ですが勢いがありすぎて途中で転び、そのままゴロゴロと下まで転がって、最後は鳥になってしまったそうです。


 それ以来、この坂道は『鳥成坂とりなりさか』と呼ばれています。


 鳥成坂とりなりさかで鳥になるのは『ものすっごく』痛かった、とその男の子が言っていたらしいので、痛いのがきらいなシャルは、鳥成坂だけは慎重に下りるようにしています。


 さて、坂道を下りると、道具屋さんに着きます。石造りの三階建てのお家で、壁は石膏で白くぬられています。


 そして入口の上には、羽ペンと筆の絵が描かれた看板が下げられています。道具屋さんの目印です。


 もちろんこの看板も、シャルのママの手によるものなのでした。


 からんからん。


「こんにちはー!」


 ドアベルを鳴らしながら、シャルは元気よくあいさつしてお店に入ります。


「……ん。ん~。いらっしゃぁい……」


 お店のおくのカウンターから、しわがれた眠そうな声が聞こえてきました。


 カウンターの上、ミニサイズの安楽椅子に、一羽のフクロウがすっぽりと収まるようにして座っています。


 お面をかぶったような平らな顔で、羽はうっすらとした茶色。つぶらな黒い目は、眠そうな半開きです。


 そしてそのフクロウは、とりかごのマークが金色の糸で刺繍された、緑色のベストを着ていました。


「おや、おや。シャルちゃんか。ひさしぶりじゃのう。元気にしておったかい」


 道具屋でいつも店番をしている、フクロウのパトリスおじいちゃんです。


 シャルが今よりももっと小さかったころ。パトリスおじいちゃんは早寝早起きの、元気なおじいちゃんだったそうです。しかし今はフクロウに変わったせいで、すっかり夜型になってしまいました。


 昼間は店番をしながら、いつもうつらうつらしています。鳥になってから体は若返っているはずなのですが、人間だったときより、むしろお年寄りに見えてしまうのは気のせいでしょうか……。


「元気だよ! パトリスおじいちゃんは?」

「…………」

「おじいちゃん?」

「……ぐぅ」


 なんと、パトリスおじいちゃんは眠りこんでいました。


「ちょっと! おじいちゃん、起きて!」

「……んっ。んん~? おや。シャルちゃんか。ひさしぶりじゃのう」

「おじいちゃん、さっきと同じこと言ってる!」

「はて。シャルちゃんが、お店に来る夢を見た気がするのう。あれは夢ではなく、本当のことじゃったか」


 パトリスおじいちゃんが、首をかしげます。フクロウなので、頭がグルッと回るように動いて、ちょっと怖いです。


「ゆめじゃないよ! あいさつしたのに、おじいちゃんがまたねちゃったんだよ」

「おや、おや。それはすまなかったのう」

「それでおじいちゃん、ママがね、絵の具を注文してたんだって」

「……ああ。そんなこともあった気がするのう」


 すまんが今、店には他に人がおらんのじゃ、とパトリスおじいちゃん。


「奥の倉庫についてきてくれるかの。ワシの体では、絵の具の箱を持ってこれんのじゃ」

「わかったー」

「ホウホウ、ついておいで」


 のっそりと安楽椅子から立ち上がったパトリスおじいちゃんが、翼を広げてお店の奥に飛んでいきます。


 ワタリガラスのパパとは違って、びっくりするほど静かです。フクロウははばたく音を全く立てずに飛べるのです。




 倉庫の中はかなり暗くて、シャルは壁に手をつきながら、ゆっくりとパトリスおじいちゃんをおいかけました。


「おじいちゃん、まって~!」

「大丈夫かのう、シャルちゃん」

「くらくてよく見えないよ!」

「……ああ、そうか。すまんのう、ワシゃこの目にすっかり慣れてしもうた。人間には見えづらいんじゃったなぁ」


 倉庫の暗闇の中に、パトリスおじいちゃんの目だけが光を反射して、丸く浮かんで見えます。フクロウなので、パトリスおじいちゃんは暗いところでもよく目が見えるのです。


「かといって、この体だと、窓も開けられんしのう……」

「ゆっくり行けば、だいじょうぶだけど」

「ホウホウ、ならこっちじゃよ。足もとに気をつけてのう」


 パトリスおじいちゃんの声を聞きながら、ゆっくりと、さらに倉庫の奥へ。


「ほら、シャルちゃん。これが絵の具じゃよ」

「ありがとう!」


 シャルは、倉庫のはしっこに置いてあった、小さな木の箱を拾い上げます。一応、念のため、フタを開けてみると――


「……あれ? おじいちゃん、これ絵の具じゃないよ?」


 中に入っていたのは、絵の具ではなく、鉛筆の束でした。


「おや、おや。……それはジャックさんが注文していた鉛筆セットじゃな。違ったわい」

「ママの絵の具は?」

「……たしか、こっちの方じゃ」


 スイーッと音もなく、またパトリスおじいちゃんが飛んでいきます。シャルは箱をもとあった場所に戻して、ゆっくりとそのあとを追いました。


「これじゃ、これじゃ。この箱じゃ」

「……おじいちゃん、これもちがうよ? 中に木のねっこみたいなのが入ってる」

「ありゃ。……おや、おや。それはピエールさんに頼まれていた、薬草じゃなぁ」

「もう、おじいちゃんしっかりしてよ~!」

「すまんのう。ええと。どこにあったかのう」


 ふたたび、スイーッと音もなくパトリスおじいちゃんが飛んでいきます。


「この箱かのぉ?」

「……筆がはいってるよ! にてるけどちがうよ!」

「それじゃあ、こっちかの?」

「これもちがう~!」


 広い倉庫を、あっちへ、こっちへ。


 パトリスおじいちゃんといっしょに探し回りましたが、絵の具は見つかりません。


「あ~もう、つかれたよ……」

「どこにあるんじゃろう。おかしいのぉ~」


 二人で途方に暮れていると、


 からんからん。


 と、ドアベルの音が聞こえてきました。


「こんにちは~。どなたか、いますか~?」

「あっ、ママだ!」


 声を聞きつけて、シャルは倉庫から飛び出します。すると、心配そうな顔をしたママがお店にいました。


「あっ、シャル! まだ道具屋さんにいたのね! なかなか帰ってこないから、何かあったのかと……」


 シャルの帰りが遅くて、様子を見にきたようです。無事なシャルを見て、ママはホッと胸を撫で下ろします。


「ママ! 絵の具がみつからないよぉ!」

「えっ」


 しかし、シャルの悲痛な叫びに、また不安そうな顔になりました。


「ホウ、ホウ。アリッサさん、おひさしゅうに」


 続いて、倉庫からスイーッとパトリスおじいちゃんが出てきます。


「ああ、パトリスさん。こんにちは。……あの、シャルが、絵の具が見つからないと言っているんですが……」

「いやはや。困ったことに、そのとおりですわい」


 翼で頭をかきながら、パトリスおじいちゃんは、ちょっと調子が悪そうに言いました。絵の具が足りなくなりつつあるママは、すこし顔色が悪いようです。


 からんからん。


 と、そのとき、再びドアベルが鳴りました。


「おや、こんにちは。アリッサさんとシャルちゃん。どうなさいました?」


 入ってきたのは、人のよさそうなそばかす顔の若い男の人です。道具屋の主人、ジャンさんです。パトリスおじいちゃんのお孫さんにあたります。


「こんにちは。あの、注文していた絵の具が、見つからないみたいなんです」


 ママが困り顔で言うと、ジャンさんは首をかしげました。


「絵の具、ですか? ……あの、失礼ですが、いつごろ注文されました?」

「えっ。ええと、二週間ほど前には……」

「……おかしいですね。注文を引き受けた覚えがないのですが」

「えっ。でも、たしかに注文したんですが」

「わたしが注文を引き受けましたか?」

「いえ、ジャンさんではなく、パトリスさんに……」


 ママとジャンさん、そしてシャルの目が、パトリスおじいちゃんに向けられます。


「……ホウ、ホウ」


 パトリスおじいちゃんは、ぱちぱちと目をしばたいてから、ゆっくりとカウンターの上のミニ安楽椅子に腰掛けました。


「……ぐう」

「じいさん! 都合が悪いと寝たふりするのはやめてくれ!」


 ジャンさんがパトリスおじいちゃんを掴んで、がくがくと揺さぶりながら叫びます。


「それに絵の具の注文って! 聞いてないんだけど!」

「ホウ、ホウ! 揺さぶるでない! いやはや、すまんのう」

「じいさん? まさか……」

「うむむ。たしかに、ワシが注文を受けたはずじゃ。そして、それをおぬしに伝えた気もしておった。じゃが……あれは、夢だったようじゃのう。ホウ、ホウ」

「なんてことだ……!」


 パトリスおじいちゃんを放り投げて、ジャンさんが頭をかかえました。


「アリッサさん! 誠に申し訳ない! 祖父がわたしに注文を伝え忘れていたようです! 絵の具はありません!」


 ごめんなさい! と頭を下げるジャンさん。


「なんてこと……!」


 今度は、ママが頭をかかえるばんでした。


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