落ちていたのは綿ゴミではなく、ケサランパサランでした。

babibu

落ちていたのは綿ゴミではなく、ケサランパサランでした。

「検査結果が出るまで人には会わず、出来るだけご自宅で過ごして下さい」


 僕はそう指示を受けて病院から帰された。

 何故病院に行ったのかというと、会社で僕の隣の席の先輩が、新型コロナウイルス感染症とわかったからだ。おかげで僕の勤める小さな会社は、社員全員が濃厚接触者としてPCR検査を受けるよう指示された上、自宅待機を言い渡されたのだった。


 体調は良いのに面倒な事になった。

 それに楽しみにしていたオリンピックが三日後に始まる予定だったのに、コロナの所為で来年に延期。

 折角せっかく凄まじい倍率の抽選に当選し、なけなしの預金をはたいて開会式のチケットを購入したというのに、今年は使えない。チケットは来年まで持ち越しだ。

 今年の夏は本当に踏んだり蹴ったりだな。


 そんな事を鬱々と考えながら、ジリジリと照り付ける太陽を背に、僕は自宅への帰路についた。


 ◆


 僕が自宅に到着すると、玄関のドアの前に真っ白なフワフワしたものが転がっていた。


 綿ゴミかな?

 何でこんな所にゴミが……


 そう思った僕は、退かそうと綿ゴミに足を近づける。


 ピクリ。


 突然、綿ゴミが動いた。

 僕は驚いて、思わず足を引っ込める。そして、る様な姿勢でしばらく綿ゴミの様子をうかがった。

 だが、綿ゴミは動かない。

 不審に思った僕はしゃがみ込み、綿ゴミをじっくりと観察する。


 白くてフワフワしたそれには、小さな耳と尻尾があった。


 ゴミじゃなくて、猫?

 猫にしてはちょっと毛むくじゃら過ぎる気がするけど。

 何だかこれって……


「ケサランパサランみたいだ」


 僕は言いながら、猫らしきものを指でつつく。


 ケサランパサランというのは謎の未確認生物の呼び名だ。

 大抵は白いフワフワした毛玉の姿をしているという。妖怪だとか、幸せを呼ぶとか言われてもいるらしい。

 勿論、本物のケサランパサランだとは流石の僕も思わない。だが実際にいるのなら、こんな感じではないかと思ったのだ。


 ケサランパサランについての情報を思い出しながら、猫らしき毛むくじゃらな毛玉を僕はもう一度つつく。

 するとそれは、またピクリと動き、僕の手にすり寄って来た。


 可愛いな。


「うちに来るかい?」


 僕は思わず声をかける。

 すると毛玉は承諾するかのように、尻尾をパタパタと振った。


 検査結果が出るには数日かかる。別に体調も悪くない。結果はどうせ陰性だろう。

 だが陰性でも先輩の隣の席だった僕は『十四日間は出勤しないように』と上司に言われている。その為、結果が陰性であってもしばらくの間は家に引きこもる予定だ。

 独りで十四日間も過ごすのは心細いと思っていた。だから、猫とはいえ共同生活の相手が出来るのは有難い。

 因みに僕の家は古い借家だ。あまり人気のある物件ではない為、ペットを飼う事が入居特典として許されている。

 その為、猫を飼う事は問題ない。


「よし! じゃあ、家に入るか! えっと……」


 毛玉を両手で持ち上げながらそう言うと、僕は一瞬口ごもる。そしてジッと手にした毛玉を見つめた。


「……名前が無いのは不便だな」


 僕はそう言うと空を仰ぎ見て、うーんと唸る。しばらく考えを巡らせるが、気の利いた名前が全く思い浮かばない。

 自分のアイデアの無さに辟易へきえきしながら考える事を諦めると、僕は毛玉に声を掛ける。


「ケサランパサランで……良いか」


 僕のその言葉を聞いてか聞かずか、毛玉は嬉しそうに尻尾を振った。


 こうして僕はケサランパサランとの共同生活を始めたのだった。


 ◆


 ケサランパサランを飼い始めた次の日。

 僕はゴホゴホという自分の咳で目が覚めた。

 咳をしながら、まずい事になったと不安を覚える。


 でも、まだ二十代だ。テレビで若年層じゃくねんそうは重症化しにくいと言っていた。

 もしかかっていたとしても、大した事は無いに違いない。


 僕はそう自分に言い聞かせ、リビングのソファに座り、朝食を摂る。そして寝巻のまま映画鑑賞を始めた。

 映画を観ていると、ケサランパサランがそばに寄って来て、僕の膝に乗った。

 僕はケサランパサランの柔らかな毛を撫でる。

 ケサランパサランはパタンパタンと尻尾を振り、特に嫌がる様子はない。寧ろリラックスしている様だ。


 僕はケサランパサランを撫でながら、時折咳をしつつも穏やかな時間を過ごす。

 だが、そんな穏やかな時間を過ごす間も徐々に熱が上がり、息苦しさが少しづつ増していくのを感じてもいた。


 悪化したかな?


 僕の脳裏に一瞬不安がよぎる。だが我慢出来る程度だったので、気にしない様につとめるのだった。


 ◆


 その日の夕方。

 僕はニュースを見ようと、咳をしながらテレビのチャンネルを変えた。

 ケサランパサランは相変わらず僕の膝の上だ。

 テレビからニュースの音声が流れ出す。


『来年の夏に延期になったオリンピックですが……』


 ニュース番組のアナウンサーがそう言うと、ケサランパサランの体がピクリと動いた。テレビの方へ、ケサランパサランの耳が向く。一生懸命ニュースを聞いている様な姿が何とも可愛らしい。


 オリンピック関係のニュースが終わり、ニュース番組は次の話題に移った。

 それを合図に、ケサランパサランは僕の膝から降りる。そしてリビングの窓に近づき、何かを呼ぶ様に「くるるるる」と不思議な声で鳴き始めた。


 猫って『くるるるる』なんて鳴くものだったろうか?


 そう疑問を感じた直後、僕はゴホゴホとたんからむ咳をし始める。咳の勢いの所為せいで胸が苦しい。咳をしたくないのだが、自分の意思では止められない。


 呼吸が出来ない!


 僕は咳込みながら、ソファーに崩れる様に横になる。苦しくて朦朧もうろうとする。

 ほどなくして、僕は意識を失った。


 ◆


艦長かんちょう、お迎えに上がりました!』


 そんな言葉が聞こえてきて、僕はうっすらと意識を取り戻した。だがまぶたが重く、目を開けられない。

 それに何だか変だ。僕に意識を取り戻させた声を、僕は正確には耳で聞いていないのだ。言葉は直接頭に響いている気がする。


 テレパシーみたいだ。


 そう思った瞬間、また違う人物の声がした。


『ご苦労、少佐しょうさ


 どうやら艦長と呼ばれた人物が、少佐と呼ばれた人物へねぎらいの言葉をかけた様だ。


『一週間は地球での休暇を楽しまれると聞いていましたが、どうかされましたか?』


 少佐が不思議そうに尋ねる。


『見学しようと考えていた地球で一番大きな祭典が、来年に延期になったのだ。予定が台無しだよ。それで休暇を早く切り上げて、宇宙船に戻ろうと思ってね』


 艦長は口惜しそうに少佐に答える。


『それは残念でしたね。それにしても……その白くてフワフワした姿は、どうしたのですか?』


 少し戸惑った調子で少佐が訊く。

 僕はその言葉で艦長と呼ばれた人物に思い至る。


 艦長とはケサランパサランに違いない!


『ああ。これは地球の犬という動物の姿に擬態しているのだ』と艦長。

『イヌ……?』


 少佐は犬が何なのか、わからない様子だ。

 僕は『どこが犬だよ! どちらかと言えば猫っぽいぞ!』と艦長に心の中でツッコミを入れる。


『犬は多くの地球人がベストフレンドと呼ぶくらい、地球人に愛されている生き物なのだよ』と艦長。

『はあ。でも地球人の祭典を楽しむなら、地球人の姿に擬態すれば良いのでは?』


 少佐がもっともな疑問を口にする。


『この姿は祭典の開会式に潜り込む作戦の一部なのだよ。実は地球人に成りすまして開会式のチケットの抽選に応募したのだが、外れてしまってね』


 艦長は残念そうにそう言った。


『抽選に外れたから、イヌになったのですか?』


 少佐はまだ納得出来ないらしい。


『そうさ! この姿でそこにいる地球人の青年に、私をペットと認識させるのが狙いなのだ!』と艦長。

『ペットになると開会式に行けるのですか?』と少佐。

『地球人のペットになると、そのペットには飼い主の膝が専用席として与えられるのだ! そして、この青年は祭典の開会式のチケットを持っている。つまり開会式に参加する彼の膝は私の専用席となり、私も開会式を青年の膝の上から見学出来るという寸法なのだよ!』


 艦長が自分の作戦について、自信に少佐に説明する。

 艦長が何故僕がチケットを持っている事を知っているのかと、僕は疑問に思った。だが今は、熱も有り、呼吸もしにくい。その所為で目も開けられなければ、声も出ない。彼らの話を聞くだけで精いっぱいで、答えを探る余裕は無かった。


『なるほど、そう言う事ですか!』


 艦長の説明を聞いた少佐が、感嘆の声を上げる。


『だが、この素晴らしい作戦も来年に持ち越しだがな』


 少々残念そうに艦長が少佐に応じた。


 そこまで聞いた僕は、また突然の咳に襲われる。


 ゲホッ! ゴホゴホッ! ゴホッ!


『おっと、青年が死にかけている! 今死ぬなんて許さんぞ! 君の持つ開会式のチケットは来年も有効なのだ!』


 慌てた様子で艦長はそう言うと『少佐、医療キットはあるか?』と少佐に問う。


『はい。ここに』と少佐。


 そんなやり取りが聞こえた次の瞬間、僕は暖かい空気に包まれる。

 あんなにしづらかった呼吸が、みるみる楽に出来る様になってきた。


『これで大丈夫だろう。眠くなると思うが、起きる頃には体調が良くなっているはずだ』


 艦長は言うと『また来年会おう。青年! 少佐、宇宙船へ転送だ』と言葉を続けた。

 その言葉に少佐が『はい。艦長』と応じる。


 待ってくれ!

 お前に言いたい事があるんだ!

 ケサラ……


 艦長に声を掛けようとしたが、急にひどい眠気に襲われる。そして僕の意識はそこで途切れてしまった。


 ◆


 次の日の朝。

 目を覚ますとケサランパサランはいなくなっていた。

 不思議な事に、あんなにつらかった咳が治まっていて、熱も下がっている。

 あれは夢だったのだろうかと、僕は頭をひねる。

 だが、もし夢でないなら……


 ケサランパサランは地球外生命体というやつだったのだろうか?

 そして来年の夏、僕はまたケサランパサランに再会するのだろうか?


 そう思った僕は、昨日ケサランパサランが近づいて鳴いていた窓へ歩み寄る。そしてガラス越しに空を見上げると、ボソリとひとちるのだった。


「僕の膝の上はお前の専用席だ。だけど開会式の会場は、ペット禁止じゃないかな」


(了)

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