第5話【それでも、先へ】
自分の夢を語れる大人になりたいと思った。
昔の自分や、隣に立つ彼女に胸を張りたい。
「シュウちゃんは格好いい大人ですよ」
涼香はそう言う。だが、目指すものが消え、それでも進むかと問うたとき、手が震えた。
陽は沈み、夏が過ぎゆく。ボルダリングジムの鍵を開けると、冷めた風が流れ出た。
「半年前がウソみたい」
足音だけが鳴る静けさのなか、ふたりして無音のルーフを見上げている。
「あ、コレ」
壁には、ささやかな日の丸の旗。
「貰ったんだ。あの人から」
視線の先にはひとつの写真立て。彼のそばに女性がいた。涼香の手が強張る。
「か、彼女?」
「退会したよ。敗退の翌日に」
修司は墨を飲んだ表情で押し黙った。涼香もつい目を伏せる。
——だからって。
涼香は声を絞り出し、言葉を吐いた。
「……私、登ってみたい」
「えっ」
「コレ、登ります。だから手伝って」
その瞬間だった。
涼香の言葉が風になって吹き抜けた。
場は色めき、息づくのを感じた。
「簡単なコースで」
そしてそれがふわりと、和らぐ。修司はふと眉間がゆるみ、笑った。おもむろに頷く。
「登ろっか。ふたりで」
「はい!」
涼香は修司に支えられ、手を伸ばし青いホールドを掴んだ。ひとつ、またひとつと登る。
そんな彼女に、先へと進む姿を見た。それがこそばゆくも温かい。
——俺は、先へ進んでいいのか。
彼の目先にあった夢は形にすらならずに消えた。それでも彼女の姿は、後ろ髪をひかれていた彼の芯を、熱く打ちつける。
薄れゆく夏の陽 ななくさつゆり @Tuyuri_N
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