第2話 こうなったというのも(到着時)①
「え?」
カウンターの中から、マスターはにっこりとあたしに笑い掛けた。
「もう一度、言ってくれる?」
うん、何って素晴らしい笑顔。
「だから、お金ないの」
「もういちど、言ってくれるかなあ……?」
「何度でも言うわ。お金無いの。何にも」
ふふふふふふ。
あたしとその店のマスターは顔全体に笑みを貼り付けたまま、にらみ合った。
「……すると君、君が今まで二時間を掛けてじっくりじっくりと食べた、『今日の特別定食』と紅茶とココアとザッハトルテと木イチゴのタルトに対する代金は全く無い、と」
「そ」とあたしは大きくうなづいた。そらそーよ。首府からこのど田舎の「アンデル」へ来るには金がかかったんだから。列車に乗る前に買ったココアの缶がコインの最後。
「それは君、無銭飲食って言うんだよ?」
「うん」
ここぞとばかりに、あたしは両腕をカウンタにつき、身を乗り出す。そして上目遣いで。
「あたしは持ってないけど…… あのねマスター、この町に、あたしのパパが居るの」
パパ? お父さん?」
言葉の端が震えてます、マスター。うん、とあたしはもう一度大きくうなづく。
「……そう、じゃあお父さんに払ってもらおうね。そのひとの名前は? 居場所は?」
顔を近づけて、矢継ぎ早の質問。うーん、思っていた以上の迫力。プラチナ・カラーの短い巻き毛、あまり背は高くなくて、でも筋肉はそれなりについている様な身体、そして何と言っても、その蜂蜜色の瞳。
ふうん。なるほどね。
「んーと…… 住所はこの町としか知らないの」
「君ね…… 大人をからかうもんじゃないよ!」
「でもパパはマスターがよぉく知ってるひとのはずよ?」
「俺が?」
「そぉ。ね、『トパーズ』さん」
彼の表情が凍る。
「……コンラート・カシーラー」
すかさずあたしは一つの名前を囁く。音はぴた、と止まった。その時、からんからん、と扉の方からカウベルの音が聞こえた。
カウンタにはあたししか居ないけど、周囲のテーブルには客が数組。
「あ、いらっしゃーい」
彼は即座に営業スマイルに変わる。
「……ちょっと待ってて」
「はあい」
注文を聞きに行く。それなりに流行ってるんだな、この店は。
あたしが食事している最中も、食事でもお茶でもない中途半端な時間なのに、客はひっきり無しに入ってる。でもまあ当然と言えば当然かなあ。何せ駅前に一軒だけの「食事もできるカフェ」なのだから。
「さっきの。それが君のお父さんの名前?」
カウンタ内に戻ってきた彼は注文のコーヒーを淹れながら問いかけた。
「『ドクトルK』って言った方がいい?」
「……そう思いたくはないねえ」
そう彼は言い捨て、口を歪めた。あたしは再び身を乗り出した。
「どっちにしても、あたし、行くところが無いの。首府からここは遠かったわ。お金だってもう無いし」
彼の手が止まる。
「少しでいいの。パパに会いたいの。場所を教えて欲しいの」
「……無銭飲食者の言う台詞じゃねーがな」
そう言いながらマスター―――「トパーズ」と、とあるリストに記されていた彼は、ため息をついた。
「お前その皿持って、こっち、来な」
「え……」
「今日の仕事が終わるまで皿洗い! それでその皿の分は、帳消しにしてやる」
「パパのことは?」
くっ、とあたしは皿をまとめながら笑った。
「それはその後だ!」
勝った、とあたしは思った。
*
「よーし、今日はこれで終わり」
はふ、とあたしは思わず食器棚に両手をついた。
「結構やるじゃないか、お前。ほれ、夕飯」
残り物の寄せ集め。焼き物揚げ物。それに煮物を利用したパスタ。豪華と言えば豪華。正直、お腹ぺこぺこだったので、そこは素直に席につき、フォークを手にする。
「ほいお茶」
「ありがとう…… でもあたし、お前じゃないわ、ルイーゼロッテっていうの」
「ルイーゼ・ロッテ。ほー、おかーさんかおばーちゃんがどっちかの名前?」
「両方。おかーさんはマリアルイーゼ、おばーちゃんはシャルロッテ」
そう言うとあたしはずるずるとパスタをすすり込んだ。あー美味しい。お茶時間に一応軽くつまませてもらったけど、やっぱり労働(とか勉強)が終わった後のご飯というのは何って美味しいんだろう。
あれからこのマスターは、昼からお茶時間から夜まであたしを臨時の皿洗い兼ウエイトレスにしてくれやがった。
当初は皿洗いだけか、と思ったら、あたしが遠くで聞いていただけのオーダーを一発で覚えていたのを聞いて、「お前オーダー取ってこい」とぬかしやがった。一食の恩義があるから何ですが、人づかいの荒いひとだ。
「んでなあ、お前の目的のひとだけど」
「ん」
あたしはパスタを口にくわえたまま、マスターの方を見る。
「もうそろそろ来るぜ」
「もうそろそろ、って」
「だから、お前の言うとこの『パパ』さん。あいつはいつもここでメシ食ってくから」
「いつも?」
「オトモダチのとこでメシ食ってって、何か悪い?」
「……悪くない」
「それにアイツ、全然そのテのこと出来やしねーの。あんだけ傷縫ったりするのに器用なクセに何だろーね」
ん? やけに穏やかな口調。
何となくあたしの中で危険信号が走る。
やがてからん、とカウベルの音がした。
マスターは扉のところを見向きもせずに、言葉を投げた。
「お客が来てるぜ、K」
「私に客?」
低い声。あたしはまだパスタを口にしたまま、その方向を見る。
パスタがぽろり、と皿に落ちた。
「……パパ―――だ」
「は?」
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