第6話 こうなったというのも(来るまえ)③
跳ね飛ばされる感覚で、目が覚めた。
いや違う。椅子から転げ落ちていたのだ。
痛、と転がった拍子にぶつけた肩や腕、お尻をさすっていると、目の前に信じられない光景があった。
「ママ……」
ママはTVにかじりついていた。
文字通り、モニターに両手を大きく広げて、抱きしめていた。
その目からは涙。だらだらと、ひっきり無しに、流れ続けていた。
口はこう動いていた。あなた、あなた、あなた……
あなた。
あたしはそんな、と息を呑んだ。
ママがそう呼ぶ相手は一人しか居ない。
パパ――― クルト・ケルデンたった一人だ。
慌てて当直室に走った。
彼女達はすぐにはあたしに気付かなかった。TVに釘付けだったのだ。その表情は、何処か興奮していた。だがそれはママとは違う。何か楽しいことが起きて、どきどきしてる時の、それだ。
「どうしたの、ロッテちゃん」
婦長さんは訊ねた。彼女すら頬が軽く赤く染まっている。あたしは寝ていて知らなかったけれど、いつも冷静な彼女がそうなるくらいだ。よほど凄いことがTVの中では起きたのだろう。
だけどそれはあたしにはどうでもいい。
「ママが…… ママが大変なの!」
婦長さんはそこに居た総勢五人のうち、ミルタとハンナというナースを連れて、あたし達の部屋へと急いだ。
「これは……」
扉を開けた途端、婦長さんの眉がきゅ、と寄せられた。
「どうしたの! マリアルイーゼ!」
だがママが答える気配はなかった。TVスクリーンに目をくっつけて、ぐいぐいと押しつけている様に―――見えた。
「マリアルイーゼ…… マリア!」
婦長さんはママの両肩を掴むと、モニターから引き剥がした。けどママは視線を離さない。そして口からこう言葉を漏らした。
「ああ先輩、……あのひとが!」
「あのひと?」
婦長さんの顔色が変わった。
「あのひとが!」
大きくママはのけぞった。そこには満面の笑み。あたしの見たことの無い―――
「……ハンナ! 鎮静剤を用意して! ミルタ! 手を貸してちょうだい!」
「何をするんですかベルタ先輩、だってあのひとですよあのひとがいるんですよ。先輩だって知ってるじゃないですかあのひとですよ。ベルタ先輩聞いてるんですか、ねえベルタ先輩。あのひとですよあのひと、あなたも大好きだったあのひと。ねえあそこに、あそこに、あそこに」
機関銃の様に繰り出される言葉。あたしは扉の横で固まっていた。
「婦長!」
飛び出して行ったハンナが戻って来た。その声に反応したのか、ママはこちらを向いた。目が合う。そして。
「……あなた…… 誰?」
がくん、とあたしは足から力が抜けるのを感じた。
そのままずるずると壁に背をつけたまま、床に座り込む。
ずるずると昇ってく光景の中、ママが力の強いミルタと婦長さんに取り押さえられて、鎮静剤を打たれていた。
静かになったママを、ミルタが軽々抱きかかえてベッドへと運んだ。ふう、と額の汗を拭う婦長さんのため息が耳に入った。
だけどあたしはその場から動けなかった。
「……ロッテちゃん?」
あたしの様子がおかしいのに気付いたのは、ハンナだった。
婦長さん、と彼女はすぐに上司に問いかけた。婦長さんは二人を当直室へと帰らせた。
モニターの中はひどく騒がしかった。カメラもあちこち動いているらしくて、ひどく揺れてる。
その中で、軍人と、そうでない人たちが、何か騒いでいた。楽しそうに、騒いでいた。新年祝い? そうかもしれない。
と。ぱんぱん、と軽く両頬をはたかれる気配があった。ぬっ、と目とスクリーンの間に、見覚えのある顔が入ってきた。
「……婦長さん」
「大丈夫?」
「だ…… 大丈夫です」
「ううん、全然大丈夫じゃないわ。……ママには鎮静剤を打ったわ。……ちょっとこっちへ」
そう言って、婦長さんはあたしを強引に立たせると、当直室へと連れて行った。あたしは足に力が入らなかったので、彼女はほとんどあたしを引きずっていった。
「……クーデターが、成功したんですって」
廊下で婦長さんはそうつぶやいた。
「それ以上のことは判らないわ。ただ言えるのは、私達のこのハルシャーは無事だ、ということだけよ」
だったら何であたしの手を引っ張るのだろう。どうしてあの部屋に、ママの側に居させてくれないのだろう。自慢の頭があまりにも今、回転しないのがひどく不思議だった。
「ハンナ、ココアを入れて頂戴。たっぷり」
「ココアですか? ……はい」
やがてあたしの目の前には大きなカップが置かれた。呑んで、と婦長さんは言った。はい、とあたしは言われる通りに口にした。
「……落ち着いた?」
「あたし、落ち着いてます」
「馬鹿」
ぱん、と頭を上からはたかれた。
「あれで落ち着いてる子が居たら、はり倒してやりたいわ」
「……はい」
そう、確かにあたしはまだ落ち着いてなかった。だけど落ち着いていないなりに、頭はゆっくりと活動を始めた。
「……婦長さん、ママは」
「鎮静剤を打ったから、しばらく眠っているわ。……刺激の強い映像だったみたいね」
「あの中に、もしかして…… パパが」
「ロッテちゃん!」
彼女はあたしの両肩を掴んだ。
「そんなことは無いのよ! ええ絶対に!」
はい、とあたしはうなづいた。あまりにも婦長さんの瞳が真剣だったからだ。
「……それと、さっき言ってたことは、……気にしない方がいいからね。たぶん、動転して」
あたしはうなづいた。うなづくことしかできなかった。
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