第8話 足を止めないことだけが大切なこと。

 それは最終学年になって、一ヶ月位経った頃のこと。あたしはその頃、週末となると必ず外出していた。それは首府内のこともあったし、ハルシャー市まで行くこともあった。

 あれ以来あたしは「パパ」クルト・ケルデンの消息をずっと探し求めていたのだ。


 ママの死はあたしの世界を一気に変えた。

 それまでのあたしにとって、未来は「ママと自分」のためだった。

 自分のためだけの未来なんか考えたこともなかった。

 なのにそのママが居なくなった。あたしの未来予想図は粉々に散ってしまったのだ。

 それまでの「予想図」にかけて来た力が強ければ強い程、修正するのは難しい。だから気持ちの切り替えが必要なことは判っていても、そうしてしまうのはまだ辛かった。

 あたし「だけ」のことを考えるなど。

 だからとりあえず、気持ちを逸らすことにした。

 この時、あたしは「パパ」を探すことに学校以外の全てのエネルギーを注ぎ込んでいたと言ってもいい。

 止まってじっと考えているのはゴメンだった。そんなことしていたら、どんどんどんどん、ママのことばかり考えてしまう。

 「こうしたらよかった」「ああしたらよかった」と、今更言っても仕方ないことばかりが頭の中をぐるぐる回ってく。そんなのは嫌だった。だからそんな時はあたしは唇をぎっ、と噛み、幾つかの言葉を祈る様につぶやいた。

 ママは死んだ。もう帰らない。

 死んだひとは戻って来ない。

 泣き叫んでもわめいても何をしても無駄だ。

 そしてあたしは生きてる。

 後を追うつもりもなくこの先生きてくなら、とにかく動くしかない。

 ただ。

 それでも何も無かったかの様に、学校で前と同じ様なことにひたすら時間を使うことはできなかった。目的を無くした勉強に熱意は必要以上にかけられない。

 じゃあ何に熱意を持てばいい?

 そこで「パパ探し」が浮上した。

 何かいつもと違うこと。でもママに関連すること。すればあたしが納得すること。

 目的を設定して。問題の解き方を考えて。

 ―――動く。

 その結果得られることに関しては、その時考えよう。

 ただもう、足を止めないことだけが、この時のあたしにとって大切なことだった。



 だがハルシャー市民病院では、ケルデン医師に関する資料は全て破棄されていた。

 彼が居たという証明すら、婦長さんの様な、当時のスタッフの「記憶」以外無かった。

 だから当時のスタッフを捕まえては少しづつでも聞こうとした。―――のだが。


「無理よロッテちゃん」


 婦長さんは当初「知らない」「死んだのよ」を押し通すつもりだったらしいが、結局、あたしのしつこさに負けた。「探し出してママのお墓参りをさせたい」と説明すると「仕方ない」と思ったらしい。

 そこで婦長さんの証言。

 まずパパは、婦長さんとそう歳は変わらない、現在だったら三十代後半であること。

 それはあたしも知ってた。ママも「生きていれば」ということを時々つぶやいていた。

 皆の憧れだったこと。


「私達は、皆で彼に何か行事にかこつけて学生の様に告白したものよ」

「婦長さんも!?」


 こほん、と彼女は咳払いを一つ。そのあたりはあまり追求しない方がいいらしい。


「でも実際、彼が大人しいマリアルイーゼを選んだ時には、皆びっくりしたものよ」

「どうして」


 初恋すらまだのあたしには、男女の気持ちなんて、さっぱり判らない。


「だってマリアルイーゼは、あの頃本当に引っ込み思案で…… ああ、ごめんね。別にけなしてはいないわよ」


 婦長さんはひらひらと手を振った。判ってます、よぉく言いたいことは判ります。ママは優しかったけど、陽気ではなかったから。


「仕事は真面目だったけど――― そうね、例えば患者さんにどうしても鎮静剤を打たなくちゃならない時があったりするでしょ」


 うん、とあたしはうなづいた。あの時のママの姿が脳裏によみがえった。


「それってやって当然なことなの。患者にとって、それが必要なら、押さえつけてでも私達はそれをするのが仕事なのよ」

「ママはできなかった?」

「いいえそんなことは無かった。マリアルイーゼは、毅然とした態度でやってのけたわ。ただ、その時の患者の気持ちが伝染ってしまう様で、後ですごく悩んだりしたわ」

「……ママは優しかったから」

「そう、優しかった。だけど外科の看護婦としては、少し弱い方の優しさだったわ。……でもママとしては本当に良かったでしょう?」

「もちろん!」


 あたしは大きくうなづいた。だが何となく話が逸れそうだったので、慌てて引き戻す。


「……ねえ婦長さん、婦長さんから見て、パパはママと仲良かったんでしょ? だったらどうして、そんな、捕まる様なことになっちゃったの?」


 婦長さんの顔が歪んだ。


「だから、詳しいことは判らないのよ」

「詳しくなくてもいいの。捕まったのは、パパだけなの?」

「居たことは居たわ。誰かは忘れたけど……」


 彼女は目を逸らした。

 嘘だ。

 婦長さんに会う前にあたしは医師会関係の資料を検索していた。

 パパと同じ時期に医師の登録を抹消されたひとは三人しかいなかった。

 確か神経外科のひとが二人、内科のひとが一人。

 だけど、そのひと達はIDまで消去はされていなかった。

 パパが居なくなったあたりにあった政治犯関係の事件。

 これも新聞社の公開情報の中から見付けることができた。そこには複数の医師が関与した事件が確かにあった。時期も重なる。パパがこれに関係した、と考えるのはたやすかった。そして逮捕された中で、パパだけが、「ライ」へと送られた。


 ―――何故だろう。


 だけど婦長さんからはそれ以上のことは掴めなかった。

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