第11話 「ママはママ、あたしはあたしよ」

「……マスタぁどしたの、早いじゃない……」


 目をこすりながら時計を見る。共通時でまだ朝の四時半。

 ……そりゃこの店はいつも八時には開けているから、六時には起きて支度を始めるのが普通なんだけど―――

 それでも、早いぞ。何してるんだこのヒト。


「よぉ起きたか、ロッテ」

「そんなにごとごと、音をさせてちゃ起きるよ。……あれ…… バスケット?」


 「そ」とマスターはうなづいた。テーブルの上には、大きなバスケットが全部で四つ。


「こんなにあったっけ? バスケット」

「あったの…… どーせ起きてきたなら、ロッテ、お前も手伝え。今日は臨時休業だ」

「臨時休業?」


 ああ、とマスターはうなづいた。珍しいなあ、とあたしは思った。

 というのも、この「駅前カフェ」は、あたしがここにやって来てから三ヶ月というもの、月に二度程度しか休んだことがないのだ。

 常連のお客さんによると、それまでは一週間に一度休みにしていたそーだ。で、その日を使って、材料や菓子類の仕入れに出ていたってことだけど、あたしが来て以来、「仕入れ」はあたしの仕事になってしまっていて。

 曰く、「休むのはもったいない」。

 と言うことで、毎日毎日、これでもかとばかりにあたし達は労働に励んでいたのだ。

 なのにまた何で。

 そう、あたしがこの店に厄介になってから三ヶ月が経っていた。

 戸惑いは無かった。

 変化に戸惑う程暇でも無かった、というのが正しい。何せ毎日がもう忙しくて忙しくて仕方が無いのだ。


「居候・兼・ウエイトレスね」


 現在のあたしのこの「アンデル」駅前「食事もできるカフェ」における位置を、マスター・トパーズはこう表現した。

 彼の「トパーズ」という名は、その蜂蜜色の瞳から来ているらしい。


「でもそれ、ドクトルがつけたの?」


 とある日の閉店後、コーヒーポットを拭きながら問いかけると、「んにゃ、昔の仲間」とマスターはざっくりとした麻袋に入ったコーヒー豆のストックを見ながら答えた。


「昔の?」

「ロッテお前、俺達のこと、イロイロ調べてから来たんだろ?」


 そう言って彼はにやりと笑った。……なるほど、そう思っていいらしかった。


「ちなみにアイツも、そもそもはあだ名」

「……はい? 医者だからじゃないの?」

「だって俺達、自分等が何だったかなんて知らないだろ。だけどアイツにはそーゆー知識があったからさあ」

「んで、医者って訳? ……単純」

「呼び名なんてそんなもの。お前は何か呼ばれてた? ロッテ。あ、名前以外、でだぜ」

「そんな物騒な二つ名なんてなかったもん」

「違う違う」


 マスターはひらひらと手を振った。


「呼び名。あだ名だよ。二つ名なんて言ってないっての。おチビちゃんとか」


 あたしは黙ってマスターの頭をステンレスの盆でぼんとはたいた。「痛いじゃないのっ何よっ」と女の声でマスターは身をすくめた。


「……言い忘れたけどマスター、あたしに『チビ』『ガリ』『ソバカス』は禁句だよ」


 おーこわ、と彼はへへへ、と笑った。


「笑い事じゃないんだからねー」

「はいはい、女の子だからねー。だけどロッテ、ちゃーんと磨けば、ソバカスな女の子ってのは、肌のきめが細かいってことだから、美人になる素質はあるんだぜ? だいたい、お前のかーさん、ずいぶん美人じゃん」

「ママはママ、あたしはあたしよ」


 彼は片方の眉を上げ「おや」とつぶやいた。


「お前、ママに似てないと思ってる?」

「……似てると思える?」

「さーあ。俺にはあまり区別はつかないけどなあ」

「……ホモだし?」

「それがどーした?」


 くくく、と彼は歯をむき出しにして笑った。

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