第14話 「抗争だ抗争」
張り合いがあるのは、夕食や、その後の一服の方らしい。
からん、とカウベルの音がすると、明らかにマスターは嬉しそうだ。
ドクトルの表情は読めない。彼はいつもここに来る時には疲れているからだ。口数も減り、ぐったりとしている。
「お疲れ。今日はどう?」
「油っこいものはパス……」
その程度の要求をすると、すぐに彼はカウンターに突っ伏してしまう。
と。珍しくドクトルは顔を上げた。
そう言えばこのひとの顔をあんまりじっくり見たことは無い様な気がする。
昼間は顔を合わせることは無いし、夜はだいたいこうやって食事の方に一生懸命だし。確かにもう期待って程期待はしていないけど、無視されている様な気がするのは何となくやだ。
―――などという気持ちを多少込め、あたしはドクトルの脇にコーヒーをとん、と音を立てて置いた。何だ、という様に顔を上げる。うわ。目の下にくまさん。ホント疲れてそう。
「……ああルイーゼロッテか…… そう言えばトパーズ、ジオからウチの方に手紙が来てたが」
何が「そういえば」なんだろ。だけどマスターは慣れているのか、すぐに「ジオから?」と反応を返した。
「……後で見せる。なかなか興味深いことが書かれていた」
「了解。ともかくあんたコーヒー呑みなよ」
「ブランデー入れてくれるか?」
「それは食事の後にしてくれ。あんたのリクエスト通りに今日は油っこく無いメニューなんだからな。リゾット、どうだ?」
そう言いながらマスターはほかほかの深皿をドクトルの前に出す。
彼は一口食べて「うん」とうなづく。それを見ながらマスターはふふん、と笑みを浮かべる。
まー何なんでしょうねえ。やっぱりやや複雑な気分になるあたしだったのだ。
*
そんな日々が毎日続いて行くばかりだと思っていたのだけど。
いつもより一時間半も早く起きたマスターは、黙々とサンドイッチだの、ビスケットだの、ローストチキンだのサラダだの作っては、テーブルの上のバスケットの中に詰めた。
「で、だ、ロッテ」
「あ、はいっ」
「今日はこのバスケット持っていちにち、Kんとこ、詰めるからな」
「へ? ドクトルのとこ? ……また何で」
これも要るかな、と彼は戸棚の奥から葡萄酒を二本程出した。そんなものあったことすらあたしは知らなかった。
「……やっぱりピクニック?」
「いや、避難。警戒警報が出たからな」
「……警戒警報? ……ま、まさかどっかでまた反乱がっ」
あたしは思わずあの時のTVを思い出す。
首府でクーデターが起こったのは、つい半年前のことだ。
学校では、明日デモがあるとかテロがあるとか、当たり前の様に話されていた。身近で、身近すぎて現実感が無かった。そして今は、首府から遠く離れてしまったことで、やっぱり遠い世界のことに感じている。
いや違う。あたしははなっから、そんなことを身近になど感じてはいなかった。はっきり言えば、どーでも良かった。ただママと自分が無事ならいい。それだけ考えていた。
そして今は今で、ここが危険なことにならなければいい、と―――それだけ思っていた。
だからこそ、マスターの「警戒警報」という言葉に、つい過敏に反応してしまったのだ。
ところが。
あはは、とマスターは乾いた笑いを立てた。
「違う違う、そういう警戒警報じゃないって。何つか、あー……」
「抗争だ抗争」
のそ、とドクトルも起きてきた。
「何だ、あんたはまだ寝てて良かったのに」
「お前等がそんながたがたやってれば、さすがに起きる……」
そう言いながらドクトルはぽりぽりと頭をかいた。
「もう準備はできたよ。それよりあんたシャワー浴びて来いよ。スイミン不足だろ」
言われるままにドクトルはのそ、と浴室へと向かった。と。それはともかく、確かドクトルは何か聞き捨てならないことを言ったじゃないですか。
「マスター!!」
弾丸の様な勢いで、あたしはマスターの方を向く。
「何、ロッテいきなり」
「抗争って何、抗争って」
「抗争は、抗争。あらそいごと」
「だから何が。反乱とかクーデターじゃないってさっき言ったじゃない」
「いやそこまでは…… えーと、ドンパチ」
あたしは頭を抱える。
「それじゃ答えになってなーい」
「あー、と、前に俺に資金貸してくれた連中、があっちの隣り町に居るんだけど」
あたしがやって来た側の方向を指した。
「その連中はその町の有力者で」
「あのー、それ、ギャングとかそうゆう……」
「ひらたく言えば、そういう感じ。本人達は至って真っ当な企業だ、と主張してるけど」
「ドンパチやらかす連中の何処が真っ当よーっ!!」
あたしはどん、と両手の拳でテーブルをぶっ叩く。四つのバスケットが一気にふらついた。おいワインワイン、とマスターは慌てて駆け寄り、瓶を抱きしめた。
「で、向こうの町にもやっぱり同じくらいの規模の有力な連中ってのが居てなあ」
「……もしかして、その連中、この町で」
「そ」
「何だってこの町なのよっ」
「だから、どっちの町にも危害加えたくないからだろ」
「じゃあこの町ならいいって言うの?!」
「いい訳ねーだろ?」
マスターはワインの瓶を抱え込んだ。
「だからこの町に人が寄りつかないんだよ。怖いから。俺達が来た頃なんて、もっとひどかったぜ。予告無しに始めちまうからなー……あ、すげー不審げに見てるっ」
「……ったり前でしょうが」
「だから俺達が来るまでは、無法地帯だったの。医者もカフェもみーんな、怖くて逃げ出した、ってのはそのせい」
「……医者もそうだったなんてあたし聞いてなかったけど」
「あれ、言わなかったっけ」
そらとぼける。ええ言ってなかったです。いえ聞いてなかったです。はい。
「あーごめんごめん。で、俺達が来てから、その体勢が変わったんだわ。なー、K」
はあ? と浴室から声が飛ぶ。やがてがちゃ、と扉が開いて、ドクトルの姿が現れた。
「だからこの町に居るべきではない、と思ったのに……」
「なら最初からそう言えば良かったのに」
「お前だって言わなかっただろうが」
「だってロッテ、抗争があるからって、お前あん時学校に帰った?」
ぷるぷる、とあたしは首を横に振る。
「居ると決めたんだから、抗争があろーと何だろーと居るわよ」
ね、とマスターはにやりと笑ってドクトルを見た。ち、とドクトルは目を細めて舌打ちをした。
「だいたい戦場は、この駅前メインストリート。つまりここは」
「すごく危険」
当たり、とマスターはぱちぱち、と拍手をする。
「だから今日は、こいつのとこへ一日、避難してるの。こいつの医院は、休戦地帯って言うか、完全な非武装地帯で、安全だからな」
かかか、とマスターは笑った。
「何せこいつ、ここに来て最初抗争があった時に、双方のボスに一喝したからなあ。『この町を予告無しに戦場にするなら、ここでお前等を全員消してやってもいいが?』」
……後半はドクトルの声だった。なるほど、とあたしは大きく息を吸い込んで、吐いた。
「ドクトルって怖いひとだったんだー」
「こいつは怖いよー」
かかか、ともう一度、マスターは笑った。が、その笑いは途中で止まった。
「いや、もっと怖いヤツが一人居たなあ……」
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