第七話
第四次カヴェルナ会戦は、冬を目前に控えた秋の終わりに戦端が開かれた。
大軍勢がぶつかり合う戦場の頭上を飛び越える形で、私を含めた第三王女率いる別働隊は隠密裏にヴェンダヴァルへの越境を図る。フロル王国軍の技術部によって開発された飛翔装具は魔装具の鎧装と連動し、高速且つ高高度での飛行を可能とするという。
かくて索敵術式も届かぬ空域を行く我々は、目的の第一段階を最高に等しい状態で突破を果たした。
三つの小隊に分かれて編隊を組み、空を行くは総勢わずか三十余り。騎兵よりも尚速く進軍して行く中にはあの副官、ペデラも含まれていた。王女に連れられて部隊に合流した際、凄まじく剣呑な眼を向けられたことも記憶に新しい。
索敵担当の指示によって方向を適宜修正しながら飛行する部隊の構成員は、フロル王国軍制式の魔装具を用いている者が多い。しかし、地位が上がれば相応に装備の自由が許されるのはこちらの国でも同様であるらしく、中には山向こうの国々のものを装備している者もちらほらと確認することができた。残念ながら――と言っていいのかどうかは分からないが――、〈スヴァーラ〉を使うのは私一人らしいが。
なるほど、装備の変更を王女から打診される訳である。聞けば、扱いの複雑な〈スヴァーラ〉を選んで用いるものは、フロルでもそう多くはないという。自慢する訳ではないが、その上で特殊作戦に動員するに足る力量の持ち主として選抜されるとなれば、必然的に身元についても絞られてくる。フロル王国軍の者ではないと看破される可能性は、相当高いものとなるだろう。
それを厭うのであれば、と王女は自らの手元にある魔装具の貸与も提案してくれたが、私の能力は〈スヴァーラ〉を用いてこそ最大限に発揮される。特にこの重要な作戦において、保身を気にする余り戦力を落とすのでは目も当てられない。疑いを受けることよりも、目的を十全に果たすことの方が遥かに重要だ。
王女は自らの率いることとなった部隊の人員に対しても、私については「作戦の遂行にあたり、有用であると兄上の推薦を受け、私自身がその評価に間違いがないと判断したので採用した」人員であると説明するだけに留めた。その言を聞かされた者達は疑問の念を表情に表さないではなかったが、終ぞ誰も詳しく問いただそうとしなかったのは、それだけ彼女の地位が軍内において堅固なものであり、また確固たる信頼を得ているという証であったのやも知れない。
「このアヴェラン・シューヴァには、ペデラと共に私の補佐を任命してある。あなた達に直接係わることはそれほどないだろうが、必要とあらば上手く連携してくれ。あなた達なら、それができる。その為に選んだのだから。――シューヴァ、構わないな?」
「……無論、仰せの通りに」
部隊全員の前でそう言われてしまっては、粛々と受けるより他にない。
現在の私は客分にも近い立場ではあるものの、一時的に彼女の部下として組み込まれていることもまた、確かな事実だ。彼女は超然とした〈剣姫〉の顔で、私を「シューヴァ」と呼び、微塵の躊躇いもなく命令する。それは現在の状況においては当然であり、反発を覚える類のことでもない。
ただ、離宮で見せた姿が嘘のような、鋭く研ぎ澄まされた佇まいは――本来納得してしかるべきであるはずなのに、どうしてか違和感が拭いきれなかった。
『フラネーヴェ様、索敵術兵からの報告です。じきに、敵の索敵範囲に侵入すると』
凍えるような空を飛行すること暫し、不意にペデラからの通信が入った。高速飛行の最中にあっては、声音をもってして連絡を取り合うことは適わない。この作戦に参加する人員には、予め思念を送り合うことで密な連絡を可能とする通信術式が、フロルの宮廷魔術師により施されていた。
『了解した。第二小隊、第三小隊はそれぞれ分散して、別方向から攻撃を開始せよ。我々第一小隊は第二、第三が敵を引き付けている合間を縫って砲台の破壊に向かう』
王女の指揮の下、部隊が散開しながら降下していく。
やがて目に入るのは、地上にそびえる巨大な塔だ。砲台とは言うものの、実際に光を放つのはその塔の最上部に据えられた魔術鏡であるらしい。鏡面に収束させた魔力を光へと変換し、超高熱の光の矢を放つ仕組みと見える。
現在戦闘が行なわれているカヴェルナでは、第二王子の言葉が虚偽でないのならば、霧の防御壁を発生させる対策が取られている。それ故にか、我々が降下していく時には、砲台は稼動していなかった。しかし、我々に霧の守りはない。おそらくは砲台の守備部隊の索敵術式に捉えられた時点で、魔術鏡が迎撃すべく起動し始めるはず。
『第二小隊、回避!』
王女が叫ぶと同時に、地上から索敵術式を行使せずとも分かる、強烈な魔力の反応。無論、その発生源など、あの砲台でしか有り得ない。次の瞬間、第二小隊へ向けて眼を焼かんばかりの光条が放たれた。第二小隊は直撃寸前で逃れたものの、地上からの対空迎撃術式に晒され、負傷の報告が断続的に上がる。
『第三小隊、第一小隊、急げ! 第二小隊が対空迎撃を引き付けている間に距離を詰める!』
己の発した命を体現するように、王女は躊躇いなく加速していく。恐ろしく速い。第一小隊は追走しきれず、ペデラは一歩、他の者は少なくて二歩は遅れている。否、並みの兵士では、国境を越えるまでに脱落していたことだろう。選りすぐりの精鋭だからこそ、ここまで同行することができた。
――だが、王女はそれですら悠々と踏み越える。独りになろうとも構わぬとばかりに、真っ直ぐに戦場を駆け続ける。
まさしく人知を超えた超越者、英雄の有様だった。辛うじて並走している私とて、気を抜けば置いていかれかねない。その背を追うことにならぬよう、全霊をもって駆ける。微塵の気の緩みも許されぬ行軍でありながら、それは久しく覚えのない緊張と、奇妙な昂揚をもたらした。
王女の戦いぶりを、戦場における立ち居振る舞いを知れば知るほど、圧倒される。彼女はまさしく、この先三百余年が流れたとしても、再び生まれ出るか分からぬほどの英雄そのものだ。その傍らを駆けているという事実が、さながら童心に返ったように気分を沸き立たせる。
『ペデラ、第一小隊の指揮を預ける。私とシューヴァが先行する。我々が作る隙を狙って、砲台に止めを刺せ』
『かしこまりました』
『シューヴァ、我々は露払いだ。難しい役目ではあるが、あなたとならば果たせるだろう。よろしく頼む』
『お任せを』
答えるや否や、眼下で凄まじいばかりの魔力が弾け、冷や汗まで蒸発せんばかりの熱光が迸った。宙を焼き、天を貫く光の柱。
私と王女は左右に散開し、光の奔流から逃れる。話に聞いてはいたが、いざ我が身をもって目の当たりにしてみると、その脅威の程がよく分かった。これは人を撃つものではなく、布陣する軍をこそ焼くもの。それほどの熱量と、圧力。
これほどまでの代物を、王女はよくもこれを五度防いでみせたものだ。――それも、たった一人で。
『……地上部隊が増えてきたか』
ふと、王女が一人ごちる調子で呟くのが聞こえた。促されるようにして目を向けてみれば、明らかに降下を開始した時点よりも、砲台の周囲に布陣する部隊の数が増えていた。魔装士の数はそれほど多くは見られないものの、対空迎撃用の魔術兵装を擁する部隊が派手に撃ち上げてくる。それらに足止めを食らい、果てにはいよいよ墜落する者さえ出始めた。
宙を蹴って跳び、二射目の光を避けながら王女へと通信を試みる。地上からの攻撃はついに我々へまで及び始めた。回避の最中にすら剣を振るい、対空兵装の魔術弾を打ち払わねばならない。刻一刻と、余裕と呼べるものは削り落とされつつあった。
『殿下、砲台の守りは時をかけるごとに厚くなるものと思われる。我々が露を払ったとて、このままでは後に続くものが消えかねない。――役目の振り直しを進言する』
『フラネーヴェ様、業腹ではありますが、私も同意致します。敵の対空砲火の影響で、我ら第一小隊の進軍速度にも遅れが出ております。我らこそ、砲火を引きつける囮となりましょう。その間に、どうか砲台の破壊を』
すると、王女からの返答の前に、意外なところから援護があった。ペデラの声には、苦渋が滲んでいる。ちらと見てみれば、確かに私達の後を追っていたはずの第一小隊は、いつの間にやらかなり後方へと追いやられていた。
『いいだろう、二人の意見を容れる。……全部隊、敵対空砲火への攻撃に集中せよ! 道を開け! 私とシューヴァで砲台を破壊する!』
王女が力強く言い放つと、方々から応じる気合の声が上がった。それぞれの部隊の中には、少数ながらも弓の魔装具の使い手が混じっていたはずだ。上空からでもいくらか対空砲を潰すことはできるであろうし、降下してしまいさえすれば、剣や槍の魔装士も十全に役目を果たすことができる。後は、私と王女が、事を成せるかどうか。
三度、砲台から迸る光から跳び逃れる。地上からの対空砲火は、少なくとも我々に対しては薄くなり始めていたが、代わりに魔装士が動き始めていた。飛翔装具を用いずとも、駆装に重きを置いた魔装具であれば、ある程度空中での戦闘も可能になる。先に降下を始めていた第二、第三小隊で空中戦の開始を確認。そして、真っ直ぐに砲台へ向かう私と王女の前にも、一人の魔装士が現れた。大振りの剣を携えた、重厚な鈍色の鎧姿には見覚えがある。刻まれた紋章は、剣を背にした翼竜。
――中央でも有数の剣の使い手たる、アンドリニア・アーザ大佐。
「貴様……その機動の癖、その魔装具――南方戦線のアヴェラン・シューヴァに相違あるまい。何故、我らが仇敵を助け、祖国に剣を向けるか!」
装備の重々しさに相応しい、低く壮年の男の声が大気を震わせる。
「我が決断は、嘘偽りなく祖国の安寧を求めんが故。……そこを退いて頂こう、アーザ大佐」
「世迷言を。致し方なし、失うに惜しい戦士ではあるが裏切り者となれば話は別! 今ここで我が剣の露と消えよ!」
突進してくるアーザが、長大な剣を振りかぶる。受けるのは得策でない。右の剣で払い、左の剣で突きに踏み込んだが、鎧の肩で真っ向から受け止め、弾き返された。おそらく、部分的に魔力を集中させ、鎧の強度を高めたのだろう。
『シューヴァ』
王女が、声ならぬ声で私を呼ぶ。言外に問うような意図を感じた。
『配慮は不要。私はこれの相手を仕る故、先へ』
短く返すと、『そうか』と平坦な相槌。
『……武運を祈る』
そう残し、ついに独りとなった王女は宙を駆けてゆく。駆け進む背に刃を向けさせぬよう、間合いを詰めてアーザに斬りかかった。こちらの方が手数では勝るが、やはり頑健な鎧に阻まれて決定打には至らない。
アンドリニア・アーザは勇猛果敢なことで知られ、その戦いぶりは巌の如しと謳われる。堅く、揺るがず、重い。ある意味では、私と間逆の戦い方であると言える。短期決戦は難しいだろう。上手くいなしつつ、王女の後を追いたいところだが……
「シューヴァ、貴様は何一つ瑕疵のない、我が軍も誇るに値する兵であったはずだ。貴様ともあろうものが、彼の〈剣姫〉に誑かされたとでも言うのか」
「まさか。過分なお言葉痛み入るが、私の答えに変わりはない。今一度、申し上げる。――退かれよ、アーザ大佐」
「愚か者め、そのような言葉を聞き入れると思ってか!」
しかし、アーザは巌どころか壁のように立ちはだかり、行く手を阻む。隙を突いて懐に飛び込み、或いは暗器で死角から狙おうとも、微塵も揺らぐことがない。鎧の扱いが上手いだけでなく、単純に本人が頑丈なのだろう。鎧の間接を突いて刺せども、平気で刃を引き抜いて反撃をしてくる。
その最中、不意にアーザの肩の向こうに王女の背が見えた。
振り被られる長剣。渦を巻いて収束する、膨大な魔力。それは砲台の一撃に匹敵するどころか、ゆうに凌駕しよう。それを、ただ一人で扱っているという事実に愕然とする。そこまで――それほどまでに、彼女には果てがなく、底がないのか。
だが、それは守りを度外視した捨て身の一撃に他ならない。その一閃をもってすれば、放たれる光ごと砲台を両断することも可能だろう。さりとて、敵は砲台一つではないのだ。あれでは砲台を破壊した後、一身に対空砲火を受けることとなる。いくら他の部隊が囮として目を引いていても、砲台の破壊が成った時点で、その下手人に全ての目が向く。
最大の切り札を失った驚き、怒り、憎しみ。それらが全て王女へ向けられることになるはずだ。
手薄となった守りでは、到底防ぎきれるものではない。それを分かっていないはずはないだろう。ならば、と巡る思考が、おぞましい考えを抱かせる。もしや、王女はそれさえも――我が身が傷付くことさえも良しとして、蛮勇極まりない攻勢に踏み出したのではないか。
何故ならば、彼女は知ってしまっている。己が万全の有様であってはならないと。己に瑕疵がなければならないと。
ぞ、と背筋が震えた。奔る思考は論理でなく感情。当初の計画通りに事を進めようと思うのなら、ここで私は動くべきでない。そうと分かっていながらも、ひどく感情的な反発が身体を突き動かした。飛翔装具に魔力を叩き込み、瞬間的に推進力を爆発させる。追う猶予さえも与えずにアーザの脇をすり抜け、一足飛びに王女の許へ。
「シューヴァ、何をする気だ!?」
アーザの怒号は黙殺、ただひたすらに駆ける。間に合うかは分からない。王女の掲げる剣に収束する魔力の濃密さは、最早景色を歪んで見せるほど。
「担い手フラネーヴェの名をもって命ずる、〈アリオール〉全能力開放。魔力許容上限棄却」
剣に収束した魔力が、翼に似た輪郭を形作る。天を突く刃は雲を払い、
「――〈
一閃。真っ向から光の柱を打ち払い、巨大な塔を両断した。
ただ一人の担う、ただ一振りの剣。それが我が国が持てる技術の粋を、残された資源の多くを結集して築き上げられた砲台を、放たれた光矢ごと斬り断つ。
それは正しく、神話の再現を思わせた。神の寵愛を受け、成し難きを成す勇者のような。だからこそ、彼女は瑕を得なければならぬ宿命を負ったのやもしれない。神話の英雄が如き超越者は、この時代においては最早単なる異物に近しい。一国の命運を左右し、二国の戦争の行く末を決定付ける。そんな所業を神による後押しもなく、ただの人の身で成すなどと。
だが、真実フラネーヴェ・レイデフロレスはそれを為した。為してしまった。
おそらく、彼女は本来この時代に存在してはならぬものなのだ。神がまだ地上にある時代ならまだしも、現代において人知を超えた英雄は持て余される。その境遇において哀れなのは、そう生まれついたこと自体ではなく、当人が――王女自身が、その事実に自覚的であろうことだ。
剣として育まれ、その役目の為に人生を翻弄される。うら若き娘の身でありながら、彼女はどこまでも己に課せられたものに忠実であろうとする。
それが、ひどく……いとおしく思えてならなかった。
轟音を立てて、砲台として佇立していた塔が崩れ落ちる。石壁は砕けて瓦礫となり、雨にも似た姿で地上へと降り注いでゆく。
しかし、頭上より散らばり落ちる大質量が恐慌を生む傍らで、少なからず強い眼差しでもって空を睨む者がいることを、私は認めていた。対空迎撃兵装が、一斉に空へと向けられる。その全てが同じ方角、同じ場所へ。数多の兵装が魔力を得て、今にも砲弾を放たんと光る。その数は十や二十では下るまい。
されど、今や駆けるに迷いも躊躇いもなく。最後の一跳び――彼女の前へ。
* * *
光を断つ。塔を斬る。生半なことで成し得ぬことを成し遂げるには、相応の対価を必要とする。
剣を振り抜いた腕は、今や鉛のようだ。持てる魔力のほとんど全てを費やして放った一撃は、思惑通りに砲台を破壊した。無理をさせた魔装具は今にも砕けんばかりに軋みを上げ、許容上限を超えて魔力を注ぎ込んだ剣は切っ先からこぼれて欠け始めていた。鎧ですら、あちこちが綻びている。宙に浮かんでいられること自体、奇跡に近い。
崩れ落ちていく砲台の根元では、ヴェンダヴァルの兵士達が降り注ぐ瓦礫の下で逃げ惑っている。その混乱と喧騒の中にあってさえ、空を睨む目があることにわずかな感嘆を覚えた。どうして中々、ヴェンダヴァルの兵も精練されているらしい。己の危機に際しても
地上の兵士が構える、迎撃兵装が光を放つ。魔力を光と散らしながら、数多の矢となり、弾丸となり、天へ向かって迸る。
私は、それを諸手を広げて迎えた。恐怖はない。あるのは、ほのかな充足感。――そう、私は満ち足りている。これで与えられた役目は十全に果たされた。後はきっと、兄上が上手く収めてくださるだろう。私はそれを待つだけだ。その為には、命さえ繋がっていればいい。
だから、百の矢に貫かれようと、千の砲にさらされようと、歓迎するばかりであったのに。
「何故」
……どうして、あなたは、そこにいるのか。
突風の如き速さでもって、背後から現れた人影。私が受けるはずの矢を、放火を、一身に受け止める背中。それこそが私がひたすらに焦がれ、ほしいと我が儘を言った人。
「アヴェラン!」
咄嗟に叫んだ声に、答えはなく。或いは、怒涛の砲火によって生じる轟音に遮られて届かなかったのやもしれない。華麗なまでに振るわれる双剣、それですら防ぎきれぬ矢が鎧を削り、その身を傷つける。私はそれを愕然と、呆然として見つめていた。
「……あなたは、本当に、無茶をする」
一斉に着弾した砲火が、霧のような煙を沸き立たせる。その白煙の立ちこめる中、途切れ途切れの声がかすかに聞こえた。
信じられない。意味が分からない。頭の中を疑問と困惑が埋め尽くす。何故、としか考えられなかった。戦場の真っ只中にあって、あるまじきことに。
「何故こんな、無茶など……あなたの方が、余程……!」
「私の方が? あなたに言われるのは、非情に心外だが」
答える声は、笑っている風ですらあった。欠けた鎧の背中が振り向く。兜も、籠手も、鎧のあちこちが破損し、流血していた。痛ましいなどという言葉では足りもしない満身創痍。
そんな姿でありながら、振るわれた剣は余りにも滑らかに、美しく流れるような軌跡を描いた。
「――だが、それ故、永きに亘る争いに終止符が打たれるものと、信じます」
穏やかに紡がれた言葉を、激しい痛みと熱の中で聞く。
剣を握っていた右腕が斬り飛ばされ、くるくると宙を舞って地へと落ちていく。それを、私は他人事のように見送った。
そうか、と胸の内で呟く。奇妙な得心。これが彼の選んだ決断で、筋道か。ただ巻き込まれ、なす術もなく流されるのではなく――巻き込まれども、その中で己の選ぶべき道を見つけたのならば。
それは、何よりも喜ばしいことだろう。私が求めたひとは、苦境にあって尚、己を見失うことなく誇り高い。その証明ですらあるのだから。
「尽忠大儀である、アヴェラン・シューヴァ。貴公の決断は、この永き戦いを終える決め手の一つとなるだろう」
将軍としての顔を作って答えれば、血塗れた顔で彼はかすかに笑う。
地上からの追撃はない。いよいよ倒壊した砲台の塔が地上に墜落し、その為に空に目を向ける余裕がなくなったのかもしれず、また私達の周辺に漂う白煙が煙幕の役目を果たしていたからかもしれない。私の率いてきた部隊が、地上への牽制を始めた効果もあるだろう。
ともかく、私は、その時千載一遇の、対話の時を得ることができたのだ。
「……今になって、あなたの言葉が少し分かったような気が致します。有象無象の砲撃で、あなたの剣が失われると思うと、耐え難かった。ならば、せめて我が手で、と。――戦いの結果としてですらなく、純然たる私情でもって御身を欠けさせる大罪に、申し開きをする気は毛頭ございません。償いはいずれ、如何様にも」
これまでに見たことのない穏やかさでもって告げる顔は、徐々に鋼のように白く凍り付き始めていた。
これぞ兄上が秘密裏に開発を進めていた、諜報員からの情報漏洩を防ぐ凍化の術。対象を凍り付かせ、如何なる干渉も拒絶することで黙秘と代える究極の守り。それが、何故アヴェラン殿に施されているのかは分からない。分からないけれど、要するに兄上と何か企んでいたということなのだろう。……私に、内緒で。
「貴公に罪など無い。私を守り、友軍の攻撃をその身で受けた。その勇敢と献身に、心より感謝する。……けれど、一つだけ言わせてもらえば」
おそらく、もう言葉を発することもできないのだろう。アヴェラン殿は小さく首を傾げるような素振りを見せた。何か、とでも問うような。
「あなたが私の剣を惜しんでくれたように、私にもあなたを惜しむ気持ちがある。何故こんな無茶を、と詰りたい気持ちで一杯だ。――だから、『いずれ』必ず、私の許へ。その時にこそ、改めて弁明を聞こう。それまで、決して死ぬな」
兄上の術は対象の時を凍り付かせるが、あくまでもそれは硬直と停止に過ぎない。受けた傷はそのまま、癒えることもなく留められる。
アヴェラン殿は小さく顎を引いてみせ、
「……必ずや」
そうして、完全に凍り付いた。魔力の供給を失った魔装具が剣と鎧の顕現を解き、飛翔も跳躍も不可能となった身体が落下を始める。
本音を言えば、その身体を抱えて帰りたかった。けれど、それだけはしてならない。それをしては、おそらく全ての意味がなくなる。兄上が意味もなく術を施すはずがない。であるからには、きっと「ここ」で残していく為にこそ。
『全部隊に告ぐ。我らが役目は果たされた。撤退する!』
通信術式で号令を発しながら、踵を返す。一帯に漂う白煙も、次第に晴れつつあった。
この機を逃さず、離脱してしまわなければならない。血を流し続ける右腕の断面を掴んで締め上げながら、治癒魔術を施す。癒やす必要はない。今は出血が止まりさえすればいい。残る魔力は飛翔装具に充填、飛翔を開始。
白煙を突き抜けて、虚空に飛び出す。索敵術式によれば、部隊の大部分は撤退し始めていた。その隊列から離れて私の方へと向かってくるのは、ペデラだろう。ただ、ペデラと合流するには、その前に一つ障害があった。
アヴェラン殿が相手取っていた、巌じみて大柄な魔装士。その魔装士が、未だ空に残っているのだ。剣を再生する余力もないに等しく、片腕を失った身で、どの程度時間を取られずに済むか。
脳裏に一抹の懸念が生まれるが、行く手に佇む魔装士は長大な剣を携えていながら、それを私に差し向けることなく、あろうことか――
「我が身を削っての英断、賞賛申し上げる。密書は確かに」
そんなこと囁き、「お急ぎあれ」と背中を押してきたのだ。
押された背中から注がれた魔力が、飛翔速度を更に速める。
『姫様!』
呆気に取られている間に、ペデラが接近してきていた。並んで飛翔し始めたかと思うと、私の左腕を掴んで自分の肩に回させる。
『お労しい、あのヴェンダヴァルの痴れ者めが……』
私の身を案じる一方で、同時に「ヴェンヴァルの痴れ者」を憎憎しげに罵るという器用なことをしてみせながら、ペデラは更に飛翔速度を上げる。この分では、ペデラも私同様に企みの詳細は知らされていなかったようだ。
『いや、ペデラ、全ては上手くいっているみたいだ』
『上手く? そんな馬鹿な』
『馬鹿なものか。私も、あなたも、仲間外れにされていただけさ。兄上は、どうも私に内緒でアヴェラン殿と企んでいたらしい』
そう――私は、完璧に出し抜かれたのだ。
兄上と、アヴェラン殿に。けれど、不快には感じない。それどころか、笑い出したいような気分でさえあった。
「ああ、再び合間見える時が楽しみだ」
「ひ、姫様?」
何故か、ペデラの頬が引き攣っていたけれど。
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