第六話

「多忙のところ申し訳ないが、少し時間をもらえるだろうか」

 アヴェラン殿がそう切り出したのは、私が久方ぶりに離宮に戻って二日目の夜――夕食の最中のことだった。朝と同じように、食堂のテーブルで向かい合わせに私達は座っていた。

 今日は王城での軍議や典医による診察、次のカヴェルナでの戦いに備えて選抜を進めている魔装士の別働隊の人員確認など、一日中用事が相次いでいた。正直に言えば、戦場働きとはまた違った種の疲れを覚えていなくもなかったが、アヴェラン殿からそんな打診を受けるのは初めてのことであったので、私は一も二もなく頷いた。

「構わない、どんな用事だろう」

「第二王子との会談の結果、次の――第四次カヴェルナ会戦において、私は第三王女……つまり、あなたの指揮する部隊に加わることが決まった」

「うん?」

 淡々として聞こえるほど落ち着き払った声音で告げられた事柄を、私はすぐには理解することができなかった。

 ええと、何だって? 「私は」「あなたの指揮する部隊に」「加わることが」……

「決まったぁ!?」

 噛み砕いて飲み込むに似た数秒の間の後、ようやっと言葉の内容が頭の中にきちんと入ってきた。ただ、素直に受け止めてしまうには、少なからぬ――いや、とてつもない驚きを伴ったけれど。

「ど、どういうこと?」

「そのままの意味だが」

 そのまま意味……となると、まるで私の麾下に降ったように聞こえてしまう。アヴェラン殿は以前、それに類する提案を上の兄上が打診した際、きっぱりと断っていたはず。

「まさか、父上や上の兄上から何か圧力があったのだろうか。捕虜から誰か人質にでも……?」

 無理矢理に意を翻させられたのであれば、とても良くないことだ。

 アヴェラン殿を招くにあたって、父上にも兄上たちにも「アヴェラン殿が望まぬ一切の行為を強要してはならない」という約束を取り付けてある。それが反故にされたのであれば、相応の抗議を行わなければならない。約束とは守るものであり、守られるものなのだから。

「いや、あなたの心配しているようなことは何もない。配下に降る、という訳でもないからな。あくまでも次の一戦において、あなたの指揮下に入るというだけだ」

 しかし、アヴェラン殿はあっさりと頭を振る。……ううん? ますます事情が分からないぞ。

「つまり、表向きは、ということなのだろうか。――ハッ! で、では、いよいよ私を背中から刺す、という……!?」

 離宮に留まり続ける生活が、ついに耐えがたく辛くなってきてしまったということだろうか。確かに、もう半年近く繋ぎ止めてしまっている。いい加減にしろ、と言われてもやむない。いや、今まで何も言われなかったことの方がおかしかったのだろうか? 私は人の心の機微を察するのが下手――と、上の兄上がよく言う――らしいから、自分では分かっていないだけで、他にも何か見落としや粗相があったのかもしれない。

 情けないような、申し訳ないような悲しい気分になってきて問いかけると、深々としたため息が吐き出された。

「何故そうなる。あなたは私がそのような所業に出る人間だと思っているのか。加えて、第二王子がそれを許すと?」

「思ってはいないけれど、お互いの身分からすれば、有り得ないことでもないのだろう? 兄上なら、せめて私の手で始末をつけられるようにと、そう配慮をしてくれておかしくない。……よくよく考えてみれば、あなたのことも随分と長く引き止めてしまったし。それに、結局は――」

 私はあなたの敵だから、と添えると、アヴェラン殿はかすかに眉間に皺を寄せた。

「引き止める云々は今更だ。そもそも気にするのならば『捕虜を隔離した』ことではなく、『自分以外の人間を手中に収めておこうとした』ことだろう。人は他人を所有することはできないし、まして許される行為でもない。人として真っ当にあろうと思うなら、まずはそれを理解すべきだ」

「それは、そうだ……はい」

「どちらの国に属するかに限らず、外出を禁止され、無為に時間を持て余す日々を余儀なくされれば、人は怒りや反発を覚えるもの。特にヴェンダヴァルの軍人――私以外の余人であれば、半月ともたなかったろう。自分を降伏させた張本人の膝元で飼われるに等しい状況下に置かれ、黙って大人しくしている奇特な人間など、そう多くはない。私が反抗しなかったであなたを勘違いさせることになるのは不本意であるから、忠告しておく」

 静かに、あくまでも冷静に指摘する声には、反論の余地など少しも残されてはいなかった。はい、はい、と大人しく頷きながら、ふと思う。「私以外の」ということは……

「では、アヴェラン殿、あなたはどうして『黙って大人しくして』いてくれたのだろう」

「……私見だが、軍人を志す者は二つに大別することができる。持てる技能を生かす為に志す者、何らかの目的を達成する為に志す者」

 質問に反し、急に違う話が始まってしまった。何を言いたいのだろう、と内心不思議ではあったけれど、きっと何か意味があってのことに違いない。黙って耳を傾けることにする。

「私は前者に相当する。剣に長けていた、と言えば聞こえはいいが、剣を振るうしか能がなかったのでね。もちろん軍に名を連ねる者として、何の為に剣を振るうかは弁えているつもりだが」

「剣を振るうしか……私から見れば、あなたはとても多くのことができるように見えるけれど」

 植えた花の世話の仕方を教えてくれたし、以前から離宮の整備をしてくれている――今までそれをしてくれていた者が不在となる代わりに清めの術式は施されているけれど、全てに手が届く訳ではないと聞いている――ようでもあった。それにペデラが言うには、アヴェラン殿はさほど位の高くない身分の生まれでありながら、数々の戦功を示すことで現在の階級にまで上ってきたらしい。真に「剣を振るうしか能がない」のであれば、もっと低い階級で頭打ちになっていたはずだ。

 そう述べると、アヴェラン殿は軽く頭を振り、

「それは買い被りというものだ。私はさほど器用な性質ではない。――ともかく、私は己の持てるものを最大限生かす為に軍に入隊し、それを磨くことに腐心してきた。国を守る為に、或いは外敵を排除する為に軍人を志した者とは、やや動機が異なるということだ」

 よくは分からないが、本人がそう言うのなら、そういうことなのだろう。ひとまず了解を示す為に頷いてみせる。

「私は剣を握って育ち、剣によって身を立てた。その自分を完膚なきまでに打ち負かした遣い手――それが単純に気にならないと言えば、嘘になる」

 テーブルの上で手を組み、空になった食器へ目を向けたまま、アヴェラン殿は淡々とした口ぶりで語った。その最中も、視線は決してこちらを向くことはない。それが少しだけ、物足りない。

 けれど、私はそれ以上に満ち足りた気分でもあった。ふわふわと、踊り出しそうなくらいに暖かで弾む心持ち。そうか、姉上たちが意中の相手に反応を貰えて喜んでいた時の気持ちは、こんなものだったのかもしれない。

「それは、あなたも、少しは私に関心を持ってくれていたと、そう思っても、いいのだろうか」

「フロル王国の第三王女、ということであれば、我が軍全てがその一挙手一投足に注目している」

「んん……それはそうだろうけれど、そういうことではなくて」

 そうだけれど、そうじゃない。こういう時、どうやって指摘すればいいのだろう。どうにも私は言葉を練ったり、言葉を交わしたりするのが下手でいけない。上手い言い方が見つからない。

 唸りながら悶々と悩んでいると、不意に向かいで「ゴホン」と咳をする音が聞こえた。はて、と目を向けてみれば、アヴェラン殿が何やら背けた顔をこちらへ戻そうとしている様子が目に入る。

「……申し訳ない、意地の悪い答え方をした」

「うん?」

 何がどういうことなのだろうか。首を捻っていると、アヴェラン殿は小さく肩をすくめ、

「私個人が、あなた個人に関心を持っていたのか、ということを訊きたいのだろう」

「ああ! うん、そう、それだ。そういうこと」

 どう言えば良いのか分からなかったことに、パッと答えを与えられるのは不思議な爽快感を伴った。ぱん、と掌を打ち鳴らして頷いてみせれば、アヴェラン殿は軽く息を吐いて眉間に皺を寄せる。私はそれほど人の表情を読むのが上手ではないけれど、何となくその表情は不機嫌ゆえのものではなく、どこか気まずげなような、戸惑っているがゆえのもののように感じられた。

「先に述べた通り、私は己の剣を生かす為に軍に入った。愛国心の類が薄いつもりはないが――まあ、如何せん剣にばかりかまけてきた武骨者だ。祖国にとって最大の脅威を前にしても、憎むだの憤るだのするより、その剣に目が向いてしまう程度には、不届き者であるという訳だ」

 そして、それはとても遠回しな言い方ではあったけれど、鈍い私にも込められた意図を察することができた。突き詰めてみれば――つまり、肯定の言葉だ。

 にへ、と頬がだらしなく緩むのを感じる。ああ、嬉しいな。これは、とても嬉しい。

「話が逸れてしまったな。私が何故この離宮に留まっていたのかなど、この際どうでも宜しい」

 再び咳払いをして、アヴェラン殿が言う。明らかに話を変えたがっている様子だ。けれど、私は断固として首を横に振らせてもらうぞ。

「よくはない、私は知ることができて嬉しい」

「……それは結構だが、本題は次の会戦において私があなたの指揮下に入るということだ」

 どことなしか渋い表情で言われ、我に返る。そうだった、浮かれて喜んでいる場合ではなかった。兄上と何やら打ち合わせたのだったっけ。

「ヴェンセル兄上とは、どんな企みを?」

「企みとは人聞きが悪い。企てがあるのは、そちらの方だろう」

 やれやれ、とばかりの様子で返された言葉には、今はまだ笑い返すだけに留めた。

 兄上はアヴェラン殿にどこまで打ち明けたのだろう。そして、どういう思惑で打ち明けたのだろう。それが判然としないことには、勝手にあれやこれやと口を滑らせてしまう訳にはゆかない。

「あなたと第二王子の企ては、概ね聞いた。私は私の剣を生かす為に軍人となったが、その剣を振るうのは祖国と民を守る為にこそだ。不要な犠牲は望むところではない。あなた方の計画によって、より良い形で戦が終わる――和平が成るのならば、それに手を貸さない道理もないだろう」

 ここに至り、初めて瑠璃の眼が真っ直ぐ私へと向けられた。まるで射るようでありながら、けれども敵意も、また憎悪もない。ただ静かに、見定めようとしている。

 その冷静さと鋭利さを、とても好ましいと思う。それは振るわれる剣にも似ている。感情に振り回されることなく、勝ちを掴む為にこそ磨き上げられたもの。そして、様々な奇手を使いこなすように、柔軟な判断を下すことができる。素晴らしい資質。

「私があなたの指揮下に入るのは、あなたに死なれても困るが、あなたに必要以上の戦果を上げられても困るからだ。第二王子の策を成すならば、双方等しく……それに近いだけの被害と戦果を取らせる必要がある」

「兄上の言葉を借りるのなら『互いに無傷では困るが、形振り構わなくなるほどの重傷になっても困る』ということだろう? 分かっているよ、打算を働かせるだけの余裕は残さねばならない。であればこそ、あなたが手を貸してくれるのはありがたいな。きっと、どうしても私達からの視点だけでは偏ってしまうだろうから。短い間の協力関係ではあるだろうけれど、よろしく頼む。忌憚のない意見を聞かせてほしい」

「……元より、そのつもりだ。必要以上の破壊が認められた時には、それを阻むのも私の役目だろう。あなた方の企てが真なるものである限りは、私も全力を尽くす。だが、もし我々を欺く方便とならば、その時は話が別だ。私はあなたという『人間』を心底軽蔑するであろうし、如何なる手段を用いてでも打ち倒すにやぶさかでない」

 凪いだ水面を思わせる声は静かに、けれど確かな覚悟を滲ませていた。

 アヴェラン殿は「私という『人間』を」と言った。それは王国を守る剣ではない、人になってみたいと願う私だ。ただ一人の人をほしいと願う私だ。出会う前ならばいざ知らず、今の私には、その言葉は格別に効く。久しぶりに恐ろしさなんて感情を、久々に思い出してしまいかねないくらいに。

 冗談でも、笑うことはできなかった。それどころか、下手に反応し過ぎないように自分を保つので手いっぱいだ。

「それで、私を殺した、その後は? それから、あなたはどうするつもりなんだ」

「長らえるつもりはない。敵に利用された浅慮は、自らの命をもって贖う」

 きっぱりとした答えは、薄らと予想のついていたものでもあった。であれば、今こそ明朗に笑ってみせよう。そんなことは有り得ないのだと示すように。そして、確かな言葉でもって応えよう。

「そうか、それはとても困るな。私はあなたを死なせたくはないし、あなたに嫌われたくもないんだ。だから、私たちの企みが上手くいくよう、どうか力を貸してくれ」

「念を押されずとも。一度口に出した言葉だ、違えたりはしない。それに、私も自殺志願者ではないからな」

 自ら命を絶ちたいとは思わん、と穏やかな声が言う。語る声音の荒れていないことが嬉しく、同時にやっとそれがひどく得がたいものであることに気付けた気がした。

 私の我侭でアヴェラン殿を離宮に留めている間、私は嬉しくて終始浮かれていた。けれど、アヴェラン殿にとってはお世辞にも良い日々であったはずはない。何か一つでも違っていれば、これまでの日々はもっと早くに、もっと悪い形で終わりを迎えていたのだろう。

 私は全く理解していなかったけれど――私が無理矢理に手に入れたつもりだったものは、そうなる可能性の方が圧倒的に高い、極めて危うい均衡の上に成り立っていた関係だった。

「うん、あなたをここに留めてしまった長い月日が、あなたに自らの命を絶つことを考えさせるまでに至らなくて良かった。――本当に、私はダメだな。剣はうまく使えるのに、人の心はちっとも分からなくて」

「……初めから、何もかもが理解できている者などいない。あなたはおそらく、経験が乏しいだけだ。初めは理解していなかったとしても、今は多少なりとも分かり始めているだろう。ならば、時と機会を重ねるうちにいずれ器は満たされる。書に曰く、人は人として生まれるのではない。人の中で生きるうちに、人になるのだそうだ」

 静かに、静かに語る言葉を聞きながら、ぼんやりと思う。

 人は人の中で生きるうちに、人となる。では、私は剣として育まれたゆえに、剣となったのだろう。それならば――

「剣として鍛えられたものが、今からでも人になれるのだろうか」

「そうなりたいと思って、私をこの離宮に呼び寄せたのだろう。無責任な物言いではあるが、そう願う限り、何にでもなれる。あなたはまだ、私の生きてきた年月の半分をやっと生きているところだ」

 何にでもなれる。不思議とその言葉は、すとんと私の中に落ち着いた。

「アヴェラン殿は、面白い人だな。まるで神話に出てくる、英雄を導く神託の魔法使いのようだ」

「何を突拍子もない」

「だって、魔法使いの言葉を信じて、いつも英雄は先の読めない旅に出るものだろう。それによく似ている。根拠はないけれど、何にでもなれると言われたら、本当に何にでもなれるような気がしてきた」

 そう言うと、アヴェラン殿はまた眉間に皺を寄せた。不機嫌にも似た、戸惑いの表情。

「……あなたは、私を過大評価しすぎる」

「そうかなあ」

 自分の知らない、全く新しい道を教えてくれるという意味では、そんなに変わらないと思うのだけれど。

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