剣姫は恋をした

奈木

 伝説の剣や神託の勇者によって国や世界が救われる時代は去り、

 王の名の下に軍が編まれ、王の許しの下に職人が魔装具ぶきを作る現代。

 とある国に、並々ならぬ剣才を誇る姫君がいたという――



 * * *



 大陸の遥か東の果てに位置するフロル王国は、長らく隣国であるヴェンダヴァル王国と険悪な関係にあった。

 発端は古く――二つの国がクラーロ王国という、一つの国家であった時代にまで遡る。伝承によれば、二人の王子の王位を巡る諍いが、争いの発端になったのだという。急逝した父王が、双子の王子のどちらに王座を譲るとも言い残さなかった。それゆえに国は、兄王子を王と掲げるヴェンダヴァル、弟王子を王と掲げるフロルとに二分された。

 奇しくも、分かたれた土地は広さにおいても、豊かさにおいても、ほとんど差がなかった。広大な大陸には他にも多くの国があり、中には漁夫の利を得ようと目論むものもないではなかったが、分かたれた二つの国を囲うようにして連なる峻厳な山脈が、余人の関与を阻んだ。幸か不幸か、二国は等しい条件下において、各々の持てる力だけで戦わねばならなかった。


 初め、どちらの国の王も戦がそれほど長引くものとは思っていなかった。しかし、開戦当初の思惑を超え、争いはひたすらに続いた。十年が経とうと、四半世紀が過ぎようと、収束の兆しが表れることはなかった。

 数多の血が流れ、国境付近の土地が幾度となく名を変える羽目になっても、どちらかの国が亡びるまでには至らない。純粋に国力や兵力が拮抗していたことは事実だが、或いはかつての同胞を根絶やしにすること――そして何より、自らの立つ大地の片割れに等しい土地を焦土にせしめるということに、二国ともどこかしら躊躇いがあったのかもしれなかった。

 かくして永遠に続くかに思われた争いの歴史は、ヴェンダヴァルの宣戦布告によって戦端の開かれた第六次クラーロ戦争において、突如大きな変化を迎えた。最初期の戦闘においてフロル軍の主力部隊が半ば壊滅したことにより、著しくヴェンダヴァルの有利に傾いたのである。

 数百年の長きに及ぶ因縁にも、ついに決着の時が来たるか。

 そんな言葉が、実しやかに囁かれるようになった。フロルの民は落胆と絶望を、ヴェンダヴァルの民は歓喜と昂揚をもって、戦況の推移を見守った。

 されど、一年待とうと、二年待とうと、またしても決着の時がやって来ることはなかった。


 フロル王国軍には、護国の柱と称えられる三人の将軍があった。

 槍に秀でるバザート・カリーセ、斧に長じたミカ・ヴァジェン。勇名轟く二将軍は奪われた街を次々と奪い返し、また国境際の砦を駆使しての守勢において、多大なる功績を上げた。

 一方で、積極的にヴェンダヴァル軍の撃退に乗り出した三人目の勇士こそが、当代の王の末娘――弱冠十八歳の第三王女、フラネーヴェ・テルセイラ・レイデフロレスその人である。

 フラネーヴェ第三王女を、人は〈三ノ剣姫つるぎひめ〉と呼んだ。剣豪として名を馳せた先代の祖父王にすら「鬼才」と言わしめ、幾度となく国境を超え攻め入ってきたヴェンダヴァル軍を撤退せしめてみせた、一騎当千の姫将軍。

 戦場においては常に最上の戦果を上げ、王都に帰還しては朗らかな笑顔で民の歓待に応える。非の打ちどころのない英雄として、人々は〈三ノ剣姫〉をフロル王国の救世主と称え、尊んだ。

〈三ノ剣姫〉の活躍を語る上で外すことができないのが、国境際のフリア平原を戦場とした第一次フリア会戦である。第六次ラクーロ戦争の最初期に発生したこの戦いに加わった当時、〈三ノ剣姫〉はまだわずか齢十四であった。十四歳の少女という身でありながら、ヴェンダヴァル軍の将軍を一人ならず二人までも打ち倒したことで、〈三ノ剣姫〉の有名は両国の隅々まで轟くこととなった。

 その後も、〈三ノ剣姫〉は凄まじいまでの勢いで戦果を上げ続けた。

 ブロト渓谷の戦いではヴェンダヴァル王国第二王子ヴルメリオ・レイデヴェントを敗走に追い込み、カヴェルナ街道の戦いにおいては大将軍ラゴア・アールヴォレを打ち破った。ヴェンダヴァル王国においては、今や姫でなく鬼――さながら鬼神の如しと恐れられる有り様である。


 事実として、〈三ノ剣姫〉は誰よりも姫君らしくない王女だった。

 幼くして祖父王に見いだされ、剣を握って育ったがゆえに他の姉妹とは異なり、王族の娘として期待されるものをほとんど持っていない。しかし、父王は彼女を手放しに褒め称えることこそあれ、腐すことは決してなかった。

〈三ノ剣姫〉の救国の英雄としての働きは、姉妹たちにあって彼女が持たぬものを補うに余りあり、何よりも〈三ノ剣姫〉は無欲だった。剣を握らせれば並ぶものなしとすら謳われる戦いぶりを称え、褒美を与えようとしても、あっけらかんとして興味を見せない。

 あれは剣を通してしか物事を見ない、と第一王子にため息を吐かれるほどに、〈三ノ剣姫〉は剣を持ち、戦いに出ることにしか関心を抱かなかった。

 稀に願うことがあっても、

「山向こうの国の魔装具が欲しい」

 と、新しい武器を願うのが精々である。〈三ノ剣姫〉は、まさしく護国の剣そのものだった。

 魔装具とは現代における主流の武装であり、三種の魔術式を封じた装身具である。魔力を編んで鎧と纏わせる鎧装、同様にして武器を作り出す剣装、魔力を放出することで鎧を着込みながらも高い機動力を生み出す駆装。それらを使いこなして戦う魔装士こそが戦場の花形であり、〈三ノ剣姫〉は剣遣いの魔装士として王国随一の腕前を誇った。

 他国での事情はどうであるか定かでないが、フロル王国内においては、魔装具は王の下命を受けた四つの侯爵家のみが製造を行っている。多数の職人を抱え、年単位での開発計画を組み、製造を行うことができるものが他になかったことが主たる理由であるが、同時にその体制は各家の競争心を大いに煽った。

 日夜研究と開発の進む魔装具は、次第に製造する家ごとに固有の特徴を獲得するに至った。製造する国が異なれば当然のこと、その特徴や差異は一層に大きくなる。案の定、暇さえあれば〈三ノ剣姫〉は手元に集めた魔装具の研究と分析に熱中し、没頭した。


 そのようにして日々を過ごす〈三ノ剣姫〉は、年頃の娘のように美しいドレスや宝石に興味を持つこともなく、また色恋にも関心を持たなかった。これを憂いたのが母である第二妃と、母は違えど仲睦まじく暮らしてきた姉妹である。

 どこそこの貴族の次男が見目麗しいとか、軍のどこの部隊に腕の立つ偉丈夫がいるとか。〈三ノ剣姫〉の母や姉妹は様々な情報を得て来ては当人に囁きかけたが、常にその反応はけんもほろろ、梨の礫極まりない。そして、あろうことか彼女達の思惑は、戦の情勢にさえも阻まれることとなった。

 ――王国歴323年、春。

 どうにかして〈三ノ剣姫〉に年頃の娘らしい楽しみを、と躍起になる王妃や王女達を尻目に、第二次カヴェルナ会戦の戦端が開かれた。当然の如く、〈三ノ剣姫〉は先陣を切って参戦した。三日三晩に渡る戦いは熾烈を極め、両国共に少なからぬ被害を出したが、より多くの指揮官の打倒に成功し、多数の捕虜を得たフロル王国が紙一重上回る形で勝利を収めた。

 王都を上げて行われた第二次カヴェルナ会戦の戦勝を祝う祭りは、それは盛大なものとなった。開戦の折りは最悪に近しい状況であっただけに、人々の喜びもひとしおである。宴は一昼夜を超えても尚終わることなく、街には喜びの声と賑やかな楽の音が響き渡った。

 王宮においても、もちろん祝宴は催された。勝利の美酒に酔う王は、未だかつてないと重臣たちに苦笑されるほどの上機嫌で杯を重ねる。しかし、敢えて王を諌める声もなかった。何せ開戦当初の惨状を思えば、今回の勝利に至るまでの戦歴は、まさに奇跡に等しい。

 加えて、その状況を生み出す一翼を担ったのが他ならぬ愛娘である。王といえども人の親。鼻が高いと喜べば、酒杯を運ぶ手が止まろうはずもなかった。

「我が愛娘、フラネーヴェよ。此度も凄まじいまでの戦いぶり、誠に見事であった。褒美を取らせる。望みはないか。欲しいものはあるか?」

 美酒で顔を赤らめ、満面の笑みを浮かべた王は、いつものように〈三ノ剣姫〉へと問い掛けた。そして、また〈三ノ剣姫〉もいつも通りに感謝と礼をもって応え、

「欲しいもの、ですか」

 されど、常ならざる返事を、した。

 初めて王の問いに悩む素振りを見せたのである。開戦以来、膨大なまでの戦果を積み重ねてきた〈三ノ剣姫〉は、何度となく王と同じやり取りを繰り返してきた。しかし、彼女がその問いを投げかけられるようになって以来、「何でもいい」であるとか「新しい魔装具が欲しい」以外の反応を返したのは、全くもって初のことだった。

 俄かにざわめく周囲のことなど目に入っていないとばかりに、〈三ノ剣姫〉は考え込む素振りを見せる。そうしてしばらく黙りこんでいたかと思えば、パッと勢いよく顔を上げ、

「父上、アヴェラン・シューヴァをください」

 民に慕われる、屈託のない明朗な笑顔で言った。

 対して、戸惑ったのは王である。そのような名前に覚えなど無い。〈三ノ剣姫〉が興味を持つからには、並々ならぬ使い手ではあるのだろうが――

「そのシューヴァとは、何者か?」

「私が戦って、私に傷を負わせて、私が降したヴェンダヴァルの戦士です」

 満面の笑顔で〈三ノ剣姫〉が答えた瞬間、王が身を浸していた心地よい酩酊は一瞬で醒め、宴の会場が阿鼻叫喚めいた混乱の坩堝に叩き落されたことは言うまでもない。

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