第二話
第二王子の訪問を受けた明くる日、私は行き先を告げられぬまま収容所から連れ出されることとなった。
昨日の王子の話が偽りでないなら、第三王女の許へ移送されるのやもしれないが、聞かされた内容が内容であるだけに、どうにも俄かには信じがたい。それに、収容所にはまだ部下も多く囚われている。彼らに何も言わず姿を消す形になるのは何とも収まりが悪く、落ち着かない心持がした。普段と異なる戦地へ、共に派遣されてきた身内のようなものでもある。せめて一言でも、何か残せれば良かったのだが。
収容所を出たのは、まだ朝も早く肌寒い時刻のことだ。空は淡い青色に明るくなっていたものの、流れる風が冷たい。昨日王子の訪問の際にも同席していた看守から、同じく昨日見た王子の供と思しき軍人に引き渡され、外界の窺えぬよう厳重に窓を封じられた馬車に乗せられる。逃走と反抗を阻む腕輪式の魔術錠は付けられたままだが、それ以外に拘束具が追加されずじまいであったのは、正直に言えば意外だった。
乗り込まされた馬車は速度の緩急をつけながら、右折や左折を不規則に繰り返し、延々と走り続ける。おそらくは私に道や所在を覚えさせぬ為であろうが、念入りなことだ。しかし、それもここが我らが王都であれば、一周どころか二周分近くは走っただろうというほどの時間が経つ頃にもなると、さすがに飽きがくる。
「時に、一つ問うても構わないか」
「……いつ到着するのかという問いにならば、答えられんぞ」
黙然と向かいの座席に座っている男に声を掛けてみると、剣呑な目つきに加えて刺々しい声で返された。昨日の大人しく王子の傍らに控えていた時とは打って変わった様子だが、むしろこちらの方が本来のものなのだろう。
永遠にも似た長い歳月にわたり争い続ける国において、我々は共にその最前線に立って殺し合う立場だ。笑みなど交わせるはずはない。……だからこそ、件の王子の言葉と、あの姫の思惑とやらが気にかかる。一体、何を考えているのか。何を企んでいるのか。
「いや、その問いが無意味であろうことは理解している。私はいずこかへ連行されるようだが、枷は増やさずとも構わなかったのかと、それが気になっただけだ」
そう言うと、男は一層不機嫌そうに表情を歪めた。
「それをするなとの命があった。そうでもなければ、俺が直々に二重にも三重にも施してくれようものを」
吐き捨てるに似た口調だった。
どうやら私が今こうしてあることには尋常ならざる計らいがあり、目の前の男はそれを快く思ってはいないらしい。王子の言い分――第三王女が私の身柄を欲しているので、近日中に収容所から移ることになるだろう、という――に益々信憑性が出てきたようにも思えるが、はてさて。
元より私は口数の多い方ではなく、相手はおそらく敵愾心ゆえに口を開きたがらない。ごく短い会話も途切れた馬車の中にはひたすらに沈黙が揺蕩っていたが、意外にもそれが長続きすることはなかった。
何の前触れもなく、おもむろに馬車が動きを止める。御者らしき声が「到着致しました」と告げると、目の前の男が忌々しげに息を吐いた。ここが真実目的地であるのか、それとも更に別の場所へ向かうための中継地点であるのか――そのどちらかは分からないが、少なくともこの馬車に揺られているのはもう終わりらしい。
じろりと敵意の篭った眼差しで、男が私を睨んだ。
「降りろ」
短い命令。その言行に何も感じなかったと言えば嘘になるが、ここで反発したところで意味はなく、また価値もない。黙したまま、言われた通りに腰を上げる。中腰になって外開きの扉に手をかけようとして、
「!」
私の手が触れるより早く、扉が外から開け放たれた。御者が気でも利かせたかと考えたのも一瞬のこと、脳裏に思い描いた人物にあらざる声が響く。
「やあ、遅かったな! すっかり待ちくたびれてしまったよ」
昨日に続き、私は再び絶句した。扉の向こうに立っていたのは、満面の笑みを浮かべた若い娘だった。
頭部に巻かれた包帯で一部隠れてはいるが、緩く束ねられた髪は間違いなく葡萄色であり、朗らかに緩んだ双眸は青灰色。その一方で、衣服は下町の庶民と間違われても無理のない、着古した趣のある上下。昨日見せられた写真に写し取られた威圧的な軍装姿に比べると、嘘のように気安げな佇まいだ。
「ひ、姫様! 中でお待ち下さるようにと、あれほど……!」
「待ちきれなかったんだ、見逃してくれ」
そう言って笑う人物こそ、私が挑み、一矢報いはしたものの敗北した〈三ノ剣姫〉に他ならない。
「……フラネーヴェ、第三王女」
思わず呟けば、背後から「貴様、不敬だぞ!」と怒声が飛ぶ。それにもまるで頓着せず、王女は私に向かって手を差し出した。どこまでもにこやかに、親しい人間にするかのように。
「覚えていてもらえたとは光栄だ。改めて名乗ろう、私はフラネーヴェ・テルセイラ・レイデフロレス。アヴェラン・シェーヴァ殿、ようこそ私の根城へ」
姫様、と背中の向こうで悲鳴のような声が上がっているが、王女は頑として手を下げようとはしない。どうしたものやら逡巡していれば、無理矢理に手を握って軽く上下に揺すられた。紛うことなき、握手である。
「さ、行こう。あなたを呼び寄せるのと引き換えに、宮の中を無人にされてしまったんだ。お陰で少し不便をするかもしれないけど――まあ、ひとまず案内するから、ついてきて」
握られたままの手を引かれて、なし崩しに馬車を降りる。
冷静に考えてみれば、ひどく奇妙な状況だった。何ゆえに私は私を打ち負かした、しかも祖国の最大の敵と目されている人物の手を借りて、馬車から降ろされているのか。
「姫様、お待ちを! 私も参ります!」
「えー、いいって。案内くらい一人でできるよ」
「そういう問題ではありません!」
バタバタと慌しい音を立てて、背後の馬車から人の降りてくる気配がする。
彼も大変だな、と敵方ながら、わずかに同情した。昨日面会した王子も一風変わった様子だったが、この王女はその上を行くらしい。
その後も王女は諌める声も片端から聞き流し続け、私を連れて宮を一巡りしてみせた。
王女の後を追って諌める言葉をかけ続けた男――ペデラと呼ばれていたか――は、昨日こそ王子の供をしていたが、王女とは随分近しい間柄のようだ。邪険にされるのにも構わず、部下や配下というよりは父親のような言葉をかけ続けている。或いは、昨日も王子の供回りではなく、王女に近しく仕えるものとして私という捕虜を見定める為にこそ同行していたのかもしれない。
その辺りの事情は気にならなくもないが、いずれにしろ問うて回答の得られるものでもあるまい。黙って、王女の促すまま足を動かすに徹した。
王女自らによって案内された宮は、玻璃や水晶を惜しみなく用いて飾られ、まさに壮麗の一言に尽きた。終始上機嫌な様子であった案内人の言によれば、他でもない父王が彼女のために作らせ、下賜したものであるらしい。我が国において最大の難敵と捉えられる〈三ノ剣姫〉も、この国においては救国の英雄となる。その評価の一端こそが、この宮の姿なのだろう。
一通りの案内が終わった後、通されたのは天窓から春の日差しが差し込む暖かな部屋だった。部屋の中央に据えられた、天板全面に精緻な螺鈿細工の施されたテーブルは、おそらく庶民が一生かけても購えない金額の代物であるに違いない。そればかりか、他にも華美でこそないが最上級の逸品と見られる調度品が、そこここに無造作なまでの様子で配置されていた。狭く殺風景な収容所から一転し、とんでもない場所に来てしまったものだ。
「さて、今日からあなたにはこの離宮の中で暮らしてもらうことになる。ひとまず入用になりそうなものは兄上が用意して下さったのだけど、他に欲しいものがあったら遠慮なく言ってほしい。できる限り用意するから」
王女に促されて彼女の向かいの椅子に腰を下ろすと、王女の傍らに控える、相変わらず不機嫌そうなペデラがさながら射殺しそうな眼でこちらを睨んでいることに気付く。さすがに気分が良いとはいえないが、彼が私に対しそれ以上の攻撃行動が取れないことは明白であるので、ひとまずは無視しておいて問題ないだろう。
そんな私とペデラの応酬に気付いた様子もなく、王女はのんびりとした口調で続ける。
「えーと、後は、何だろう。確認しておきたいこととかある?」
フロルの第三王女は、確かまだ十八歳かそこらであったはず。しかし、首を傾げて問い掛けてくる姿には、伝え聞く数字よりも若い――どこか浮世離れに似た幼さがあった。
あの街道沿いの荒野で戦った人物とは、まるで別人のようだ。あの隙のない、冷徹さと苛烈さを併せ持った鬼神の如き戦ぶりを見せた相手とは。
どうにも調子が狂う。……が、それはそれとして訊いておかねばならないことは、いくつもあるのだ。この空気に呑まれてはならない。
「……確認、と言っていいのかは分からないが」
切り出すと、王女は「なんでもいいよ」とあくまでも鷹揚な風情で頷き返す。ペデラがまた物言いたげに唇を動かしたが、結局言葉にして口に出すことはなかった。
「まず私はこの場において、何を求められているのか。それを教えてもらいたい」
「何、か。それは難しい質問だなあ」
あっけらかんと、王女は笑った。軽やかに、朗らかに。
頭が痛むような心持がした。何だそれは、と口を突いて出かけた言葉は辛うじて呑み込むことができたが、一体どういうことなのだ。軽く目を伏せて王女を視界から外し、息を吐くことで努めて表層の余裕を保つ。
「いや、何も考えていない訳じゃないんだ。ただ、こう、私はどうも言葉を作るのが苦手で」
困ったような顔で、王女は笑う。その姿はどう見ても楽しげであり、私には不可解でしかなかった。
「そうだなあ、少し時間をもらえないだろうか。昼には食事が届けてもらえることになっているんだ。それを食べながら、続きを話そう」
どうかな、と王女は問い掛ける。しかし、それは提案という体裁を取っていながらの通告に他ならない。私には逆らう術がないのだから。
承知した、と頷いてみせれば、王女は「ありがとう」と律儀にも答える。ペデラのこめかみに、くっきりと青筋が浮かぶのが見えた。つくづく、おかしな主従だ。
王女との最初の会談が終わったのは、およそ午前十一時。昼食までの一時間余りは、私室として与えられた部屋で自由に過ごすことが許された。
正しくは、この宮の中に留まり、反抗的な行動を取らない限りは一定の自由が保障される、ということであるらしい。そう語る王女の傍らでペデラが鬼のような顔をしていたので、これまた王女の独断であろうことは想像に難くない。
意外なことに「一定の自由」と称された範囲の中には、木剣を用いての鍛錬までもが含まれているようだった。部屋には、〈スヴァーラ〉の双剣と寸分違わぬ形状の模造品が用意されていた。クローゼットを開けてみれば、捕虜には到底相応しからざる上等な衣服の数々が収められている。こちらについては、王女の許に侍るのであるから、身綺麗にしておけという無言の要請であるのやも知れなかった。
今朝方の出発前、看守によって洗浄術式を施されはしたが、思えば捕虜となってからというもの着替えることも入浴することもなかった。幸いにして、この部屋には小さいながら浴室が併設されている。内装や設備の差異を見るに、急ぎ増設されたものと見えた。
先ほど王女に宮の中を案内された際には、彼女の為の大浴場にも立ち寄った。話を聞いている分には、彼女は私もあの浴場を使うものと考えているようだったが、賢明な誰かがそれを防ぐ為に設えたのだろう。思惑はどうあれ、私にとって利であることに違いはない。ありがたく使わせてもらうだけだ。
手早く浴室を利用し、適当な衣服を拝借して身繕いを終える。王女によって部屋の扉が叩かれ、昼食の用意が整ったと告げられたのは、きっかり正午のことだった。部屋から出てきた私の姿を見とめると、王女は嬉しそうに笑う。
「良かった、着替えは兄上が手配してくださったのだけど、寸法もきちんと合っているようだ。好みでないものがあったら、それも言ってほしい。私は情緒的なことがよく分からないから、何が似合うとか判別がつかないので、また兄上にお願いすることになって――少し時間はかかってしまうだろうけれど」
「……過分な気遣い、感謝する」
どう答えたものか一瞬迷ったものの、少なくとも様々な物資を提供されていることは事実であり、それは当然と受け取ってよいものではないはず。言葉だけで感謝を述べると、それでも王女は一層笑みを深くさせた。……どうにも、やり辛い。
「食事は食堂に用意ができている。本来なら、この宮に専属の担当の者がいるのだけど、兄上に諸々の用意を整える交換条件として全員引き取られてしまってね。おまけに宮の外は宮中警備の部隊でぐるり、ときてる。信用がないよ」
王女は不服げにぼやくが、信用されていないのは彼女ではなく私だろう。警戒されることはあれど、信用される道理もないのだが。
「ああ、そうそう、だから食事も警備部隊を介して届けられることになっているんだ。朝の六時、正午、夕の六時。その時間に合わせて食堂に配膳がされるから、私がいない時も時間通りそこで食事をしてくれ。使い終わった食器なんかは、次の食事の配膳ついでに回収されるそうだから、そのままにしておいてくれればいい」
片付けてくれる人もいないしね、と王女は肩をすくめる。
「つまり、この宮は現在、真実私とあなたとしか滞在していない、ということか」
「そういうことだね。下手に侍女や傍仕えを残して、人質にされてはいけないと兄上がおっしゃったんだ。私なら、荒事には慣れているからね。夜襲だろうと何だろうと、充分に対処できる。それに、あなたは錠をつけられたままだし」
「……なるほど」
王女も手傷を負っている身ではあるが、私とて先の戦での負傷は癒えきっていない。幸いにも五体満足ではあり、収容所でも最低限の手当を受けはしたが、あちこちの創傷や打撲の疼痛は、隙あらばその存在を主張してくる。仮に拘束がなくとも、分の悪すぎる勝負だ。
「ペデラ、といったか。先ほどの従者は?」
「ペデラは私の副官だよ。彼も彼で忙しいから、それほど立ち寄りはしないと思う」
それはどうだろうか。彼は無理をしてでも足しげく通ってきそうな気がするが。主を心配するが故に、また、私を疎み警戒するが故に。
目に見える枷を増やすことができなくとも、別の形で行動を縛ることはできる。宮を去り際、あの男は王女に聞こえぬよう、私に残していった。――お前に不穏な動きがあらば、その責めを受けるのは収容所に残された部下たちだ、と。
そう言われるだろうとは想像していただけに、驚きも憤りも、それほどにはない。あるのはただ、ひたすらな戸惑いだけだ。
私は何故、何を求められて、この場に居るのか。
* * *
いつもは侍女たちに見守られ、一人で食事をとっていた細長いテーブルに、今日は二人分の皿が並んでいる。お喋りに応じてくれる彼女たちはいないのは寂しいが、食事を共にする者がいるという事実でいくらかは慰められた。
しかし、上座と下座で大きく席が離されているのが残念だ。顔を見て話をするにも、少し遠すぎる。これからはもっと小さいテーブルにするか、それともいっそ円卓にでもしてしまおうか。兄上にお願いしたら取り計らってもらえるだろうか、それとも怒られてしまうかな。
ともあれ、昼食は始まった。念の為、アヴェラン殿の食事には毒物や異物の混入がないことを分析術式で確かめてから、食前の祈りの文句を唱えてフォークを取る。こっそり耳を澄ませていたところによると、クラーロ王国を建国した初代王に捧ぐ祈りの文句は、ヴェンダヴァルもフロルも変わらないらしい。
「アヴェラン殿は、食事中に喋ることを不快と思うか?」
「いや、特には」
短く応えたアヴェラン殿は、姿勢よく礼儀作法のお手本のような淀みない所作で食器を操っている。ざっくりとした身の上の情報はペデラから聞いていたが、礼儀や作法を重んじる家柄だったのだろうか。
「なら、良かった。私はいつも、侍女の者たちとお喋りをしていたんだ」
言葉での返事はなかったが、こちらに注意を向けたままであることは分かっていたので、勝手に続ける。
「アヴェラン殿の生家は、ヴェンダヴァルの西の方と聞いた。そちらはどんなものが有名なのだろうか」
「……その問いは、答えねば咎めを受ける類か?」
フォークを動かす手を止め、アヴェラン殿が私を見る。宝石のような、瑠璃色。
「いや、答えたくなければ構わない」
軽く首を横に振って答えると、「そうか」とだけ答えがあった。どこか拍子抜けしたような、或いは少し戸惑っているような声音だった。
それからはしばらく、無言の時が続いた。その沈黙を破ったのは、アヴェラン殿だった。
「それで、先ほどの問いの答えはまとまったのか」
「問い――ああ、うん、一応、私なりに考えてはみたよ」
回答を先延ばしにさせてもらった、あの件のことだろう。
ちょうど食事も終わっていたので、食器を置いて居住まいを正す。本当なら、テレザの淹れてくれた温かい茶でも飲みながら話をしたかったところだが、仕方がない。添えられていた冷茶のグラスへ手を伸ばし、一口飲んでから口を開く。
「単刀直入に言うと、私はあなたがほしいんだ」
そう述べると、アヴェラン殿は不可解そうに眉根を寄せた。
「……意図が掴みかねる。具体的な要求を教えてもらいたい」
「具体的、と言われてもなあ……。先ほども言ったけれど、私はそういう情緒的? 感情的? なことが、よく分からないんだ。あなたと戦って、あなたの戦いぶりを目の当たりにして、とても美しく感じた。だから、ほしくなった」
「手元に置いておきたい、ということか。収集品のように?」
「そう、なのかな? よくは分からない。ただ、折角あなたがこの王都にいるのに、他所へやられてしまうのは、どうも嫌だったんだ」
「私は捕虜にはなったが、戦利品になったつもりはない」
厳しく返される声に、つい苦笑が浮かぶ。
「それは、うん、分かっている、つもりだ。本当に、あなたを物として扱いたいとか、奴隷のようにするつもりではないのだけど……ううん、よく分からないな。どういう言えばいいのだろう」
「己のことだろうに、分からないのか」
「もっともだけど、私にはこういう、人みたいなことをする……感じる? のは初めてだから、よく分からないんだ。ええと、つまり、私はここであなたがどう振舞えばいいのか、指示をすればいいのかな?」
尋ね返すと、アヴェラン殿は一瞬絶句したような反応を見せたものの、
「……それで構わない」
重々しげな息を吐いて、そう言った。
ううむ、兄上や姉上達はすごいな。心の中身なんて、こんなにも訳の分からないものを、日々なんでもないことのように言葉にして語ることができるのだものなあ。
「私から『これをしろ』だとか指示することは、基本的にないと思う。この宮の外に連れ出すことはできないけれど、中に居る分にはどう過ごしてもらおうと自由だ。暇なら何か本でも用意するようにするし、中庭は鍛錬に使えるはず――ああ、木剣以上の物は、今のところ渡す許可がもらえていないんだ。申し訳ない」
「要するに、ただこの宮に留まっていればいい、と?」
「それは、まあ、そうなるかな。あなたをもらい受ける条件の一つが、それだったからね。それ以外なら、特に何も」
「であれば、私に望むことは何一つない、と解釈するが」
念押しに似た響きに、少し躊躇う。そう言われると、どこか違うような気がした。
「望みがない、という訳ではないのだと思う。先ほどの問いのように、私はきっとあなたに興味がある。できれば、あなたのことを知ってみたい」
どうだろうか、と尋ねてみると、アヴェラン殿は短く沈黙を挟んだ後、
「……質問をする自由は、誰にも許されるものだろう」
それだけを、短く言った。
けれど、それだけでも十分だ。私たちは、あの日あの場所で、間違いなく必殺の意志の下に殺し合った。こうして穏やかに言葉を交わすことなど毛頭叶わぬ、蛇蝎の如く忌み嫌われていたとしても、何らおかしくないはずなのだから。
「ありがとう。これから度々あなたに問いかけることもあるだろうけれど、もし気が向いたら、答えてもらえると嬉しい。もちろん、私も答えられる範囲であなたの疑問には答えようと思う。……まあ、私は娯楽にも疎いし、教えられるのはこの宮の中のことくらいだろうけれど」
「捕虜に真っ当な情報提供が行なわれるはずがないことは、承知しているつもりだ」
突き放す響きに、ちくりと胸に小さく刺さるような感慨を覚える。それがどういったもので、どんな意味を持つかは、残念ながら、よく分からないのだけれど。
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