第八話

 ヴェンセル兄上の開発した凍化の術式は、王宮の書庫に収められたものの中でも一等古く貴重な文献から発見された術に、長い時間をかけて改良したものであるという。この術が掛けられ、発動したものは精神的にも、肉体的にも凍り付き、如何なる干渉も受け付けない。時の流れからさえも取り残され、外界から完全に隔離されることとなる。

 凍化を解くには、予め定められた、正しい手順でもって解術を試みねばならない。そして、今その解術方法を知っているのは、兄上と――ヴェンダヴァル王国第二王子ヴルメリオ・レイデヴェントのみ。すなわち、「密書」を得ることができるのも、その第二王子だけである……らしい。

「黙っていたのは悪いと思うけれどね。確実を期すならば、あれが一番だったんだ」

 そう言って、兄上は説明を締めくくった。

 今日で件のヴェンダヴァルの砲台を破壊して、半月になる。この半月の間に、様々なことが起こった。ヴェンダヴァルでは軍部を味方につけたヴルメリオ第二王子による政変が起こり、現国王からの譲位が決定。更には、次期国王となったヴルメリオ第二王子より、停戦の申し出があったのだ。

 私と兄上が待ち望んだ状況が、やっと作り出された。しかし、これには父上よりも、第一王子のエリゼウ兄上が反発した。上の兄上は、かつてご自分の乳兄弟や目を掛けていた兵を何人も戦で喪っていることもあり、ヴェンダヴァルに対して兄姉の中で最も厳しい。さりとて、私とヴェンセル兄上の連名の嘆願を父上は無碍にすることができず、エリゼウ兄上は賛同を余儀なくされた。これにはヴェンセル兄上の策が功を奏した形だ。

 今の私に、右腕はない。二の腕の半ばほどから斬り断たれ、永遠に失われた。王宮に仕える典医の腕をもってすれば、負傷から数日内であれば、再生すること自体は不可能ではない。だが、私は先日にも光に焼かれた腕を再生したばかりだ。間を空けず再生を重ねるのは、大きく命を削る。その代償を承知の上で再生の術式を施すか否かは、父上の判断に委ねられた。驚くことに、父上はその問いに少しも悩む素振りを見せることなく――私の寿命を削って五体満足の状態に戻すよりも、右腕がなくとも長く戦場に立つことを望まれた。

 かくして、現在ヴェンセル兄上の思い描いた通りの状況が生まれたという訳だ。

 つい昨日、父上はヴェンダヴァルに停戦に応じると返答した。今後は捕虜の交換を筆頭に、様々な案件が交渉の俎上に載せられることだろう。

「アヴェラン殿自身を『密書』とすることが?」

 ――けれど、私にはそれよりももっと気にかかることがあったのだ。

 しかめ面を作って言うと、兄上は分かりやすく苦笑を浮かべてみせる。冬に入り、雪の降り始めた空は以前ほどの明るさはなく、宮の玻璃を透かして入り込む陽光も心なしか淡い。応接室に据えられたテーブルの螺鈿細工も、どこか輝きがくすんでいる。どこもかしこも影が濃く見えるようだというのに、兄上の痩せた面差しは逆に輝かんばかりだ。

「ただの『密書』ではきちんと届くか、どうしても不安が残る。その点、彼ならば自らを守る術もあるし、私が小細工をするまでもなくあちらの国の軍がすすんで内部に招き入れてくれるだろう」

「だからと言って、あんな無茶を」

「それは彼の独断だよ。私だって驚いたんだ、彼がお前を庇って瀕死になるなんて。考えてもみなさい、彼は重要な『密書』なのだよ? 私が彼を敢えて危険にさらす意味があるはずがないだろう」

「……む、確かに」

「とは言え、お前が恋焦がれて欲した剣を、お前に黙って手放させる形になってしまったことは謝るよ。いずれ、埋め合わせはしよう」

「本当に?」

「本当だとも。私がお前に嘘を吐いたことがあったかい?」

「嘘は吐かないけど、敢えて何も言わないことはよくある」

 アヴェラン殿がいなくなってから、〈玻璃ノ宮〉は以前の賑やかさを取り戻した。侍女頭のテレザが淹れてくれた茶は、久々に飲むということもあってか、とびきり美味しい。それでも、私の不機嫌を全て癒すには足りない。

 お茶を一口含み、眉間に皺を寄せて答えると、兄上は「随分と臍を曲げたものだね」と肩をすくめた。

「ともかく、お前はしばらく身体を癒すことに専念しなさい。もう戦も起こらないのだから」

「身体を癒やしても、振るう戦場がなければ剣のある意味はないのでは?」

「馬鹿なことを言うものではないよ、ネーヴ。お前は我が国の第三王女、そして最も民草に愛される王の子なのだから。戦いの場でなくとも、仕事は山ほどある。今までは戦があったから免除されていたけれど、今後はそういう訳にもいかないからね」

 真面目な顔をして兄上の言った言葉は、それこそ死刑宣告のように聞こえてならなかった。兄上や姉上と違って、私は王の子として修めているべきものをほとんど何も持っていない。今になってそれらをせよと言われても、無理だとしか思えなかった。

「まあ、お前にはその場に立って象徴となってもらうのが一番の役目になるだろうからね。そう心配は要らないよ。賢く有能な官も、一通り揃えてつけてあげよう」

「うん?」

 象徴? 官をつける? ……どういうことだろう。

 訳が分からなくて首をひねっていると、兄上は一層にこやかな表情になって続けた。

「今、国境沿いに交易拠点としての街を造る計画が上がっていてね。停戦――融和の象徴として、フロルとヴェンダヴァル双方から移住者を募るつもりだ。そこで、ネーヴ、お前にはその街の初代領主の任を与える」

「ええ?」

 いきなり何を言い出すのだろうか、この兄上は。

 呆気に取られていると、テーブルの上に一枚のリストが置かれた。見てみなさい、と促されて手に取ってみれば、大量の名前が列記されている。その中には、ペデラやテレザの名前もあった。それだけでなく、軍で私が率いてきた隊からも数名。それも、あの砲台の破壊作戦に参加し、生還した飛び抜けて腕の立つものばかりだ。

「そのリストの者達が、お前について国境の街へ向かう予定だ。護衛と言えど、余り多くの兵は付けられない。少数の代わりに精鋭を用意した。身の回りの世話をするのも、慣れた者の方がいいだろう?」

 それは、そうだけれども。そういう次元の話ではないのではないだろうか。

 リストを眺めているうちに、ついつい眉間に皺が寄っていく。

「兄上、私が国境近くに滞在しては、あちらの国に要らぬ警戒をさせるのじゃあ?」

「そこはエリゼウ兄上にも指摘されたけれどね。まずは街を造る前に、周辺の河川の氾濫を防ぐ為にも大規模な工事をしなくてはならない。工事は軍の監視の下に行うからね、上に立つならば彼らの扱いに慣れている者の方が好ましい。それから、我々が本気だと示す為にも、王族から旗頭を選出する必要があった」

「それで、私が適任だと?」

「そう。治水工事を行い、街を造り、法を整えなさい。件の街は、場所としてはフロルの領土内に築くけれど、住まい行き交うのは我が国の民だけではない。二つの国の民に対し、平等であるように、よく考えるのだよ。その為に、優秀な官も選抜したのだから」

 急に話が大きくなってきた。戦場に立つのとは全く違った、嫌な震えが背筋に走る。ぶんぶんと勢いよく首を横に振った。

「無理だよ、兄上。そんなこと、今更私にできっこない」

「無理なものか。お前は自分のあり方を自分で定めすぎている。もっと広く視野を持ちなさい。フロル一の剣の使い手となれたのなら、何にだってなれる。お前は無知かもしれないけれど、白痴ではないのだから」

 語りかける兄上の声は、どこまでも穏やかで、優しかった。

 何にだってなれる。その言葉は、切なくなるほど胸に響く。戦いが終わる前、まだ秋の頃――私が我が儘で留め置いていた人が、そう言ってくれた。その声は、今もまだ鮮明に思い返すことができる。

 ふう、と深く吸った息を吐き出す。真っ向から兄上を見返すと、悪戯っぽい微笑み。

「覚悟は決まったかな、ネーヴ?」

「兄上がそうせよと仰るなら、私は従うだけですう」

「うむ、それでこそ我が妹。お前は本当によく役目を果たしてくれた。褒美として、父上からはお前の望む通りにさせてよいと確約を頂戴した。お前には、とびきり素敵な庭をあげよう。そこで穏やかな日々を得て、お前の望むように変わっていきなさい」

「そんなにゆっくりしている暇なんてある?」

「あるとも。治水工事は時間がかかるし、街だって一から造るのだからね。法は街が形になるまでに草案を整えればいい。後は実際に機能してみて分かることも多いだろうから、堅く考えすぎずに、適度に柔軟に対応するのだよ」

「その適度に柔軟とかが、よく分からない」

 思わず唇を尖らせると、兄上はからからと声を上げて笑った。

「分からないことがあれば、素直に分からないと言って周りを頼ることだよ。それに応えてくれる者を選んだつもりだ。彼らと力を合わせて、焦らずに」

「はあい」

「こら、返事はきちんと」

「はい」

「では、私はそろそろ王宮に戻るよ。出立の期日は追って伝えるから、それまで大人しくしていなさい」

「それまでって、いつまで?」

「準備が整うまで。練兵所で鍛錬に混じるのも構わないが、程々にするのだよ。これ以上呼び出しが続くと、典医が怒り狂って職を投げてしまいかねない」

「私のせいじゃないのに」

「そういうところが、お前のいけないところだよ」

 やれやれとため息を吐いてみせ、兄上はテレザの茶を全て飲み干した後、立ち上がった。その表情は明るいけれど、停戦に応じてからというもの、王宮は上を下への大騒ぎだと聞く。兄上も多忙を極めているはずだ。

「兄上も、ご無理をなさらず」

「もちろん。ここで倒れては、全てが水の泡になってしまうからね」

「それから、ジョアナ義姉上が最近兄上がつれないと嘆いていらっしゃった」

 そう付け足すと、兄上が軽く目を見開く。困ったような表情。

「あれが訪ねてきたのかい? お前の邪魔をしないようにと伝えておいたのに」

「兄上が冷たいから、義姉上もこの宮にいらっしゃるのだと思うけれど」

「仕方がないだろう、ここのところ忙しいのだから」

 露骨に目を逸らし、気まずそうな口振り。兄上がこんな反応を見せるのは、この話題が出た時くらいのものだ。

 既に一男二女をもうけ、マファルダ義姉上とも仲睦まじいエリゼウ兄上とは対照的に、ヴェンセル兄上はどうもジョアナ義姉上と仲が良くないらしい。他に女性がいるとも聞かないので、単に仕事で忙しくしているということなのだろうけれど。

「ここのところ、というより、前からそうだと義姉上はおっしゃっていた」

「……他人の家庭に口出しをするものではないよ」

「その他人の家庭の方から、私に訴えに来ているのに」

「エリゼウ兄上とマファルダ義姉上と、私とジョアナとでは状況が違うのだよ」

「ふーん」

「お前に王族の婚姻の何たるかを説いても分からないかもしれないけれどね……」

 これと見初めたら一直線なんだから、と兄上がため息を吐く。

「とにかく、お前は重傷の身なのだから、大人しくしていなさい。また見舞いには来るから」

「その見舞いの時間を義姉上との時間にあてればいいのに」

「うるさいよ」

 ピシャリと跳ね除けられたので、ついまた舌打ちをしてしまえば「行儀が悪い」のお叱りが飛んでくる。いたちごっこのようだ。

「それじゃあ、私は行くよ」

「あ、待って」

 扉に向かって歩き出す背中に声を掛けると、足を止めて半身に振り向く。私と同じ色をした、同じ血を分けた兄。だというのに、その頭の中でどんなことを考えられているのか、私にはおよそ想像もつかない。

「うん? どうかしたのかい」

「ヴェンセル兄上。兄上がヴルメリオ王子と水面下で手を結んで、ヴェンダヴァルの政変に関与していたという噂は本当?」

 そう問うた瞬間、兄上はにやりと笑った。まるで御伽噺に出てくる、子供を唆す猫のように唇で滑らかな弧を描く。

「その噂を、お前は信じるのかい?」

「さあ。私が信じているのは、兄上だよ」

「ふふ、私もお前の信頼を裏切りはしないよ」

 結局、兄上は問いに答えることなく、それだけを残して去っていった。

 どっちなんだ、と不服に思わないではないものの、「お前の信頼を裏切りはしない」とはっきり明言したことだけは、確かな真実なのだろう。ならば、それでいいか、とも思う。本当に兄上がヴェンダヴァルの政変に関わっていたとしても、だからと言って私が何かすることもないし、兄上に対する態度が変わることもない。

 むしろ、そんなことよりも――

「あ、しまった。アヴェラン殿のことを訊き損ねた」

 そちらの方が、私にはよほど重要だった。

 停戦が成ったということは、「密書」が正しく機能したということであるはず。問題は、役目を果たしたその後も健在であるかどうかだ。あれだけの傷が、容易に治るとも思えない。

「……どうか」

 あの約束が果たされますよう。

 今の私にできるのは、そう祈ることだけだった。



 停戦に伴う慌しさは、厳冬の頃を過ぎても収まることがなかった。

 父上は激務がたたって気弱にでもなっているのか、時たま譲位の話題をほのめかすようになったし、ヴェンセル兄上は相変わらずジョアナ義姉上のところには寄り付かないままらしい。エリゼウ兄上とヴェンセル兄上は停戦を巡って一時関係がぎこちなくなっていたものの、いつの間にか元通りに戻っていた。何があったのか、何もなかったのかは分からないけれど、兄弟仲がいいのは嬉しいことなので、そのままでいてほしいと思う。

 それから、母上と姉上達は戦が終わって暇になったのか、以前にも増した頻度で私に貴族の息子だとか、どこそこの領地の近衛隊の軍人だとかを紹介してくるようになって、これには閉口した。三日とおかず、この宮にまでポートレイトを持って押しかけてくるのだ。その攻勢から逃れる為にも、共に国境で街を造る人員に選抜された官や兵のところを順繰りに訪ねてみたりしていると、いつの間にか春になっていた。

 毎年盛大に祝う新年の祭りでさえ、余り記憶に残っていない。覚えているのは、やっとのことでヴェンセル兄上に「アヴェラン殿の怪我の様子は」と訊く機会を作れたものの、あっさりとした「元気だよ」返されて落胆したことくらいだ。それ以上のことは、どんなに訊ねても「秘密」と教えてもらえなかった。

 そんな日々を過ごして、やっとのことで迎えた春。まだ花の蕾も綻びきらない時節に、私は兄上の選抜した人員を引き連れて国境へと発った。母上や姉上には「またそんな危険なことばかりして!」と泣かれたけれど、大分出発が待ち遠しかったなんて本音は言えない。

「姫様、街を建設する予定地は既に選定が終了しており、整地までは済んでいるとのことです。居館が完成するまでは、仮の天幕住まいになるそうですが……」

「私は野営に慣れているから、心配は要らない。それよりも、旅や野営に不慣れな者に配慮を」

「かしこまりました」

 国境の街建設予定地には、物資の輸送も兼ねて多数の馬車を用いて向かった。ペデラはこれまでと変わらず私の補佐をしてくれており、非常に助かるのだけれど、何故か国境に近付くにつれて不機嫌になっていくのが不思議だった。

 何故か、と訊いてみれば、

「ヴェンセル殿下の交渉により、治水工事にヴェンダヴァル軍も協力することになったそうではありませんか」

 そんなことを、憤懣やる方ないといった表情で言う。

 数と規模の点で言えば、それほどのものではないが、友好の証としてヴェンダヴァル軍の部隊が派遣されることは、今年の早いうちから決定していた。私からすれば今更といった感が拭えないが、ペデラもまた父や兄弟をヴェンダヴァルとの戦の中で失っている。どちらかと言えば、本来ヴェンセル兄上よりもエリゼウ兄上に近い立ち位置なのだ。

「ペデラ、彼らと共に働くのが嫌であれば、兄上に配置換えを願おうか?」

「……同じ仕事をするのが嫌なのではありません。姫様に一等甘くいらっしゃるヴェンセル殿下のことですから、おそらく私が想像している通りの手を打っているに違いありません。それが、嬉しくないだけです」

「うん?」

 どういうことか、と訊いても、ペデラはそれ以上語ることはなかった。兄上もだけれど、最近あちらこちらに秘密主義が蔓延して困る。私が無知だと思って……。


 街の建設予定地に到着すると、先行していた部隊によって、既に一隅が宿営地として万全の用意が届の得られていた。ヴェンダヴァル軍も到着してはいたものの、私達が本隊であるのに対し、あちらはまだ先遣隊のようだ。宿営地の整備に勤しむ姿が遠く見える。

 フロルの宿営地が街の東端に当たるのならば、ヴェンダヴァルの宿営地は西端に当たる。この天幕は普段の指揮を行う執務室として用意されたものなので、比較的宿営地の入口にも近いけれど、私の住居として設営された天幕は、特に奥まって警備の厳しい場所に置かれていた。無理もないことだけれど、まだ二つの国の間には深い溝がある。それを改めて突きつけられたように思われた。

 それでも、この遠い距離が少しずつでも縮まって、いつか隣に並べるようになればいいと願う。その為にも――

「いい街を造らないと、だ」

 土地を均して街を造るのは、人のすること。まだ人になれてもいない私では、きっと足りないことばかりだろうけれど。

 まずは、きちんと人の話を聞く。私の指示で動く者の顔を覚える。その辺りの――できることから始めていこう。剣として戦うことしかしてこなかった私に、今すぐ優秀な官吏に並ぶほどの仕事ができるとは、兄上も思ってはいないはずだ。私がここにいる意味は、おそらく有事の際に判断を下し、その責任を取ること。その為にも、周囲に広く目を向けていなければならない。

 とは言え、早くも私には仕事ができているようである。執務室となる天幕の中央にはささやかながらもテーブルが置かれており、早くも大量の書類が積まれていた。これに全て目を通さなければならないのかと思うと、今から眩暈がしそうだ。

「後で誰か呼ぼう……」

 思わず一人ごちる。

 すると、ちょうど天幕の外――見張り番の者が声を上げるのが聞こえてきた。

「フラネーヴェ殿下、ヴェンダヴァル軍駐在特使がお見えです」

「入ってくれ」

 特使ということは、何やら密命でも受けている者だろうか。うっかり許可をしてしまったけれど、一人で面会せずに少なくともペデラでも同席させるべきだったかもしれない。テレザだって、他の侍女を連れて住居の天幕の方に行ってしまっているし……。

 今更に迷っている間にも、駐在特使なる人物は「失礼致します」と声を上げて天幕の中に入ってくる。そして、私は飛び上がりそうなくらいに驚いた。

 ――だって、その声は。

「突然の訪問にも関わらず、面会のお許しに感謝申し上げます。ヴェンダヴァル国軍第五師団所属アヴェラン・シューヴァ少佐、ヴルメリオ第二王子の特命により駐在特使の任を拝命致しました。どうぞ宜しくお願い申し上げます」

 お手本のような敬礼をして、彼は言った。

 その頬には抉れたような傷の痕があり、記憶に残る最後の姿よりも、随分と痩せたように感じられる。けれど、その人であることに間違いはなかった。

 私が無理と我が儘を押して、それでも傍近くに留めておきたいと願ったひと。どうしても、ほしくてならなかったひと。

 自然と、唇が緩んでいく。

「久しいな、シューヴァ少佐。あなたとまたこうして言葉を交わせて、私はとても嬉しい」

 そこまで言って、「けれど」と言葉を切る。

「他に言うことがあるだろう? アヴェラン殿」

 にこりと笑ってみせると、彼はほのかな苦笑を浮かべた。ええ、と頷き、穏やかな声が告げる。

「――詰られに、参じました」

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剣姫は恋をした 奈木 @baldoria

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