06 最も幸福な悪夢1
人が涙を流すのはどんな時だろうか?
半生を捧げて来た生き甲斐を奪われた時か。
戦友達が全滅した時か。
それとも、婚約者を亡くした時か。
そのいずれでも涙を流せなかった自分は人として何かが欠けているのだろうか。
彼は眠りの中で自問する。
そうしてまた、同じ夢を見る。
まだ、失う前を過ごせる最後の時を。
全てを失った瞬間の、最悪(こうふく)な夢。
◆ ◆ ◆
「……暇だ」
仁は自機のコックピットの中で呟く。
この任務の一番の敵は退屈だ。
銀河のあちこちへと広がっていく移民船団。
その船団同士を繋ぐ連絡船の護衛。
それが今の彼らの任務だった。
それなりに端正な顔つきのハズだが緩み切った今の表情からは鋭さの欠片も見られない。
ヘルメットを外して短く整えた髪を指で梳く。
何しろ宇宙は広い。
人類の生息域は大きく広がったが、それでもまだ精々が銀河の0.0何パーセント。
"敵"の生息域は不明だが、被る可能性の方が低い。
図体が大きく、逃げ隠れの難しい船団本隊なら兎も角、このような連絡船ならば"敵"のいない場所を狙って進める。
故にここ二十数年。
連絡船と"敵"の遭遇数は実に0件。
それでも万が一に備えているのが彼らだ。
備えは必要だと分かっても、仁は退屈に取り殺されそうになっていた。
「なあ、令。暇だから何かお喋りしない?」
『仁……あなたね』
とうとう退屈のあまり、並走している連絡船の一客室へと通信を繋ぐ。
令と呼ばれた彼女は溜息交じりに苦言を呈した。
『今は機体待機の時間のハズでしょ。何で私のところに通信してきてるの』
「言っただろ。暇なんだって」
『レコーダーに残るでしょ。後で怒られても知らないよ』
「心配するなって。ちゃんと消し方は心得ている」
カメラに向けてピースサインをすると、通信画面の呆れ顔が更に深まった。
『もう、仕方ない人……』
令はほんの少し表情を俯かせる。
それは口元に浮かんだ笑みを隠すかの様な仕草。
肩口で揃えられた茶色い髪が揺れる。
『それで罰を受けて向こうでの休暇取り消し何て事になったら怒るよ?』
「……いや、大丈夫だって。流石にそんなことにはならないさ」
この通信ログの消し方は常習犯の上官から教わった物だ。
そんな相手が今更人のやったことに目くじらを立てるとは思えない。
『本当に大丈夫だよね?』
疑いの眼差し。仁は慌てて首を縦に振る。
『ならいいけど。仁が別船団に行ける時なんて滅多にないんだし。お母さん達も会うの楽しみにしてるよ』
「分かってるよ。絶対その時間は確保する」
『お母さんったらお腹いっぱい食べさせるって張り切ってた』
仁の船団防衛軍という立場上、中々まとまった休みは取りにくい。
他船団へ行くというのは時間的制約から難しいのだ。
故に、今回の任務に合わせて慌てて仁と令はそこに予定を詰め込んだのだ。
その理由は――。
「なあ、結婚の話はもうしてるんだよな。どんな反応だった?」
『普通だったよ。妹が大分驚いてたけど』
という事だ。
東郷令。半年後にはそうなる予定だった。
「実は俺も驚かせることがあってな」
途端向けられる不審の目。
『えー。仁のサプライズって心臓に悪い物ばっかりだから心配だなあ』
「いやいや、今回は大丈夫だって! 向こうについたら渡したい物が――」
肌身離さず持った贈り物。パイロットスーツの中にある硬いケースの触り心地。
その感触を確かめながら言葉を続けようとした仁の言葉が警報で遮られる。
『仁、これって――』
「令。ノーマルスーツを着用して。脱出カプセルの近くへ。敵襲だ」
星屑すら無い星間空間。
そんなところであっても奴らはいる。
『空間振動を検知。推定数……三十! オーバーライトしますっ。6-2-600!』
「後ろか」
オーバーライト。それは人類も使用する一種のワープ航法だ。
量子の性質を利用したと言われているが、その理屈を十全に理解できているのは一部の物理学者くらいだろう。
第三移民船団防衛軍所属の東郷仁。生憎と学者ではない。
彼らにとっては、ただ遠くへ行ける手段という認識で、それ以上は必要なかった。
『ジークフリート中隊。発艦シーケンスを開始。続いてブリュンヒルデ中隊、発艦準備』
仁の所属する中隊が一番手である。
こういった事態の為にコックピットの中で待機していたのだから当然だ。
二十メートル近い人型兵器が、護衛艦のハッチから次々と真空へと機体を躍らせていく。
タイプ11レイヴン。
星間空間に溶け込むような、墨色で塗られた曲線主体の機体。その数は十二。
護衛艦の進行方向とは逆方向へと光を棚引かせて加速。
『敵は何時もの連中が三十体だ』
この宇宙には人間以外の生物の存在がある。
そして残念な事に、今のところ確認された唯一の種は人類に敵対を選ばせた。
"敵"。
その一言だけで全てが通じてしまう相手がいる。
『一人当たりの目標は二体から三体というところだな』
中隊の隊長がそう言うと、冗談好きの隊員が混ぜっ返す。
『隊長、仁の奴が食いすぎるから一体にして貰わんと俺らのノルマがキツイぜ』
「何ならみんなは0でも良いぜ。俺が全部食ってやる」
歯を剥き出しにして仁は笑う。
獰猛な、犬科の如き笑み。
『作戦はいつも通りだ。東郷機をトップにしたダイヤモンドだ。行くぞ!』
抵抗のない宇宙空間では加速した分速度が増す。
秒速2キロメートルの世界。
慣性制御で緩和されなければ人間には耐えられない殺人的な荷重。
その加速度を全身で感じながら仁は笑みを深めていった。
「来い、来い、来い……」
相対速度は4km/s以上。
600キロメートルという空間は三分とかからずに食い散らかされた。
カメラ越しの目視。
いつも通りの"敵"。
脚の無い、ミミズめいた金属の怪物達。
ASID。そう呼称される無機生命体。
細長い身体をくねらせる様に宇宙空間を突き進んでくる。
「来たっ!」
仁のレイヴンが先陣を切る。
手にしたライフル。充填されたエーテルが光となって迸る。
解き放たれた一条の光線はミミズ型ASIDの頭部と思しき箇所を貫いた。
立て続けに更に二発。
その度に、一体ずつ頭部が撃ち抜かれていく。
『接触するぞ!』
互いに互いを目掛けて進んでいれば何れすれ違うのは自明の理。
高速で交錯するのは一瞬の出来事。
そして互いに離れ始めた時には――残り27居たASIDは25に数を減らしていた。
いつの間にか手にしたのはエーテルで形成された刀身、エーテルダガー。
擦れ違いざまに振りぬいたそれは二体を両断していた。
「これで五つ!」
叫びながら機体を反転。
慣性制御の限界。全身を叩きつけるGに耐えながらも仁は笑っていた。
他の機体が緩旋回する中、仁の機体だけはまるで発条の様に真逆へと進路を変えた。
その目の前にあるのは無防備な敵の姿。
相手の旋回も仁の速さ追いついてはいない。
「六、七、八!」
更に加速。ライフルを撃ちながらエーテルダガーを構える。
「九!」
真後ろから串刺しにして歓喜の声を挙げる。
そこで漸く仁以外の旋回が追い付く。
中隊の仲間からの援護射撃。
そしてASIDからの迎撃。
その全てを躱していく。
余りに自然で息をするかのように。
仁にとって、敵の攻撃を回避するのも、当てるのも難しいことではない。
「一秒先を見ればいいんですよ」
とは操縦の秘訣を尋ねられた時の言葉だ。
エースと呼ばれた人間たちは概ねそんな言葉を残しているから質が悪い。
年若いながらも、仁は既にその境地に居る。
船団撃墜数トップ。
当代のトップエースとは彼の事だ。
距離を詰めていく。
敵の隊列のど真ん中へと突っ込んでライフルを撃ちまくる。
碌に狙いも付けていない様に見える射撃はインチキの様に敵の頭部を撃ち抜いていく。
不用意に接近してきた相手にはエーテルダガーで切りつけた。
「十三、十四……十、五!」
交戦を開始してから僅かな時間。
五分にも満たない時だったが、ASIDの半数を仁は撃墜する。
その貪欲な有様は遥か昔に絶滅した狼を思い起こさせる。
フェンリル。そう字名される男だった。
そこから更に四体を追加で食いちぎったところで戦闘は終わった。
残りの十一体はジークフリート中隊の面々が撃破したのだ。
『ほら、やっぱ一人一体で丁度良かった』
接敵前に言った冗談通りだったと笑うと中隊内通信に漣の様な笑いが起きた。
『ったく、この戦闘で十九体とかほんと生意気な奴だぜ』
『俺達も全力だっていうのになあ』
ジークフリート中隊は決して弱兵の集まりではない。
仁を除いても皆腕利きの集まりだ。
ただ仁が突出している。それだけの話である。
『よし、各機帰投する。ああそうそう。ブリュンヒルデ中隊の奴らにはお疲れさまと伝えておいてくれ』
後半は管制官へと向けたものだ。出撃準備のし損である。
『了解。これより着艦シーケンスを……え?』
苦笑交じりの管制官の表情が凍り付いた。
『空間振動を検知……これは』
『どうした!』
『ちょ、超大型物体のオーバーライトを確認! 方位0-0-2000……でもそんな、有り得ない! 推定サイズ、三百キロメートル!』
進行方向から二千キロメートル。そこに仁たちからも見える何かが星間空間に姿を現していた。
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