03 帰宅
約二年放置された仁の自宅。
船団内ではありふれた集合住宅。
少しだけセキュリティに関しては上等だろうか。
その一室が仁の城だ。
令が大分内装には凝っていたが人が住む空間としてはそうおかしな物ではない。
鍵を開けて、扉を開けて立ち竦む。
中の掃除はホームコンピューターが愚直なまでに続けていたのだろう。
埃っぽさは微塵もない。
続く真新しい廊下。
それがどんな敵よりも威圧感を与えてくる。
仁はここに踏み込めずにいた。
この二年、仮眠室の主となっていたのは家に帰りたくなかったからだ。
誰もいない家に、耐えられないと思ったからだ。
そして事実今、耐えられていない。
そんな仁を見て何を思ったか。
澪は一人先んじてその玄関へと踏み込んだ。
そして。
「ただいま」
何故だかどことなく不安げな顔で振り向いてそう言った。
その時になって仁は気が付いた。
表情に乏しい澪の顔から何故その感情を読み取れるか。
その表現の仕方が控えめではあるが、令とよく似た変化を示しているのだ。
若干動揺して言葉に詰まっていると澪は更に不安そうな顔をする。
気付いてしまえばむしろ仁にとって澪の感情は分かりやすい。
何しろ既に模範解答が頭の中にあるのだから。
その理由も、少し考えれば分かる。
「おかえり」
その一言が無いことが不安だったのだろう。
それを聞いたとたんに澪の表情は明るさを取り戻す。
今日からは二人で暮らすのだ。
澪にとってここが安心できる家になって欲しい。
自分で引き取ると決めたのだから、しっかりしないといけない。
震える足に活を入れ、仁は部屋へと一歩踏み込む。
恐ろしくなるほどにそこは二年前のままだった。
見渡せば令と選んだ家具がある。
令と選んだ壁紙が。
令と選んだカーテンが。
令と。令と。令と。
どこを向いてもその思い出が襲ってきた。
胸が痛い。
二年で振り切ったつもりだった。
それが本当につもりでしかない事を思い知らされた。
新しい部屋を用意できなかった最大の理由はこれだ。
残った令との思い出。
それを自分の手で処分することを、仁には出来なかった。
小さく袖を引かれる感触で、仁は正気を取り戻した。
反射的に右を向き――澪がいるのは左だと思い出して首を向けなおした。
「どうした?」
「じん、ボーっとしてた」
なるほど、と仁は納得する。
自分的には一瞬のつもりだったが、澪が心配になるくらいにはぼんやりとしていたのだろう。
「ああっと……そうだな。とりあえず家の中を案内しようか」
と言っても改めて案内する程の広さでもない。
2LDKなのだから数分で終わる。
「ここが澪の部屋……なんだけどごめんな。まだ家具とか買ってないから新しいのを買いに行こう」
元は令が使う予定だった部屋だ。
令が選んだ家具はあるが、それをそのまま澪に使わせるのは可哀そうだろうと思った。
処分しなければいけないと考えるだけで身を引き裂かれるような痛みを胸に覚える。
それでも身の回りに物は澪自身に選ばせてあげたいと思ったのだが、当の澪は首を傾げる。
「何で?」
「何でって……」
遠慮しているのかとも思ったが、そういう雰囲気ではない。
純粋に、今ある物を気に入ったという表情だった。
「この部屋、みお好き。何かいい匂いするの」
匂い。
するだろうかと仁は鼻をひくつかせる。
彼には何も分からなかった。
だが澪が好きだというのならそれで良いと思った。
令の遺したものを好きだと言って貰えて、素直に嬉しかった。
「分かった。それじゃあこのままにしよう。欲しいものがあったら遠慮せずに言うんだぞ?」
きっといつかは。
少しずつ澪の買った物が増えていき、令の残り香めいた物は薄まっていくのだろう。
その日が来るのが寂しくもあり、それまでの澪の成長を想像すると楽しみでもある。
「うん」
小さく頷いたのを見て一先ず安心する。そこで仁は足りないものに気付いた。
「ああ。しまったベッドだけは買わないとな」
元々寝室兼仁の部屋になる予定だった場所にクイーンサイズのベッドが一つあるだけだ。
流石に同じベッドは嫌がるだろうと思ったのだが――。
「じんの部屋にあったよ?」
心底不思議そうにそう言われてしまった。
「いや、あれ俺のベッドなんだ」
「広いからみおも寝れるよ?」
「確かに寝れるけど」
成人二人が寝れるのだから幼児が一人、どうって事は無いだろう。
「澪は嫌じゃないのか?」
「何で? じんとみおは家族だって先生言ってたよ」
先生と呼んでいるのは病院に居た時の医者だろう。
仁が澪を引き取った後どうなるのか、かみ砕いて説明していたらしい。
「家族はいつも一緒だって先生言ってた。先生嘘ついた?」
ハッと何かに気付いた顔をした澪を見て仁は両手を挙げて降参した。
澪にそれを教えた医者は正しい。
別に普通の親子なら同じベッドで寝る事くらいどうって事は無いだろう。
仁が変に身構え過ぎていただけだ。
むしろ澪の順応性が高いのか。
どちらにしても先ほどから仁は澪に負けっぱなしの様な気がしていた。
「そうだな。それじゃあ澪も俺のベッドを使ってくれ」
「良かった。先生嘘つきじゃなかった……」
大分信頼を得ている先生に僅かな嫉妬。
むしろここから負けない様に信頼を築いて行かないといけないと気合を入れなおした。
「それじゃあご飯にしようか」
「おー」
片手をあげて喜ぶ澪に仁も表情が緩む。
諸々の問題をさておけば、仁は子供が嫌いではない。
どちらかというと好きな部類だ。
「なんか食べたいものはあるか?」
「チャーハン!」
「また渋いチョイスだな」
船団内ではマイナーなチョイスをした澪に若干驚きつつも仁は調理を始める。
「栄養バランス標準。味付けはチャーハン」
ホームコンピューターへとオーダーすると数秒でキューブ状に加工された食事が出てくる。
「ほい」
「え……」
チャーハン味は随分と久しぶりに食べたが、中々悪くないと仁は思った。
それなりに硬さのあるそれをかみ砕いて飲み込むと手を付けようとしない澪に気付いた。
「どうしたんだ?」
キューブフードをじっと眺めて、小首を傾げる。
「これご飯?」
「そうだけど。病院でも食べてただろ?」
「病院食だと思ってた」
若干仁も自信を持てないがその表情は……愕然、だろうか。
中々子供が浮かべる事の無い表情だと思う。
「料理、しないの」
「料理……? ああ。まあ設備はあるけどな……」
ちらりと仁は背後を振り返る。
確かにこの家にキッチンはある。令が拘って設置したのだ。
だがしかし。第三船団で料理をするというのは圧倒的少数派だ。
大体がキューブフードで済んでしまうのだ。
栄養もホームコンピューターが体内の管理用ナノマシンとリンクして適切に不足分を補ってくれる。
むしろ、通常の調理の方が栄養は偏る可能性が高い。
故に。
「俺は全くできん」
「びっくり」
目を丸くして、もしかしたら出会ってから一番驚いている澪。
「別の味に変えるか?」
もしかしてチャーハン味が嫌になったのかもしれないと仁は思うと澪は小さく首を振った。
「食べる」
何とも言えない微妙な表情でキューブフードを噛み締める澪の姿。
今更になって仁はもしかしたら本当の料理を期待していたのかもしれないと思った。
だとしたら悪いことをした。
とは言え、どこでそれを知ったのかという疑問は残るが。
この船団ではキューブフードが主流。
食べるにしても外食だ。
自分の手で調理しようとしていた令が寧ろ例外に属する。
「……おいしい」
という割に表情は悔しさに満ちたものだったが。
部屋の事とベッドの事に続いて気分は三連敗。
気のせいか。信頼が減っている気さえしてくる。
とは言え、ド素人の仁が澪の期待するような料理を作るのは無理だ。
そもそも材料がない。
恐らくは農業プラント船にでも行かないと材料の調達すら出来ないだろう。
ここを選んだのは令なので、もしかしたら近所にも料理の材料を買える店があるのかもしれない。
はたまた、定番の通販でどこかのサイトから注文するという手もある。
だが、仁はいずれも知らない。
何とか喜ばせてやりたいと思った仁は頭を悩ませ、一つ思いついた。
そういえば例外に属する知り合いが一人いたと。
「よし、分かった。夜は外で食べよう」
「?」
その突然の宣言に、口元に食べかすを付けた澪は首を傾げるのであった。
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