02 面影

 動揺しながらも、仁は少女を保護して病院へと連れていく。

 

 移民船団は宇宙を旅する閉鎖社会だ。

 真空の空を生き抜くためには分子一つだって無駄には出来ない。

 

 それは人間とて例外ではない。

 全ての住人はID管理されているため、その素性は直ぐに分かる……筈だった。

 

「登録無しだって?」


 漏れ聞こえて来た会話から、仁は学生時代の同期だった警官にそう尋ねる。

 控えめに見ても事件性のある状況だった。

 故に都市警察にも通報しておいたのだ。

 

「聞いてたのかよ東郷」

「聞こえて来たんだよ」


 実際のところ仁は少しでも情報を得ようと耳を澄ませていた。

 婚約者だった令と瓜二つの少女。

 髪の色という違いこそあれ、他人と断ずるには共通項が多すぎる。

 興味を持つなという方が無理がある。

 

「実際、有るのかそういうのって」

「そりゃあるさ。生まれた時に届け出なければID登録もされない。他にも非正規な手段でこの船団に来た人間とかな」


 困ったもんだよ、と同期は肩を竦めた。

 真っ当に都市で生活するのならば、届け出をしない理由はない。

 翻れば、少女の保護者は真っ当に生活させる気が無かったという事だろう。

 

「都市警察なら血縁も調べられると思うんだが」

「もうやったさ。該当なし。当人も何も喋らないんじゃさっぱりだ」


 該当なしという言葉に仁は何とも言えない感情を覚える。

 果たして自分がどんな答えを期待していたのかも分からない。

 

 令の血縁であることを望んでいたのか。

 それともそうでない事を望んでいたのか。

 

「管理用ナノも注入されていないみたいだしな。小奇麗な格好しているから、誰かのところで生活していたのは確かだと思うんだが……」

「少なくとも、その保護者とは友達になれそうにないな」

「違いない。あの子がどこで生活してたかは幾つか可能性は考えられるが……まあ、あの嬢ちゃんの今後には関係ないことだし、流石にこれ以上はお前にも話せないな」


 むしろ、ここまで喋ってくれただけでも仁としては有難い。

 トップエースという立場と、旧友であるという事で口の蓋を開けてくれたのだろう。

 

「あの子はこれからどうなるんだ?」

「まあ何も無ければ施設行きだろうな」

「……そうか」


 身元もいない少女だ。

 そうなる事は仁にだって聞かずとも分かる事だった。

 それでもあえて聞いたのは別の答えが返ってくるのではないかと期待したからか。

 

 ベッドの上で茫とした視線を周囲に向けている少女。

 改めて見てもやはりによく似ている。

 無論、成人女性だった令よりも幼い容姿だ。

 だがそれが十数年前の姿だと言われれば十分に納得できる。

 

 ふと、ある考えが仁の頭を過る。

 一瞬過ぎ去ったそれを、仁は一笑に付した。

 馬鹿馬鹿しい考えだ。

 偶々知り合っただけの他人だ。

 

 本来、縁も所縁もない。

 

「……じゃあな。御嬢ちゃん。元気で過ごせよ」


 令とは違う銀の髪。

 無造作に伸ばされている髪型だけが違う。

 何と無しに、少女の頭を撫でた。

 その感触だけは、令とよく似ていた。

 思わずその姿を思い起こす程度には。

 

 名残惜しさを感じる自分に驚きながら、仁はその手を離した。

 

 元々偶然見つけただけの関係。

 ここから先は都市警察の仕事だ。

 

 一体自分は少女に何を求めていたのか。

 定かではない、しかし確かにある感情を持て余す。

 それでもこの場を辞そうと仁は振り向いた。

 

 その仁を引き留めたのは、周囲の状況などまるで気にしていない様だった少女自身だった。

 

 小さな手が、仁の軍服の袖を掴んでいる。

 振り払う事は容易い。

 まさしく赤子の手をひねる如き労力で済むだろう。

 その唇が小さく開いて言葉を紡ぐ。

 

「……じん?」


 呼吸が。

 止まる。

 

 そのイントネーションが、垣間見える仕草が、令を想起させる。

 

 時が止まったかのように凍り付く仁。

 少女は何も言わずに、じっとその瞳を覗き込んでいる。

 感情の見えない、無機質な視線。

 

 先ほどの馬鹿げた考えが、一笑に付した考えが再び舞い戻ってくる。

 

 生まれ変わりなんて、有り得ない。

 何よりも年齢がどうやっても合わない。

 だからこれは完全に馬鹿気た考え。

 

 この少女と自分は全くの無関係。

 そう何度も言い聞かせても。

 

 仁にはそうは思えなかった。

 或いはそう思いたくなかったのかもしれない。

 

 この令とそっくりな少女を守る事で、令を守れなかったことへの代償行為としたいのかもしれない。

 そうだとしたら何て醜悪なままごと。

 

 仁にも、己の本心が分からなかった。

 

 袖を掴んだ手を振り払わない様に気を付けながら、仁は病室の床に膝をつく。

 少女と目線を合わせて、尋ねた。

 

「うちに来るか?」


 果たしてその言葉を理解していたのかいないのか。

 

 少女は小さく頷いた。

 

「おい、東郷。本気かよ」

「ああ。本気だよ」


 他人からすれば正気を疑うような事だろう。

 見ず知らずの、それも訳有りの他人を引き取る。

 同期の警官が渋面を作るのも無理はない。

 

「身元の保証に関しては問題ないだろう?」

「そりゃあ、な。船団防衛軍の士官様だ。審査は簡単に通るだろうけどよ……」

「なら大丈夫だ」


 そう頷くと、諦めた様に溜息を吐いた後笑った。

 

「確かにこの子にとってもそっちの方がいいかもな。少なくとも防衛軍の士官の保護下に居れば、早々手を出される事は無いだろうし」

「だろ?」


 口元に笑みを浮かべる。

 

「仕方ない。乗り掛かった舟だ。少し手伝ってやるよ」

「助かるよ。実は何から手を付ければ良いのかさっぱりだったんだ」


 そんな二人のやり取りを少女はぼんやりとした視線で見つめていた。

 

 その後も紆余曲折あった。

 少なくない揉め事もあったし、同期の警官には手続きで奔走してもらった。

 仁自身も少女と会う時間を最大限に確保しながら走り回る。

 そうした諸々を終えた頃。

 雨の日の出会いから一週間が経った時。

 仁は少女の身元引受人となった。

 

「……さて、そうなるとお嬢ちゃんじゃ困るわけだが」

「困るわけだが」


 病室で腕を組んで考えていると、少女がそれを真似する。

 とにかく他人の真似をするのが好きな子だった。

 病室を訪れる看護師の真似をして笑いを誘っていた。


「名前、思い出せないのか?」

「名前、思い出せないのだ……」


 今一、表情が動いていないのでわかりにくい。

 それとも世の中の親はここから感情を読み取れるのだろうかと仁は疑問を抱く。

 そこはかとなく落ち込んでいる様だと仁には見えた。

 

 正直、仁も楽観していた節がある。

 当初は全く喋れなかった少女も時を置くに連れてぽつぽつと喋るようになったからだ。

 単に知らない人が多くいて緊張していたのかもしれないと医師は言っていた。

 

 ちなみに、少女の主治医は仁が入院していた時の主治医だった。

 外科医以外にも小児科医の資格も持っているとは多才な人物であると驚かされる。

 

 こんな風に少女とのコミュニケーションも取れるようになっていた。

 だからその内自分の名前も話してくれるだろうと思っていたのだが。

 

「まさか覚えていないとは……」

「覚えていないとは……」


 という事である。

 ぱっと見、六歳かそこらの年齢だ。

 自分の名前が分からないという年齢ではない。

 

 本人にその認識があるかは別として……あまり楽しい過去は想像できない。

 当人がそれを語らないので、本当のところは分からないが。

 それに今の少女は表情筋がボイコットしていることを除けば楽しそうに過ごしていた。

 思い出せない事ならば無理に思い出さなくていいと仁は思った。

 

 と言う訳で名無しのまま過ごさせるわけにも行かず、名前を付ける運びとなった。

 仁は頭を悩ませる。

 仮にも少女の保護者となろうというのだ。

 名前を付けるのを人任せにする訳には行かない。

 

 頭を悩ませた末、一つの名前が浮かんできた。

 

「……澪」

「みお?」

「お嬢さん。君の名前だよ。澪」

「みお、みお、みお。みおは、みお?」

「ああ。気に入ってくれた?」

「気に入った!」


 両手を挙げて喜びを表す少女――澪に仁は口元を綻ばせる。

 相変わらず表情は動いていないが気に入って貰えたようで何よりだった。

 

「みお。みおはみお!」


 その姿を見て――胸が痛む。

 澪という漢字。

 さんずいに雨。そして令。

 

 その名前にさえ、令の面影を求めてしまった結果がこれだ。

 自分が女々しくて嫌になる。

 

「さあ。それじゃあ行こうか」


 そう言って澪に右手を差し出して――一瞬の躊躇いの後引っ込めて左手を差し出した。


「お、おお……?」


 出したり引っ込められたりした手に澪が疑問符を浮かべている。

 別に澪を混乱させようとしたわけではない。

 ただ、令は何時も右側に居た。

 それを避けようとしてしまっただけだ。

 

 そんなことを意識してしまっている時点で仁はダメな気がするのだが。

 

 左手で澪の小さな手を握る。

 力を籠めたら折れてしまいそうなか弱い存在。

 

 今度こそ、守りたいと仁は思った。

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