元エースと拾われ娘の新米親子

梅上

01 雨の日の出会い

 どんな絶望的な状況でも、強大な敵が相手でも挑むことが出来る人間を何というのだろうか?


 怖い物知らず?

 クソ度胸?

 勇者?

 英雄?


 その答えを彼はもう知っている。


『中尉! 止まってください、中尉! 艦隊による一斉射撃が始まります! 巻き込まれますよ!』

『まだだ、まだ行ける!』


 星屑すら無い星間空間。

 恒星系と恒星系の狭間に在る、生命の欠片も無い世界。

 ダークマターで満たされた戦場を、墨色の人型が駆ける。

 アサルトフレームタイプ11、レイヴン。

 

 本来隊列を組むはずのその機体は、ただ一機闇を切り裂く。

 加速の為に背中から漏らす推進器の輝きだけがぽっかりと浮いている様に見える。

 

 その様はまるで流星。

 しかし流星とはまるで動きが違う。


 こうして俯瞰的に見ると二十メートル近いその人型機動兵器は無茶苦茶な動きをしていた。

 直角機動などは序の口だ。

 どう考えても中の人間がつぶれるとしか思えない鋭角ターン。


 そんな殺人的な機動を披露しながら、黒き鴉は敵陣の奥深くへ食い込んでいく。

 昆虫なのか。

 或いは海洋生物なのか。

 何とも形容しがたい形状をした存在の群れ。

 全長三十メートルを超える異形を手にしたエーテルライフルから放たれた光弾で蹴散らしていく。

 

 流星が鋭利な機動を描くたびに、敵の数が減っていく。

 すれ違いざまに振るわれる光の刃――エーテルダガーによって切り裂かれては宇宙のデブリに変わる。


 大気の一欠片も存在しない宇宙空間で活動するそれらが尋常の存在の筈が無い。

 ASID。

 人が母星から離れ、宇宙に旅立って早150年。

 その間ずっと天敵として存在した、脚の無い、ミミズめいた金属生物である。


『クイーンを捕捉した!』

『東郷中尉!』

『仁、危険だ。下がれ!』


 望遠で撮影された映像であるので、その機動の細かな所は見通せない。


 だがそれを見ている彼は知っている。

 当然だ。

 この映像の中で中尉と呼ばれている人間が彼――東郷仁自身なのだから。


 映像の中を閃光が駆け抜ける。


 後方の艦隊から放たれた艦砲射撃。

 それが道中のASIDを砂糖細工の様に溶かしていく。


 そしてその更に奥――他の個体とは段違いの巨躯を持った一体へと突き刺さっていく。


 この戦いは全てこの一体を、この群れの女王を倒すために行われた物だ。

 濁流の様に流れていった砲撃の後は女王以外残されていない様だった。


 その全てが押し流された宙域に、再び光が灯る。

 仁の駆るレイヴンが単独でクイーンに肉薄する。


 近接装備であるエーテルダガーを抜いての格闘戦。

 正気の沙汰ではない。


 他よりも一際大きいクイーンは1キロメートル近い。

 その頭部らしき場所へとただ一人、光の刃で切りかかり――映像が止まった。


「さて、この映像を見て、何か言うことはあるかね。中尉」

「……また撃墜数を更新できたのではないかと」

「ああ。その通りだ。おめでとう。歴代記録も塗り替えて、君が総撃墜数トップ。エースオブエースだ」


 そう言った上官――少佐の表情にこちらを祝う様子など欠片も無かった。

 ただ、重苦しい表情を浮かべている。


「これで何度目かな。中尉。君が死にかける様な怪我を負ったのは」


 数えようとした仁は直ぐにやめた。

 少なくとも両手の指では足りない。


「自罰的な戦い方はやめたまえ。二年前の事故は君の責任では――」

「事故なんかじゃない!」


 言いかけた上官の言葉を仁は遮る。

 首から下げた歪み切った指輪。

 それを握り締めて睨み付けるような表情で言う。


「あの時確かに俺は見たんだ! 超大型のASIDを!」


 二年前。

 公式には事故となっている移民船団同士を繋ぐ連絡船の撃沈があった。

 護衛についていた軍用艦共々である。


 仁はその事故の唯一の生き残り。

 犠牲者の中には、仁の戦友達と――婚約者がいた。


「全長三百キロメートル級の超大型種、か。残念だが物的証拠がない。せめてブラックボックスが無事だったのならばな」


 唯一の生き残りである仁の目撃情報は、極限状態で見た幻覚だと判断された。

 それだけ信じがたい報告なのだ。

 大型であるクイーンでさえ全長は1キロメートル。

 過去観測されて最大級でさえ10キロメートルも行かないのだから。


「残骸は回収できたはずです。復元だって」

「無理だよ。ブラックボックスが完全に破壊された状態で君が生きていた事が奇跡なのだ。ほぼ全身の再生治療。施術後に生きている者の中では最も広範囲の再生だと聞いたぞ」

「……医者にも同じことを言われましたよ」


 後数分どころか数十秒救助が遅れていたら。

 その分処置が遅れたら間違いなく命を落としていたであろう事。

 偶然にも脳を始めとした重要な臓器は無事だった事。


 下半身はほぼ融解してコックピットと区別がつかなくなっていた。

 だが上半身は比較的マシだったのも味方したのだろう。


 そんな綱渡りの様な奇跡の結果、仁は今ここにいる。

 だからこそ、彼は――。


「そんな幸運の後だ。少しは休みたいとは思わなかったのかね?」

「そんな幸運の後だからこそ、戦友たちの意志を継いで戦いたいと思ったのです。彼らの仇を」


 僅か、視線が絡み合う。

 やはり先に逸らしたのは仁の方だった。

 心の内を見透かすような上官の視線に耐えられなかった。


「君がやろうとしているのは敵討ちではないよ」


 悲し気に少佐は首を横に振る。


「君が今、何と呼ばれているか知っているかい?」

「いいえ」

「死にたがり、だ。君はただ生き残ってしまったことを悔いて、仲間の元へ逝きたいだけなんじゃないのか」


 その答えに仁は口元に緩い笑みを浮かべた。


 どんな絶望的な状況でも、強大な敵が相手でも挑むことが出来る人間を何というのだろうか?

 その答えはまさしくそれだ。

 死にたがり。

 生き残る事を考えなければ人間は勇気なんて無くてもどんな事にだって挑めるのだから。

 死にたいと思っているわけではない。だが死んでもいいとは思っている。

 あの日全てを失った仁は、生きていくことに価値を見出せない。

 無駄遣いする気は無くとも、出し惜しむつもりもない。


 その狂気に染まりかけた表情を見た少佐は深く溜息を吐いて一枚の書類を取り出した。


「辞令だ。受け取れ中尉」

「受領いたします」


 仁の死にたがりとしか思えない戦闘を見て、別の部隊に追い出されるのはよくある事だった。

 今回もそれだろうと思い、疑問も抱かずに受け取る。

 だがそこに書かれていた内容は仁を激昂させるには十分だった。


「訓練校の教官……!?」

「一応言っておくが、拒否は認めん」

「自分を、前線から外すと?」

「戦場は君の自殺願望を叶える場所ではない。生き残る意思の無い者を、戦場に置くわけには行かん」


 取り付く島もない返事に仁は反論を封じられる。


「それから随分と長いこと仮眠室を占拠している様だな? これから一月は休暇だ。自分の家で己を見つめなおせ」


 これで話は終わりとばかりに背を向けられる。

 その背に形だけの敬礼を捧げて仁は退室する。


「……雨」


 仮眠室の荷物を押し付けられて、兵舎から出た途端に頬を伝う雨粒。

 それで彼は漸く今日の気象設定が午後から雨だったことを思い出した。

 どうせその内止むだろうと無視して歩き出す。

 1月の気候設定ならば雪であってもおかしくなかったのでまだマシな方だ。


「休め、って言われてもな」


 一か月という長い休暇。

 仁にとっても学生時代ぶりとなる長期の物だ。

 それが終われば彼自身違和感を覚える教官職となる。


 自分が前線から離れるなど信じられない。

 だが軍人である以上拒否は出来ない。

 どうやって前線に戻るかはこれから考えるべきことだった。


「……」


 ふと。

 耳が何かを捉えた。

 音。声にすらならぬ微かな吐息。

 雨音に入り混じった人の息吹。


 気のせいかもしれない。


 だが、仁はその感覚を信じて聞こえた方向に進路を変える。

 自分の感覚を信じてきてこれまで生き延びてきたのだから。

 それに、どうせやることがある訳でもない。


 聞こえてきた方向は、地下の工業区へと続く連絡階段のある方角。

 この移民船の居住区から離れていく方向だ。


「こんな方に誰が?」


 周囲には剥き出しのパイプが通り、機械の駆動音が低く響く。

 更に遠くからは外壁の修理作業をする工具の音。

 そういえば今日の戦闘で被弾した場所はこのあたりだったかと思い出す。


 冷静に考えれば、この騒音の中でこんなところからの声が聞こえる筈がない。


「空耳か……?」


 仁はそう結論付けて引き返そうとする。


「――ぁ」


 本当に微かな。

 だけど仁の耳には確かな。

 その声に弾かれたように仁は走り出す。


 弱々し気な声。そこに込められた必死さを感じ取った。

 そして仁は軍人だ。

 例え前線に出れなくとも、助けを求める声は無視できない。


 そうして彼は見つけた。


 雨に濡れた地面。

 規定時刻となって晴れに変わった天気。

 天から差し込む光がまるでその場所を示すかのように照らし出す。

 それを目印に仁は駆け寄る。

 日差しに照らされる白い背を晒して倒れ伏す少女。


 身長からすると5歳か6歳か。

 上着を脱ぎながら仁は声をかける。


「おい。大丈夫か!」


 頭の中は高速で回っている。

 事件性。低体温症への対処。


 そうした諸々は少女を抱き起こした瞬間に数光年彼方へと吹き飛んだ。

 別段、変哲もない容姿だ。

 銀髪というのが珍しいが、それとて百人も集めれば一人位は居るものだ。


 ただ、その顔つきは仁にとっては何よりも意味のあるものだった。


「…………令?」


 知らぬ内に口がその名前を紡ぐ。

 何時の間にか、右手は首から下げた歪んだ指輪――婚約者に渡す筈だった物を握り締めていた。


 二年前に目の前で沈められた連絡船に乗船していたした最愛の婚約者。

 その面影を残す少女に、仁は自失する。


 その日、死にたがりの男は自分の運命を決める少女と出会った。

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