17 喧嘩
「ごはん、美味しくない……」
フードキューブを食べた澪が悲し気にそう言う。
仁からすれば、ここしばらくのジェイクの店での食事がイレギュラーだっただけ。
むしろ慣れ親しんだ食事と言える。
「じん、じぇいくの所に食べに行こうよ」
「ダメだ。ジェイクの店も今は材料が無いから閉めてる」
「むう……」
非常に不満げだった。
だがその変化に気を遣う余裕が今の仁にはない。
ソファーの左手に座った澪は懸命に今日のあった事を話す。
「あのね、じぇいくに見せて貰ったんだけど」
仕事終わり。
澪と暮らし始めて迎える何度目かの夜。
何時もならば頭を悩ませる訓練生達の教練の事を忘れて、澪とどう過ごすが考えている頃だ。
ただ今日はそういうわけにも行かなかった。
帰宅前の会話を思い出す。
◆ ◆ ◆
「待って下さい!」
嫌な予感はあった。
この頃よく見る、訓練校以外の人間。
その多くがそれなり以上の階級を持つ佐官達だった。
そしてその日の講義が全て終わった後に呼び出されたのだ。
――訓練校四回生と三回生の配備が決まったと。
「四回生はまだしも、三回生の彼らは本来行うべき過程を一年分も残しています。無茶です!」
「教官。君も既に聞き及んでいると思うが、今の船団の戦況は予断を許さない」
「存じております。ですが、未だ半人前の彼らを出撃させたところで、役立つとは思えません」
宥めるような上官の言葉に、仁は一歩たりとも引くつもりはなかった。
早すぎる。
いくら何でもまだ早すぎるのだ。
「敢えて、三回生の彼らを戦場に引っ張り出す意義は薄いと思われます」
断じて引かぬ。
態度でも言葉でもそう示す仁に相手も少し気圧された様だった。
佐官ともなれば早々前線に出るものではない。
離れて二月にも満たない仁(エース)の気迫に押されている。
だがそれを涼やかに流して、口を挟む男がいた。
「理由はシンプルだよ。東郷教官。彼らの腕が立つ。それだけだ」
「少佐……!」
仁の口から呻くような言葉が漏れる。
彼を今の立場へと押し込んだ男の言葉は他の面々の耳を傾けさせるには十分だった。
「君が担当してからの成績は見させて貰った」
あらかじめ準備してあったのだろう。
少佐が腕を振ると壁に四回生、三回生の成績が表示される。
それらは例年の四回生の平均値と比較して並べられていた。
「皆それぞれだが――例年の四回生と比べても今年の三回生のスコアは遜色がない。確かに座学の点ではまだまだ問題が多い。それでも」
例え四回生であっても引けは取らない。
生き延びる可能性が少しでも上がる様にと仁に出来る全力を尽くしてきた。
短期間だがそれは形になりつつあった。
それが仇になるとは。
仁は船団の現状を甘く見ていたと悔いるしかない。
そして仮に分かっていたとしてもやはり鍛えるしかなかったという事に気付かされる。
「私達の教え子の成績は確かに高い物でしょう。ですが! 未だそれは途上の身! 今すぐ出撃させるのは反対です!」
「落ち着け。東郷教官。何も彼らを前線に出そうというのではない。哨戒スケジュールに組み込むだけだ」
何を、と仁は歯噛みする。
確かに哨戒任務だけならばそこまでの能力は求められない。
見回りするだけならば訓練生でも十分に務まるだろう。
「その場合、接敵した時に真っ先に交戦するのは彼らだ!」
机に手を打ち付けて立ち上がる。
今は襲撃が頻発している。
従来のミミズ型は船団を狙ってきているわけではない。
それ故に相手からしても実は不意を打たれているのだ。
だが人型は明確に船団を狙って襲撃している。。
そして一体一体の戦力も高い。
訓練生では増援が辿り着く前に全滅する可能性が高かった。。
危険度で言えば前線配備と大差ないだろう。
「無論その点は配慮する。連中の襲撃は連日は無い。加えて夜間に限定され、襲撃の間は最低でも一日は空いている。その間の昼間だけで良いのだ。ほんの僅か、一部隊だけでも休ませる時間が欲しいのだ」
少佐の言い聞かせる様な、懇願する様な言葉に仁は勢いを失って腰を落とした。
つい先日聞いた増援部隊の話。それを踏まえても尚。
「それほどまでに……厳しいのですか」
「度重なる襲撃で正規兵達も疲労している。ローテーションに少しでも余裕を持たせたい」
それは仁も危惧していた事だ。
疲れが溜まれば常の動きは出来なくなる。
残念ながらこの第三船団でも人間の疲労を一発で無くすような物はない。
「他船団への増援要請もしているが、一番近い第二船団でも編成と派遣にあと二週間はかかる。その間だけだ。分かってくれ」
説得するような少佐の言葉を揶揄するように、別の佐官――徽章から中佐だと分かる――が鼻を鳴らした。
「それにこれは軍の決定なのだ。一教官が拒否できるとでも思っていたのかね? 船団記録保持者だか何だか知らないが、思い違いをしていないかね?」
仁が何かを言おう口を開くのを遮るように、少佐が中佐を取り成す。
「中佐。彼は教え子たちの身を案じているのです。その心根、決して貶される物では無いかと」
「ふん……どちらにしてもこれは決定だ。教官。本当は定期巡回に組み込む方が楽なのだ。それをこの様に変則スケジュールとしただけでも感謝してもらいたいな!」
吐き捨てるような言葉に、仁は拳を握り締める。
何も出来ない無力さを、噛み締める。
「了解いたしました」
◆ ◆ ◆
後から聞いたところによれば訓練生達の配備について少佐がかなり調整してくれたらしい。
それこそ当初は定期巡回の中に組み込むつもりだったようだ。
そうなれば遭遇の可能性は高まっていた。
そうではなく、襲撃と襲撃の隙間に入れる事でリスクを可能な限り下げてくれたのだ。
感謝してもしきれない。
だが、そこまでしてくれるのならば何故。
何故、自分の出撃を許してくれないのか。
次の襲撃。その後からこの哨戒任務は開始される。
その時の小隊長は経験豊富なベテランが着くという。
せめて、自分が行ければと仁は悔しがる。
ただ待つだけでなければもう少しだけマシな気持ちになれただろうに。
「……じん。聞いてる?」
「え? ああ……」
嘘である。
訓練生の事に気を取られていて、澪の話を全く聞いていなかった。
今も返事をしただけでそちらに意識を向けているとは言い難い。
おざなりな返事が分かったのか、澪が不満げな空気を出す。
「もういいっ」
不貞腐れた様に澪は手にしたペンギンのぬいぐるみに視線を落とす。
流石にこれはまずかったと思った仁は謝ろうと口を開きかける。
「早くピカピカ来ないかな……」
別に澪にとって深い考えのあった言葉ではないだろう。
普段からあの光景を楽しみにしていたのは知っていた。
その光景の先に何があるか分かっていない。
だから悪かったのはタイミング。
「ふざけるな!」
仁の突然の怒鳴り声に澪が肩を弾かせる。
目を真ん丸に見開いて仁を見つめている。
「あいつらが来る度に人が死んでるんだ! 今度は俺の教え子もそんなところに行かせないといけない! なのに早く来ないかなだと!? お前は――」
感情に任せるがまま怒鳴って仁は正気に返った。
そんな事は澪に言うような言葉じゃない。
これはただ、己の無力感を澪にぶつけただけ。
つまりは八つ当たりだ。
謝らなくては。
そう思うのだが喉が動かない。
ショックを受けた澪の顔が歪む。
涙を流していないのが奇跡の様だった。
「じんのばか!」
そう叫んで澪は走り出す。
向かう先はベッドだ。
毛布にくるまって蛹の様になる。
「澪……」
声をかけようとして仁は躊躇う。
何を言えばいいのだろう。
震えているベッドの上の塊を見て、仁は立ち尽くす事しかできなかった。
「澪、ごめん。俺、ちょっと仕事で上手く行ってなくて……その」
返事はない。
無視されているのか。寝ているのか。
無視されても仕方ない。
「保護者失格だよな……」
令が居たらどうしただろうと仁は、胸から下げた指輪を掴んで自問する。
もっと上手くやっただろうか。
指輪は何も答えてくれない。
「本当に、ごめんな」
言葉を重ねようとしたタイミングで警報が鳴り響く。
「こんな時に!」
悪態を吐きながら、仁は澪を抱きかかえる。
見れば目を閉じて眠っている様だった。
少なくとも起きる気配がない。
どうせ抱きかかえて避難するのだと思って仁は起こさずに、家を出る。
その夜の避難警報が解除されたのは次の日の明け方。
眠ったままの澪を連れてジェイクの店に行く。
「ん? おお。どうした早いな」
やはり避難から戻ってきたばかりのジェイクが仁を迎えてそう言う。
「朝早くから悪い……澪を預かってくれないか?」
「別に構わないが。どうしたんだ急に」
「……今日から教え子たちが哨戒任務に組み込まれる。諸々やっておきたいことがあるんだ」
声を潜めて言うとジェイクが目を見開いた。
戦況がそこまで厳しいことは市民には公表されていない。
だが訓練生が出撃するとなれば尋常ではない事は素人でも分かる。
「マジか……そこまでやばいのか」
「第二船団の援軍が来るまでの辛抱、だと思いたいんだがな」
第二船団の防衛軍は全船団の中でも精強だ。
仁の撃墜数には劣る物の、それに匹敵するような腕前の操縦兵がゴロゴロしている。
それが到着すれば戦況は十分に立て直せるだろう。
そのゆっくりとした動きさえ、今の仁には苛立ちの対象だった。
「もしもASIDと遭遇しても生き残れるようにやれることはやっておきたいんだ」
「ああ。分かった。嬢ちゃんは任せろ」
「後これは本当に我儘で申し訳ないんだが……できたら何か澪に美味しい物食べさせてやってくれないか? 金は勿論出すから」
そんな頼みをすることが心苦しい。
ジェイクだって材料も手に入らない今、金を積まれてもどうしようもないだろうというのは分かっている。
それでも昨日喧嘩した澪のご機嫌取り……というわけではないが、食事への不満を一時でも解消してやりたいのだ。
「……出来ないことはないな、少し金はかかるけどな」
「構わない。お願いしていいか?」
「しょうがねえな。ま、俺もそろそろキューブフードに飽きて来たしな。あれは餌だ餌」
そう笑ってジェイクは快諾する。
その返事に安心した仁は寝ている澪の前髪を撫でた。
銀の輝きが目の前で揺れた。
「それじゃあ行ってくるよ、澪」
帰ってきたらまた謝ろうと決めながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます