第4話 業病の少年十字軍兵士

 ●業病の少年十字軍兵士


「ギヨーム、あなたギヨームというのね」

 わたしは、杖をつき鈴を鳴らして歩く少年十字軍兵士に近づいて話しかけた。

 「あなたはだれ?」

 仮面の奥から、視力のほぼ失われた目がぼんやりとこちらを向く。

 齢は13だというが、背はわたしと同じくらいある。

 「わたしはトゥールーズのソフィア姫」

 「ソフィア姫さま。いい匂いがする。お姫さまの匂い。きっと綺麗なお姫さまなんですね」

 「いいえ、もう姫なんかじゃないの。お父様に売られ、トゥールーズの人々にも見放されて。人目を避けて逃げ回る日々」

 そう言うと、いままでこらえていた悲しみと絶望とが、喉元まで上ってきた。元の親衛隊長のギヨームばかりか、実の父のトゥールーズ伯にさえ、魔女かもという疑いをかけられていたのだから。

 でも、なぜか涙は出ない。16歳の時、死病から回復して以来、泣くことも笑うこともなくなっていたのだった。

 そんな無表情ぶりも、魔女ではないかという疑いの元になってしまったのだけども。

 「悲しまないで、ソフィア姫さま。俺だって親に捨てられてたんです。村一番の裕福な農家の跡取り息子だったのに、病気だと分かったとたんに家から追い出されて、物乞いで命をつないできた。そんな俺を、エチエンヌや十字軍の仲間たちは受け入れてくれたんだ。ソフィア姫さま」

 「ソフィアでいいわ」

 「ありがとう、ソフィア。それに、ここにいれば安心ですよ。みんな優しくて親切で、エスクラルモンド様も、俺の病気をきっと治してあげるっていうし。ああ、早く目がもっと見えるようになったらいいなあ。エスクラルモンドさまってどんな顔をしているんだろう、実の母親だったらよかったのに。そして、ソフィア、あなたの顔も早く見たい。きっと、家に飾ってあった陶器の人形のように、可愛い顔をしているんだろうな」

  「ギヨーム、あなたの病気はなおる」わたしの口から、自分でも思いがけない言葉が出た。「わたしが、ソフィアが、きっとなおしてあげる」

 「ほんとう?ソフィア‥‥」ギヨームの仮面の顔に、内側からパッと光が射したような気がした。

 「そう。あたしは魔法の鏡を持っているもの」


●薬売りのマドモワゼル・ユキ


 わたしは、女司祭さまのところへ戻ると、問うた。

 「エスクラルモンドさま。この洞窟で、薬の製法はいつから始まったのですか」

 「わたくしがカルカソンヌから遁れてきた時には、もうかなり完備した製薬工房になっていたのです。いま、詳しい者を呼んできます」

 そして、岩棚で作業をしている一団に近づくと、「リドヴィナさん」と呼んだ。

 現れたのは、眼鏡をかけた痩せた年配の修道女。

 「こちらがリドヴィナさん。ここでは一番の古株です。ここでの薬の製法はいつから始まったのか、こちらのソフィア姫さまがお知りになりたいそうです」

 リドヴィナさんは、わたしを見るとなぜかちょっと驚いたような顔をしたが、丁寧にあいさつをすると、20年以上前の記憶を辿って、ボソボソと話し始めた。


 元々、シトー派の修道女だったリドヴィナさんは、薬草に興味があって野山を採集に歩き回っていたのだった。

 そうしているうちに、ギリシャから来た薬売りの女と知り合いになった。

 「薬売りの女といっても、なりは地味だけど頭巾から覗く顔はたいそう若くて、十五か六ぐらいの少女にしかみえませんでした。そう、ちょうどソフィア姫さまぐらいの」

 その後、リドヴィナさんはそのギリシャの薬売りに誘われて、この洞窟の中で薬の製法に携わるようになったという。

 シトー派の修道女の身でありながら、すでにカタリ派の教義に帰依していたので、お仲間を誘ってかなりの人数がこの洞窟の製薬所に出入りするようになった。

 「そしてある日、その人は、西の方に自分を必要としている姫君がいる、と言って、洞窟を出て行ったきり帰ってこなかったのです」

 「それはいつ頃のことでしょうか」

 「そう、かれこれ十五、六年前になりますでしょうか」

 時期からいって符合する。もしやそのギリシャの薬売りこそが、十六年前にトゥールーズに現れて霊妙な煎じ薬でわたしを死病から救った人なのではないかしら。

 「その人の名は何といったのです?」

 「それが、ギリシャの人の名は覚えにくくて。わたくしどもは、マドモワゼル・ユキと呼んでいましたけど」

 「マドモワゼル・ユキ」

 その名は知らない筈だった。けれども、なぜか記憶の底にうごめくものがあった。

 そしてあの感覚、トゥールーズの塔の部屋で時々感じた、どこか遠くにほんとうの名前があったような気がするーーという感覚が戻ってきた。

 マドモワゼル・ユキ。なぜか懐かしい名前だった。

 それから、リドヴィナさんは、ややためらってから、こう言い添えたのだった。「そういえば、お顔もそっくりでした。ソフィア姫、あなたさまと」


<第5話に続く>

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