第5話 鏡の奇蹟
●鏡の奇蹟
「鏡よ、鏡よ、教えて」
わたしは、ペンダントにして肌身離さず持っていた魔法の鏡を、ふところから取り出して久しぶりに話しかけた。
十六年前にトゥルーズに現れた薬草売りのギリシャ女が、マドモワゼル・ユキに違いないなら、彼女から託された魔法の鏡は、きっと教えてくれると思ったから。
「この子の、ギヨームの、病気を治す薬の作り方を」
そして、この地方で畏れを込めて使われていた病名をささやいた。
すると、鏡の表面に、見たことのない幾何学模様が浮かんで流れて、こんな文字が現れた。
--データ不足。本人の顔を写す必要がありますーー
傍らでわたしのやっていることに注意を集中していたらしい、少年に言う。
「ギヨーム、魔法の鏡さんが、あなたの顔を見たいって」
首から鏡の飾り紐を外して、手渡そうとすると、
「いけない、ソフィア。俺は触っちゃならないんだ」と、包帯でグルグル巻きにされた手を引っ込めた。
はずみで鈴が、カラカラカラと激しく鳴った。
「じゃあ、こうするわ、わたしは横向いてるから、その間にお面を外して」
「ありがとう、ソフィア。こう見えても俺って、病気になる前は村一番の器量良しって言われていたから、今の顔は誰にも見せられないんだ」
器量良しというのは、女の子に使う形容詞じゃないかしら、でもギヨームのいた北フランスは、ここオクシタニアとは言葉がだいぶ違うからーーなどと、体をひねって鏡を持った腕を思いきり伸ばした不自然な姿勢で考えているうちに、
カシャリ、と聞きなれない小さい音がした。
「終わったよ、ソフィア」
振り向くと、少年はもう仮面を付けていた。
鏡をのぞき込むと、また異様な幾何学模様が浮かんでは消えしている。
そのうち、幾何学文様が文字らしきかたちを取った。
--この時代この地域で製造可能な薬剤は大風子油だけと思われます。大風子油。イイギリ科Hydnocarpus属に属する植物の種子である大風子 (Hydnocarpus anthelminticus ダイフウシ(ノキ)) の種皮を除いてから圧搾して得た脂肪油。常温では半固体状で強い匂はない。搾油直後には白色の軟膏様の性状を示し無味無臭であるが、次第に黄色に変化して特有のにおいと焼きつくような味を生じる。もともとは古代より東南アジアやインドの民間療法として行われている治療法ーー
読むだけで頭が痛くなりそうな文章のあとに、二種類ほどの植物の映像が浮かびあがる。
ひょっとしたら、これが、大風子油という薬の原料かしら。
「ギヨーム、魔法の鏡が、何かを伝えてる。ちょっと待っててね」
わたしは、鏡の文字が消えないことを念じながら、エスクラルモンド様とリドヴィナさんのところへ駆け戻ったのだった。
リドヴィナさんは、差し出された鏡に、
「マドモワゼル・ユキが持っているのを見たことがあります」と驚いたけれど、すぐ、鏡面の文字と映像に見入って、「これなら、この近くにも生えています。崖際とかーー」と言った。
「どう、リドヴィナさん、ここの設備でできそう?」
「大丈夫と思います、エスクラルモンド様。この薬草さえ手に入れば、三日もあればこの大風子油が採れます」
そして、事実、三日後には薬ができて、少年の治療が始まったのだった。
●エルサレムへ
薬の効き目はめざましいもので、塗り薬と飲み薬の併用で四日後には手足にグルグル巻きになっていた包帯が取れた。
そして一週間の後には、仮面を取ってみようということになった。
「ギヨーム、良かったですね。すてきですよ」
「ほんとうに村一番の器量良しだったのね」
仮面の下からあらわれた、りりしい美少年顔を見て、エスクラルモンド様とわたしは、口々にほめそやした。
まだ瘢痕があちらこちらに残っているけれど、ギヨームの若い生命力をもってすれば、完全に元に戻るのも遠くないと思われた。
けれどもギヨームの顔色は冴えなかった。視力が回復しないからだった。
連絡に当たっていたカタリ派の騎士によって、少年十字軍本隊がマルセイユに集結しつつあるという情報がもたらされただけに、ギヨームの焦りは募った。
「俺、このままでもみんなと一緒に行かなきゃ。エチエンヌが祈れば、海が割れてエルサレムへの道がひらけるていうし。いよいよ異教徒と戦うんだ」
「まって、ギヨーム、その目でどうやって戦うっていうの」
わたしは、鏡を取り出して、祈るように問うた。
「鏡よ、鏡よ、ギヨームの目を治すにはどんな薬がいいの?」
異様な幾何学文様がまた浮かんでは消え、こんな意味の文字になった。
--この時代には有効な薬はない。あとは、あなた次第ーー
「あたし次第?」
わたしは即座に決心した。ギヨームの「目」となるべく、少年十字軍に加わってエルサレムを目指すことに。
その時は、あのような残酷な運命が待ち構えているとは、思っていなかったのだった。
<第6話に続く>
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