第6話 時空をわたる吟遊詩人、そして運命の船出
●吟遊詩人の別れの歌
崖の上からは、マルセイユの港が一望のもとに望まれた。
真っ赤な夕陽が、水平線に没しつつあるところ。
風が冷たい。いつの間にか冬が訪れていたのだった。
「ギヨーム、マルセイユの港よ。うわーァ、大きな船が浮かんでる」
「ソフィア、それで、少年十字軍のみんなは?」
「あれがそうかしら。港の一画に、続々子どもたちが集まってきている。マントに大きな十字の縫い取りをつけて。あちら側からも、こちら側からも。すごい数よ」
わたしは、視力の回復しないギヨームのために説明しながら、先ほどの、ギラベール司教、というより吟遊詩人ギラベール・ド・カストルとの別れの場面を思い返していた。
病気治療中だった十数人の少年兵士たちは、一日前に洞窟を出てマルセイユを目指していた。
ギヨームとわたしは最後になってしまったが、ギラベール殿ともう一人の騎士が現れて、馬の後ろに乗ってここまで送って貰ったのだった。
「では、我々はここまで。なにしろお尋ね者なのでね」
「ギラベール司教さま、救い出していただいたばかりか、ここまでお世話になって。イエス・キリストの恵みが司教さまと共にありますように」
「ソフィアさま、そしてギヨーム君‥‥」
言うとギラベール殿はわたしに続いて馬を下りる。
ギヨームを乗せてきた方の騎士も、馬を下りる。今まで気がつかなかったけれど、齢の頃は十五、六と若く、しかもギラベール殿に似た美貌。見習い騎士のレオナルとだけ紹介されたのだったが、もしかしたら弟君かしら。
「今更、止め立てしても無理でしょうから、せめて餞別を交換することにしましょう」
「餞別を交換するって‥‥」
いつのまに取り出したものか、ギラベール殿は小型の竪琴を抱えていた。
そして年若い騎士の手にも竪琴が。
「私が吟遊詩人に戻って竪琴を弾きます。こちらのレオナルも見習い吟遊詩人として合奏します。そして、ソフィア姫、歌うのはあなたです」
「わたしが?」
答の代わりに二台の竪琴が鳴り出した。
何を歌おうかしら、などと考える暇もなく、おのずと歌声が口をついて出てくる。
~いつからここにいるのかも知らない
~自分がだれなのかも知らない
~ソフィア姫、とみんなは呼ぶ
~でもどこか遠くに、別の名があったような気がする
別の声が重なっているのに気がつく。ギヨームがボーイソプラノで合わせているのだった。
「ソフィア姫」のところを「ギヨーム」と変えて。
~海の彼方に陽が落ちる
~マルセイユの港を朱に染めて
~エルサレムはどこ?雲と雲のあいだ
~ぼうっと霞む、たどりつけるの?
~楽園を追われて何千年
~流転の果てにここにいる
~瞼に浮かぶは時空のかなた
~ジパング国の青い海白い雲
「ソフィア、ジパングって?」
ギヨームの歌声が止まる。「エルサレムとどっちが遠いの?」
「ずっと遠いの。大きな国を越えて、大きな海をわたって、また大きな国を越えて、また海をわたった彼方」
「どんな処なの?俺たちも行けるの?」
「神さまのことで殺し合わなくともすむ、平和な国。あなたはきっと行ける」
「ソフィア、あなたも?」
「わたしは今のままでは行けない。何度も転生して、千年後にならなければたどり着けないの」
いつかの、魔法の鏡のささやきを思い出して、答える。
気がつくと竪琴が止んでいた。
「さすが奇蹟の乙女、ソフィア姫。最後に聖なる予言をされましたね」
「予言って‥‥」
答えはなかった。
「では、我々はこれで。転生を重ねて千年後にジパングで会いましょう」
言うと二人の吟遊詩人は騎士に戻り、馬首を返したのだった。
「待って、ギラベールどの。あなたはいったい、誰なの?」
遠ざかりゆく馬上の人の背中に問う。
北風が、ひときわ高く、ビューンと唸った。
風に乗ってギラベール殿の声が、辛うじて返ってきた。
それは、なにか聞いたこともない外国語に聞こえた。
わたしは、無意識のうちに懐から鏡を取り出していた。
鏡の面には、こんな見慣れない模様のような文字が浮かんでいた。
--時空をわたる吟遊詩人、古泉一樹ーー
●運命の船出
マルセイユの港町に入る。
ギヨームの手を引き、大きな十字の縫い取りを付けた子どもたちの群れを縫って、エチエンヌのいる所を目指す。
少年十字軍には女の子もいるということだったけれど、わたしはエスクラルモンド様の計らいで、シトー派の見習い修道僧のなりをしていた。
子どもたちの間には、今、こんな声が飛び交っていた。
「エチエンヌはなぜ祈らないの?」
「エチエンヌが祈れば海が割れる筈じゃなかったの?」
「エチエンヌはどこにいるの?」
「波止場のあの大きな建物に入ったきり、出てこないそうだよ」
「あの建物は商船組合の本部らしいよ」
「まさか、船を借りようっていうの?」
「エチエンヌは神の子、奇蹟の子のはずじゃなかったの」
「ギヨーム、子どもたちがあんなこと言ってるわ」
「ウン、それもエチエンヌらしいって気がする」
ギヨームは答えた。「自分には奇蹟を起こす力はないって、いつもいってた。病人が治ったりしても、自分の力じゃなくって、その人のキリストへの信仰心が直したんだって。エチエンヌったら、とっても謙虚なんだから」
そう答えると、わたしの方に不自由な目を向けて付け加えた。
「でも、ソフィア、あなたと‥‥じゃなかったユッキ、君とエチエンヌが一緒に祈れば、何かが起きるような気がするよ」
ユッキとは、薬売りのマドモアゼル・ユキから取った、わたしの男子名だった。
「ギヨーム、それはできないわ。そんな力はわたしにはないって、自分でも分かってるもの‥‥」
「ギヨーム、ギヨームなのか?」
変声期にある少年の声で呼び止められたのは、商船組合の大きな建物に入る時だった。
「その声はニコル」
「ギヨーム、病気が治ったのか!」
「よかったね。すっかり元通りじゃん!」
「やっぱり、薬師の洞窟に行ってよかったんだね!」
「ジュリアン、ロラン、村のみんな!」
たちまち周りに、白マントに大きな黒十字を縫い付けた少年たちの群れができる。
「でも、まだ目が見えないんだ。だからこのソフ、じゃなかったユッキに連れてきてもらった」
「シトー派の見習い修道士、トゥールーズのユッキです、よろしく」
「ユッキは薬師の洞窟の中でも、一番若くて優秀な薬師なんだ」
打ち合わせていた通りにギヨームが紹介する。
それにあわせて私は、背負った薬草籠を示して見せる。
最初に声をかけてきたニコルという背の高い少年が、しげしげとわたしの顔を見る。
「男の子か女の子か分からない名だね。顔もそうだし。トゥールーズじゃみんなそんなの?」
「ハイ。いちおう男の子のつもりです」
楽しそうな笑い声が上がる。
「でも、薬師が仲間になるってのはありがたいことだよ。病人もけっこう多いし。一緒に船に乗ってくれるんだろうね」
「そのつもりで来ました。ギヨームの治療もまだこれからですから」
「やっぱ、船を頼むのか?」とギヨーム。
「そうなんだ。神さまを試しちゃいけないっていうのが、エチエンヌのモットーだから」
「ニコル、エチエンヌが戻ってくる」
建物の奥から、何人かの大人たちと少年たちが一団となって近づいて来る。
「エチエンヌ、どうだった?」
「ニコル、みんな。大丈夫だ。こちらのヴェネツィアのルチアーノ商会の方から、船をただで提供していただけることになった。それも四隻も」
ウワーッと歓声が上がる。
「たぶん、希望者は全員乗せられる」
「これでエルサレムに行けるんだ!」
エチエンヌと呼ばれた少年が近づく。
「ギヨームなのか?」
「エチエンヌ、治ったんだよ」とニコル。
「エチエンヌ!」
「ギヨーム!」エチエンヌがギヨームに抱きつく。
「エチエンヌ、いけない!」ギヨームが押しのける。
「まだ完全に治ったわけじゃない。目も見えるようになってないし」
そして、傍らを指さして、「こちらの薬師のソ、じゃなかったユッキの治療を受けているところ」
エチエンヌがわたしの方を向いた。
思い描いていたような、奇蹟の少年の名にふさわしい天使めいた風貌はしていなかった。
ありふれた羊飼いの少年だった。
そして、日焼けした顔の底で、うら若い魂が疲労と重圧感に押しひしがれているのを、感じ取ることができた。
「シトー派の見習い修道士のユッキです。薬師のわざも見習いでやります。ギヨームと一緒にエルサレムに行くつもりです。」
その後、エチエンヌと一言二言ことばを交わしたけれど、覚えていない。
わたしの注意は、子ども達に取り囲まれ感謝攻めにあっている三人のヴェネツィア人に引き付けられたから。
後頭部にチリチリという感覚があった。疑念が心の隅を掠めた。
わたしは、子ども達の群れを離れると、人に見られないように鏡を取り出した。
「鏡よ鏡よ、このまま船に乗ってだいじょうぶなの?」
鏡はしばらく反応しなかったが、やがて幾何学模様があらわれ、文字の形をとった。
ーー運命ーー
翌朝、三百人を超す子ども達が、四隻の巨大なヴェネチア商船に分乗して、マルセイユの港を船出した。
陽は照っていたけれど、行く手の水平線に雲がかかっているのが、何かの凶兆のようにわたしには思えた。
<続く>
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