第3話 洞窟の女司祭
●吟遊詩人ギラベール参上!
審問所のあるカルカソンヌの町までは、一晩、馬車にゆられて着く距離。
護送の馬車に同乗した4人の兵士は、強行軍での往還に疲労困憊したものか、うたたねをしていたが、わたしは眠るどころではなかった。
黒森の縁にさしかかってフクロウが三度鳴いたら脱出の合図だというけれど、わたしには土地勘がない。トゥールーズの都を一歩も出ずに、蝶よ花よと愛でられて育ったのだから。
馬車の狭い窓から見える外は暗すぎて、どこが黒森やら見当がつかないし。
「ホウ―、ホウー、ホウー」
フクロウが三度鳴いたのは、夜明けも近い時刻だった。
続いて、ワーという鬨の声が上がる。
「敵襲だ!」「カタリ派だ!」「馬車を守れ!」
外で飛び交う叫び声。
と、「ウヌ、何をする!」
馬車の中で、ドシンドシンともみ合う音
気がつくと、4人の兵士のうち二人が他の二人に縄をかけ、猿轡を噛ませているのだった。
「ソフィアさま、われわれは味方です、良きひとです!」
呆気に取られているうちに、馬車が止まった。
馬車の扉が開き、「ソフィアさま、早く」と声がする。
黒装束の騎士が、長い手をしなやかに差し伸べているのだった。
「あなたは、もしやあの吟遊詩人?」
「吟遊詩人は世を忍ぶ姿。正体はラングドッグのカタリ派司教ギラベール・ド・カストル。さあ、ソフィアさま、早く、わたくしの馬の後ろにお乗りください」
●カタリ派の女司祭
ギラベール殿にしがみついて馬で休みなしに進むこと、6~7時間。森を抜けた頃にはすでに陽は中天に輝いていた。
「どこに行くのです、これから」
「我々の隠れ家です」
道は上り坂になり、ふたたび森に入り、また抜けたところで清流を渡ると、道の両側に断崖が迫ってくる。
「この辺りはヴェール渓谷と呼ばれています。もうすぐ大きな洞窟が崖に口をあけていて、そこが隠れ家です」
とある木立の前で、馬を降りる。
ギラベール殿は口に手を当てると、「クゥックル、クゥックル、クゥックル」という、鳥の鳴くような声を発した。
しばらくすると、同じようだけれどやや細くて高い声が、木立の奥から応えを返す。
「我らが女司祭、エスクラルモンド殿が直々にお出迎えに来られる」
「あのエスクラルモンドさまが。では、生きていられたのですね」
エスクラルモンド・ド・フォアの名は、トゥールーズで知らぬものはない。カタリ派で最初にして唯ひとりの女性司祭として敬われていただけではない。若かりし頃は絶世の美貌をも謳われた、才色兼備の人なのだった。
カルカソンヌの町が陥落した時に、三百の信徒とともに火刑に処せられたと聞いていたのだけど。
「エスクラルモンド殿にはまだまだ働いてもらわねばなりませんからね。必死の救出作戦で、ここに身を隠していただいたのです」
やがて木立の陰から、黒の修道衣をまとった長身の女人が姿を現わす。
「エスクラルモンド殿、ギラベールです。任務は成功しました」
「司教様、よくぞ御無事で」とわたしに目を注ぎ、「で、こちらが?」
「トゥールーズのソフィア姫」
「あなた様がソフィア姫。なんと噂どおりに愛らしい、16歳の乙女そのままではありませぬか」
わたしを抱きしめるエスクラルモンド殿は、頭一つ背が高い。
そして、なぜか煎じ薬のにおいがする。
「臭います?ここでのわたくしの役目は薬師のわざ」
わたしの表情で察したものか、黒頭巾の陰から答えるその顔は、煤でも塗ったものか不自然に汚れている。
けれど、内側から輝き出るような美貌は隠しようがない。
こぼれ落ちそうな大きな目。頭巾からあふれる栗色の髪。ふっと、どこかで会ったことがある、という気がした。
「エスクラルモンドさま、どこかでお会いしたような」
「いいえ、わたくしはソフィアさまとは初対面だと」
「もしかして、アサヒナのミクル姫をご存知では?」
「はて、聞いたことがありませぬが。いずこの国の方でしょうか」
わたしの脳裏をよぎったのは、いつか魔法の鏡に映し出された、一千年の後に生まれるという美少女の面影。でも、エスクラルモンド様の方がずっと大人びていて、よく見ると若いとは言えない齢の頃だと分かるのだけれど。
「ソフィアさま、わたくしはこれからカルカソンヌまで行かねばなりません。エスクラルモンドどの、姫さまをよろしく」
「ギラベール殿、感謝に堪えません。気を付けて」
騎馬の人の姿が見えなくなるまで見送って、私たちは木立の奥に分け入る。
●洞窟の少年十字軍
断崖に藪に埋もれていた洞窟の口から入る。
エスクラルモンド様が掲げる松明の灯を頼りに坂道を下ると、だだっ広い空間に出る。
ぼんやりした白い光が前方上方から射し込んでいた。
「ここは」
「山の反対側に洞窟が突き抜けていて、天井から光が入るのです」
広い空間には、そこここに動く人影があった。
反対側の岩棚に、小さくてよく見えないが、瓶や壷やフラスコのような器具が並んでいて、エスクラルモンド様と同じ黒衣の修道女のなりをした女たちが忙しく立ち働いていた。
わたしたちに気づくと、そろって腰をかがめて丁重に挨拶する。
わたしも、エスクラルモンド様に倣って、挨拶を返す。
岩棚の一画からかすかに煙が立ち昇って、煎じ薬の臭いがただよってくる。
女司祭が説明する。
「わたくしたちの仕事は、薬草を採取しては煎じて粉薬や丸薬にすること。ラングドック中に売りさばいて、そこここで潜伏生活を送っている良きひとたちの、生活資金にしています。もちろん、貧しい人たちには無償で医術も施します」
洞窟の一画に、キャッキャと戯れる、無邪気な声がしきりに上がっている。
目を凝らすと、男の子たちだった。年のころ、八歳から12~3歳ごろの少年たち十数人が群れをなしている。車座になって騒いでいる集団もいれば、その傍で白い毛布を被って寝ている子どももいる。
服に一様に、大きな十字を縫い付けているのが、いやでも目に付つく。
「あの子たちは?」
「少年十字軍の小さな隊士たち。弱って脱落した子どもたちを連れてきて、治療してああやって元気にして、元に返すようにしているのです」
「少年十字軍‥‥」
その噂はトゥールーズでも耳に入っていた。
なんでも、北フランスの羊飼いのエチエンヌという少年の前にイエス・キリストが現れて、無垢な少年だけの十字軍を結成して聖地エルサレムの奪還へと向かえと命じたそうな。
エチエンヌの呼びかけに応じて、最初は村の少年だけで出発したものが、南へ向かうにつれて噂を聞き付けて子どもたちが加わり、千人規模の隊列になって、地中海に面した港町、マルセイユにむけて進軍を続けているそうな。
「少年十字軍の本隊は、今はマルセイユ街道に近い森に野営しています。この洞窟もマルセイユからは遠くないのです。あの岩の隙間から覗いてごらんなさい。地中海が見えます」
言われて覗くと、確かに眼下にひろがる山なみの向うに、青い水平線がくっきりと浮かんでいる。生まれて始めて見る海というものに、わたしは魅了された。
ふと気になって、隣のエスクラルモンド様に問う。
「あの子たちが、本隊に戻ってからここのことを、アルビジョア十字軍に言ったりしたら‥‥」
「心配いりません。そんなことは今までありませんでした。みんな無垢ないい子たちで、わたくしたちに懐いてくれていますから」
とーー
カララ、カララーー
鈴の音に振り向くと、少年の一人がゆっくりと背後を横切っているところだった。
服装はほかの少年と同じく、大きな十字を縫い付けた少年十字軍のユニフォーム。けれどなぜか仮面で顔を隠している。
おまけに白い杖をつき、杖先に結んだ鈴から、歩くたびにカラ、カラと音がする。
「あの子はーー」エスクラルモンドさまに尋ねると、
「ギヨームは体の崩れる恐ろしい病気。うつると思われていて、村にいた時から鈴を付けています。今では目もほとんど見えないのです。でも、だれよりも信仰が厚くて、仲間にも敬われているのです。わたくしたちも何とかあの子を治そうと、いろいろ手を尽くしましたが、今のところ効果が上がっていません」
「ギヨーム、ギヨームというのね」
幼馴染で、今では異端審問官になって敵対している、あのギヨームと、同じ名前。
そう思うと、初めて会うのに、何となく縁があるような気がした。
でも、その時は、運命の出会いということを、はっきり自覚したわけではなかった。
<長門有希詩篇外伝「ソフィア姫と十字軍の伝説 第4話」に続く>
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