【3】
コミックソングという言葉がある。意味は、”滑稽な持ち味の音楽”である。
和製英語であり、外国にはそんな言葉はない。英語圏ではそういったもののことをコメディ・ミュージックというらしい。
僕は永らくこの言葉の意味を誤解していた。いつ、コミックソングという言葉を知ったのかは思い出せないが、僕はこれをアニメソングやゲームミュージックの総称だと思い込んでいた。
どうしてそんな勘違いをしていたのかは分からない。コミックソングという言葉を拙い頭で翻訳し、少年漫画的な歌の事だと思っていたのだろうか。
本当の意味を知ったのはごく最近の事だ。でも、永年の思い込みというのは恐ろしいもので、僕の中ではそういった言葉、ということになってしまっている。別に人前でそんな言葉を使う機会だって無いし、今後もそう呼ぶつもりだ。
この思い出のウォークマンに詰まっている曲も、ほとんどがそんなコミックソングだ。
ベンチに腰掛けると、プラグをウォークマンに差し込んだ。イヤホンの先を軽く拭いてから耳に押し込むと、プラグが古くなっているからなのか、ジジジ・・とノイズがした。
構わずに適当な曲を選ぶと、再生ボタンを押す。僅かなノイズを跳ねのけて、懐かしいコミックソングが脳に直撃した。このウォークマンを初めて使った時のことを思い出す。
見ている景色は変わらないのに、頭には大音量で音楽が流れ込んでくる。代わりに世界の音は聴こえなくなるが、音楽が聴こえているのは自分だけ。その奇妙な状況に、困惑したのは一瞬だけだ。世界を眺めながら、僕だけに大音量で聴こえてくるコミックソングに大興奮した。
それ以来、どこに行くにも僕はウォークマンを持ち歩いた。なんてことない、いつもの景色でも、ウォークマンがあれば世界が変わる。どんな道を歩いても、どんな場所に突っ立っていても、ウォークマンでコミックソングを聴けば、まるで自分が世界の中心にいて、物語の主人公になったような気がした。
大人になる前に、夢中になったアニメ、ゲーム。そのオープニング、エンディングやテーマソングとして使われていた曲たち。少年漫画的な、真っ直ぐすぎて、眩しくて熱すぎる、そんな歌詞。今にして思えば、あまりにも幼稚で純粋すぎる。
ふと気が付いた。最近はこんなにも前を向いた歌を聴いていない。大人になってからは、悲愴な歌や失恋の歌ばかりを好んで聴いているような気がする。
いや、底抜けに明るい歌だって聴いてはいる。流行りのアーティストが歌うCMソングや、街にいると否が応でも聴こえてくる大ヒットソング。聴いていないと世界に着いていけなくなくなってしまうから、手軽にスマートフォンからアプリでダウンロードして、膨大なメモリーに保存してある。
もちろんそんな歌の中にだって、心の底から好きなものはある。
けれど、どうだろう。その中に今、僕の世界に響いているコミックソングほど、心に沁みついている歌はあるだろうか?
あまりにも少年漫画的で、真っ直ぐすぎて、眩しくて、熱すぎて、幼稚で、純粋で・・・。今にして思えば、笑ってしまうほど滑稽な持ち味の音楽、コミックソングだ。
イヤホンから流れるコミックソングは全くあの頃と変わらない。僕は変わってしまった。大人になって随分経った。とっくの昔に、悟った。僕は物語の主人公なんかじゃない。
それでも、このウォークマンでコミックソングを聴いていると、まるで檄を飛ばされているように感じた。
————お前こそがこの世界の主人公なんだぜ。
何曲か聴き終えて、再生を止めた。相変わらずイヤホンからはジジジ・・とノイズがしていた。
今の僕は思いを巡らす。果たして、僕は大人になったのだろうか?
大人の定義とはなんだろう。大人になるのに資格はいらない。長く生きているだけで貰える唯一のレッテルだ。何もしなくたって大人には成れる。
・・・本当は大人なんてものは、この世に存在していないんじゃないだろうか?みんな、大人のふりをしているだけで、中身は子供のままなのではないだろうか?
多分、僕はそうだ。だって、こんなコミックソングを聴くだけで、今でも自分こそが物語の主人公なんだと錯覚している。
懐かしい景色を眺めていると、またその錯覚が恋しくなった。もう一度再生ボタンを押して、僕の世界にコミックソングを流し込む。大音量で、お気に入りの曲が流れ出す。
荒いドットで次々と表示されるアーティスト名に思いを馳せる。
当時、大人気だったバンドや、そういうジャンルの曲ばかり歌っている歌手。新進気鋭だったが、それ以降ヒット曲を出せずに消えていったり、その一曲だけしか印象にない歌手。コミックソングを歌う歌手には、そういう者が多い。タイアップのようなもので、大人の事情というやつがあるのかもしれない。
彼らは今、どこで何をしているのだろう。今でも耳にする名前もあるが、まるで世界から消えてしまったように、名前を聞かなくなった者もいる。
ふと虚しくなった。今、大音量で僕に檄を飛ばすこの歌手も、時の流れには適わずに、主人公ではないと自覚して散っていったのだろうか。
この歌手も、僕も、誰もあの頃には戻れはしない。自分こそが主人公だと信じていた頃には。
————しばらく物思いに耽っていたが、曲が終わるのを見計らって、音量を最大に引き上げた。数秒の沈黙の後、頭が変になりそうなほどの爆音でコミックソングが流れだした。
ベンチから立ち上がり、フェンスの向こうに広がる世界を見つめる。網目の向こうで、もう少しで完全に沈む夕日が街を染めている。
でも、それでもいいじゃないか。
例え錯覚だったとしても、信じた者が虚像だったとしても、このコミックソングを聴いている間は、少しだけあの頃に戻れるのだから。
ウォークマンが掌の中で鈍く輝いた。今時、こんなもの流行らないだろう。不格好で、時代遅れで、ノイズ混じりで、メモリーもほとんどなく、たかだか数十曲のコミックソングしか聴くことが出来ない。これにできることは、今やスマートフォンで全て出来てしまう。今の僕にとってはゴミ同然だ。今後の人生でこれが必要になることなどないだろう。
でも。
ポケットに、ウォークマンをしまった。役には立たない。今更こんなもの。
それでも、捨てるのには、まだ少し早すぎるような気がした。ポケットの片隅に、もう少しだけ、これがあってもいい。もう少しだけ、僕がこの世界の主人公だと錯覚していたい。
ノイズ混じりのウォークマンが、最後のサビを高らかに歌い上げる。
せめて、このコミックソングを聴いている間くらいは——————。
コミックソングと今の僕 椎葉伊作 @siibaisaku6902
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