【2】

 家の外に出ると、充電している間に太陽が沈みかけていたらしく、ありとあらゆる影が長くなっていた。

 夕焼けに霞んだ変わり映えのしない風景の中を歩き出すが、目的地など特にはない。仕方なく、近所の酒屋を目指すことにした。

 酒屋と言っても、僕にとっては駄菓子屋のようなものだった。本業は酒屋なのだろうが、店内の狭い陳列棚にはラインナップこそパッとしないものの、いくつかの駄菓子が置いてあったからだ。

 そういえば、しばらく足を運んでいない。顔馴染みの店主はまだいるのだろうか。

 そんな思いを巡らせていると、あっという間に辿り着いた。古ぼけた店の佇まいは変わっておらず、内装もそのままだった。日に焼けた張り紙や、黄ばんだ冷蔵庫。いつの時代の物なのか分からないポスター、意味もなく飾ってある将棋の駒の置物。全てが懐かしい。店先に立つ、知らない顔を除けば。

 レジの前には、全く見覚えのない中年の女がけだるそうに立っていた。ここの店主は恰幅の言いおやじさんと、いつもニコニコしている腰の曲がったおばあちゃんだったはずだが、経営主が変わってしまったのだろうか。

 少しためらったが、店内に入りたくて引き戸を開けると、中年の女は一言も発することなく、じっとこちらを見た。目を合わせたくなくて、真っ直ぐに駄菓子の置いてあった陳列棚へと向かったが、昔よりもずっとラインナップは少なくなっていた。

 まじまじと見つめるが、めぼしいものは見当たらない。昔はもっとたくさんの駄菓子が並んでいたというのに。

 仕方なく、10円ガムを一掴みしてレジへと向かった。何も買わずに出るわけにもいかないだろう。

「50円です」

 レジ台に掴んだガム達をばらけると、中年の女はまたけだるそうに吐き捨てた。無表情のまま、財布から100円を差し出す。

 あの頃は、先に所持金を数えてから駄菓子を買ったものだが、今となっては幾つかすら数えることもない。今の僕にとっては数十円如き、痛くもかゆくもない。

「お釣りです」

 成長して大人になったからだ。あの頃とは違う。




 酒屋を出ると、目的地を失って途方に暮れてしまった。今度はどこを目指そう。行く宛がない。

 どこでもいいか、適当にふらつこう。足を踏み出した。ただ漠然と歩いていればきっと見つかるだろう。行きたい場所が。

 道を行きながら、ポケットに入れた十円ガムをひとつ取りだすと、口の中に放り込んだ。懐かしいチープな甘さが噛む度に染みわたる。

 包み紙を見ると、おまけのミニゲームがプリントされていた。迷路のようだが、印刷ミスなのか、意地悪なのか、はたまた誰にも分からない難題なのか、どのルートを選んでもゴールに辿り着くことが出来なかった。

 くだらない。真剣に向き合って損をした。くしゃくしゃに丸めると、もう片方のポケットに突っ込む。

 そうこうしていると、口の中のガムがもう味を失くしていた。噛んでも噛んでも、甘さがまったく滲んでこない。こんなにも早かっただろうか。

 味の無いものをひたすら噛んでいてもつまらない。弄ぼうと、舌先に広げて風船を作ろうとしたが、上手く膨らませることが出来なかった。どうしてだろう。昔は簡単に作れたのに。

 そうか、あの頃と違って、身体が成長しているからか。

 仕方なく、もうひとつガムの包みを開くと、口の中に放り込んだ。再びチープな甘さが広がるが、もう片方に侵食されるようにすぐに味が失くなっていく。

 今度は作れるだろう。舌先に広げて突き出すと、容易く風船が膨らんだ。

 ただそれだけ、ただそれだけだ。馬鹿馬鹿しくなり、パチンと風船を噛み潰す。

 包み紙を丸める前に、おまけの迷路をもう一度見てみるが、やはりどのルートを選んでもゴールに辿り着くことはできなかった。




 そうだ。すっかり忘れていたが、この散歩の目的はウォークマンを久しぶりに使うことじゃないか。

 丸めた包み紙を巻き込まないように、慎重にウォークマンをポケットから取り出した。しっかり充電されているだろうか。ボタンを押すと、くすんだ画面が小さく光った。

 どうやらまだ生きていたようだが、音は鳴るだろうか。確認しようとイヤホンを取り出すと、なぜか滅茶苦茶に絡まっていた。家を出るときは解いていたというのに、この短い道のりの中で、一体どうしてこんな風になるのだろう。ひとつひとつ絡まりを解いていく。早くウォークマンの無事を確認したいというのに、まったく。

 手間取りながらもようやく解き終えると、いつの間にか懐かしい場所に辿り着いていた。適当にぶらついていたはずだったが、無意識に目指してしまっていたのだろうか。

 公園裏の坂道を登り終えた高台のところにある、小さな屋根付きのベンチ。フェンス越しに街を見渡せるここには、たくさんの思い出が詰まっている。一言では、言い表せないほどに。

 

 

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