ネバー・ターン・バック・アゲイン(4000文字編集版)

岳石祭人

ネバー・ターン・バック・アゲイン


 米田欣二まいだ きんじ(仮名)44歳は苛立っていた。

 渋滞にはまって1時間。先はまだまだ車の列が続き、のろのろ進んではまた長い間止まるのをくり返している。

 助手席の妻は窓に頬杖をつき、止まるたび、あからさまにうんざりしたため息をつく。

 後ろの席の子どもたち……7歳のお姉ちゃんと5歳の弟くんも、リアモニターでアニメのDVDを見ていたが、もう飽きたようで、

「ねえ、まだあ~?」

 と10分も開かずに訊いてくる。

「うん。まだ掛かりそうだなあ」

「あと何分?」

「そうだなあ、あと何分だろうなあ」

「え~~、は~~や~~く~~つ~~か~~な~~い~~かなあ~~~~~~」

 お姉ちゃんがクッションの上でポンポン跳ねて、弟くんも真似してチャイルドシートの中で手足をバタバタさせる。


 苛々する。



 港に南極観測船「しらせ」がやって来ている。

 土日の2日間、一般公開して、船内の見学も出来るという。

 たまたまテレビで広報番組をやっていて、それを見たお姉ちゃんが、

「行きたい!」

 と言い出した。船内には本物の南極の氷があって、触れるんだそうだ。

 欣二は面倒で嫌だったのだが、妻が、

「あら、いいわねえ」

 と乗り、弟くんも

「行きたい行きたい!」

 と、何も分からないだろうに、お姉ちゃんの真似をした。妻が、

「南極にはペンギンがいるのよお」

 と余計な知恵を付け、子どもたちはすっかり

「行きたい!行きたい!」

 の合唱を始めてしまった。

「しょうがないなあ」

 と、土曜は用があったので、日曜に行くことになった。



 ようやくお目当ての「しらせ」のオレンジ色の船体が見えた。

 大型船が入り江に入ってコンテナを積み降ろしする広大な港の、まだまだ先だけれど。

「どこどこ?」と捜した子どもたちは、見つけると、ガッカリした。

「ちっちゃい~。ぜんぜんおっきくない~~」

 欣二は笑って言った。

「そりゃあ、まだ遠いからだよ。近くから見たら、すごくでっかいぞ?」

 妻がボソリと言った。

「あんまり大したことなさそうね」

 欣二は思わずまじまじと妻を見た。

(なんなんだ、人がせっかく盛り上げようとしてるのに)

 妻はプイと窓の外を向いてしまった。



 苛々する。



 今走っている国道と、左折してふ頭へ向かう道との、T字路が近づいて来た。

 渋滞の車は、ほとんど左折していく。みんな、しらせを見に来た家族連れだろう。

 ふ頭の手前に広い臨時駐車場が用意されている。そこに止めて、しらせまで歩いていかなくちゃならない。

 車の列が少し動いて、止まった。もう少し、もう少し。左折したら、止まっている間に三人を下ろして、先に歩いていってもらえばいい。300メートルと言った所だろう。歩道を歩いている人も多いじゃないか。


 歩道を歩行者に混じって自転車を引きながら歩いてくるおやじがいた。

 T字路をこちらに曲がると、わざわざ聞こえるように独り言を言った。

「あーあー、ここじゃあ間に合わないだろうなあ……」

 欣二が顔をしかめると、おっと、と白々しく肩をすくめ、広くなった歩道を自転車にまたがってすいすい行ってしまった。

「なあに、あれ。ムカつくわねえ」

 妻が言い、

(子どもの前でそういう言葉遣いするなよ)

 と思いながら、おやじの言った言葉の意味を考えた。

(ここじゃあ間に合わない? どういうことだ?)

 妻に頼む。

「ちょっと、これ、何時までか調べてくれよ」

 えー、と面倒くさそうに言いながら、ささっと慣れた手つきでスマホを操作する。

「4時までよ」

 現在……2時になろうとするところ……

「あ、待ってよ。中の公開は3時で入場締め切りだって。やっだあー、間に合うかしら?」

 子どもたちが騒ぎ出す。

「え~~、お船、入れないの? 南極の氷はあ~~?」

「やだやだ、見たいい~~!」

 わーわーぎゃーぎゃー。

「ちょっとあなたあ、間に合うのお?」

(うるさいなあ)

 と思いながら考える。


 4時までの公開で、3時に締め切り。単純に考えて、船内を回るのに1時間くらいかかると言うことか?

 そして、今2時。締め切りまで1時間。そして、この渋滞。

 …… ……


 欣二は非常に気まずい思いをしながら家族に言った。

「今から行ってももう、船内には入れないかも知れない」

「なによそれっ? こんなに待たせて、冗談じゃないわよおっ!!」

「お船、入れないの?……」

 お姉ちゃんが泣き出すと、弟くんも泣き出した。

 うええん、うええん、と悲しそうに泣いていたのが、やがてかんしゃくを起こして、ぎゃあぎゃあと、大声で泣きわめく。

「ああ、ほら、泣かないの。あなた、どうすんのよ?」

 欣二は無言で車列と信号を睨んだ。

 じいっと夫を非難の目で見ていた妻は、はあっ、と大きく息をつくと、座席にふんぞり返った。

「あーあ、来るんじゃなかった」


(だから、)


 俺は言ったよな?、早く行こうって。

 子ども向けのイベントはとにかく込む。

 ト◯カも、トー◯スもそうだったよな?

 朝一番で行かなきゃ駄目なんだよ。

 渋滞に何十分もはまって、会場に着けばもう満員でごった返して、子どもたちはおもちゃの取り合いでわーわー泣いて。

 ようやく入ったと思ったら20分もしないで、「もう飽きた」で出て、けっきょくイオンに行って、ゲームやって、買い物して、帰ってくるんだよな。

 ああ、ああ、毎度そうだよな。

 おまえらイオンが大好きなんだろ?

 だったら最初からイオンでいいじゃねえか、ちくしょう!


 信号が青になり、一台左折し、一台、左のウインカーを点滅させていたが、やめて、直進していった。すっかり空いた道路を、スピード上げて。

 欣二の車の番になった。ずっと長い間、目標にしていた信号の。

 欣二も左ウインカーを点けていた。

 左折しても、渋滞は続いている。

 …………

 俺だって、うんざりだ。

 ウインカーを右へ切り替え、グルッと、車をUターンさせた。




 ドンッ。




 Uターンしたところで、追突された。

 欣二はエアバッグに受け止められ、ビックリした顔を上げた。

 妻も同じく、目を大きく見開いて、蒼白の顔をしていた。

「だ、大丈夫か」

 後ろを見ると、子どもたちもビックリして、真っ白な顔をしていた。あれだけ泣きわめいていたのが、一瞬で止まっていた。

 欣二の手は大きく震えていた。面白いように震えて、止まらない。

「もう、何やってんのよ!?」

 妻がキレて、わめいた。

「いきなりUターンなんかして、馬鹿じゃないのっ!?」

(いきなりじゃない。十分余裕があったからUターンしたんだ。あの車が、スピード出し過ぎなんだ)

 その車から運転手が降りて来た。若い男が、


 どこ見て運転してんだよ、馬鹿やろう!!


 と怒鳴りつける気満々で。



 ………… ………… ………… …………



 ああ、苛々する、どうしようもなく。




 欣二はシフトレバーをバックにすると、思い切りアクセルを踏み込んだ。

 追突したスポーツタイプを後ろに跳ね飛ばした。

 運転手が慌てふためく。

「て、てめ、な、何やって・」

「あなた、何やってんの?」

 欣二はレバーを前進にすると、ハンドルを切り、ふ頭への道に入った。

「あなた、なに…、やめてえーー」

 妻が恐怖の悲鳴を上げる。

 渋滞の左レーンを無視して、右の対向車線を走っている。

 欣二は思い切りクラクションを鳴らした。

「どけどけどけーーっ」

 プププププー、プップップーーー、

 慌てて避ける対向車が、避け切れず、

「どけーーっ」

 欣二は斜めになった対向車の側面を突き飛ばした。アクセルを踏み込み、スピードを上がるだけ上げた。エンジンが聴いたことのないものすごい音を上げる。欣二はハンドルを忙しく左右に切って正面衝突だけ避けた。ガンガン、車がぶつかっていく。欣二の車も左右にガタガタ揺れた。妻が悲鳴を上げる。子どもたちも悲鳴を上げる。欣二は笑った。

「わはははははは。陸の砕氷船だ! おらおらおら!」

 ガンガン車をぶっつけ、弾き飛ばしていく。


 駐車場に突入した。

 警備員が「止まれ! 止まれ!」と停止させようとするが、その気の全くないスピードにおののき、必死に避けた。

「ほら、見ろ。しらせだ! でっかいだろう?」

 ずんぐりとも思える巨大なオレンジの船体が、ぐんぐん迫ってくる。

 やっぱり、全然間に合わなかったのだ。

 船内に入場する、上部への長いスロープには、船体に沿って、長い人の列が出来ている。

 今並んでいるだけで、もう時間いっぱいだろう。

「大丈夫だ。父さんが、しらせに乗せてやるぞ!」

 欣二はスロープ目がけて一直線に車を走らせた。

「あなた、やめてえーーーーーーーー」

 妻が叫び、後ろにのけぞった。

 ・・・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・




 ギイイイイイイイイイイッッ・・・・・・・




 車はタイヤから黒い煙を噴きながら滑り、スロープに突っ込む寸前で止まった。


 欣二はハンドルを硬く握り、肩を怒らせて、ゼエゼエ、息をついていた。

 気がつくと、座席に張り付いた妻が恐ろしい顔で自分を見つめ、後ろの子どもたちはしくしく泣いていた。

 欣二は辺りを見回した。

 危うく轢かれかけた人たちが腰が抜けたような恰好をして、恐ろしそうに欣二を見ていた。

 後ろを振り返れば、自分が跳ね飛ばして来た車が、あっちこっち、また周りの車にぶつかって、惨憺たる有様だった。

 皆、欣二を恐ろしそうに見ていた。

 欣二自身、ルームミラーに自分の顔を見て、ぞっとした。

「あ、あなた……」

 妻が弱々しく、努めて優しい声で、呼びかけてきた。

「降りろ」

「え?」

「降りるんだ、三人とも。早く」

 妻は車を降り、子どもたちを降ろした。

「き、君。エンジンを切って、降りて来なさい」

 警備員たちがじわじわ迫ってくる。警戒しているが、顔には激しい怒りがはっきり表れている。

 欣二はギアをバックに入れ、アクセルを踏んだ。わあっという悲鳴と、この野郎!という怒声がわき起こった。

 欣二はギアを前進に入れると、ふ頭の岸に沿って走り出した。並んでいた人々が悲鳴を上げて逃げた。

 ぼろぼろになった車はもうさっきまでのようなスピードは出ない。

 欣二はアクセルを踏み続ける。

 まっすぐ前を見て。

 俺はもう、二度とUターンなんかしないぞ。



 END

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ネバー・ターン・バック・アゲイン(4000文字編集版) 岳石祭人 @take-stone

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