後編
休日を自宅で気ままに過ごしていたときに、彼から送られてきたメール。
『明日、昼に食事でもいかがかな。』、か。
ぎこちないアプローチだなァ。まだ、お互い二十代なのに。
そんなことを思いながら、なんだか不思議と可愛らしくも思えて愛着が沸く。
いかがかな、なんて渋めの文言が躍り出るからと言って、このメールを送り付けてきた主は、燕尾服で装いシルクハットを着飾るようなあしながおじさんなワケはない。同年代の、違う職場で働いている、ありきたりな黒髪の男性。もしかしたら、他人より少しは落ち着きがある方なのかもしれない。その程度の、どこにでもいるありふれた男。そこらにいる他の男よりは、彼が好き、といった違いがある程度。
つまるところ、一紳士を装って「いかがかな?」 と言っているのではなく、ただ単に会話のとっかかりを掴むことに苦心して、ぎこちなくなってしまっているだけ。まだまだくだけた間柄になりきれていない私たちの、そんな関係が伺える一文。それを見た私は、か細いため息を吐きながら画面上でむにむにと指を動かし、強く押してメールを返した。
『いく』
たったの二文字。すぐにOKの返事を出す。『OK』でも、たったの二文字。
そうして返事を送ったあと、スマートフォンの画面を閉じた。窓の向こうの景色にちらりと視線をやり、もう一度手もとを見ると、沈黙したスマートフォンが黒目を剥いて私を見つめていることに気づく。半透明のおぼろげさで画面に映し返される私の表情と、はかなくうつろな風景とが融け合っているように思えるそれを一目見て、さらによくよく眺めてみると、妙なことに気がついた。
私の口もとが、ほころんでいる。
ややだらしなく、表情が崩れていた。
どうやら笑っていたらしい。
それに気がついて、すぐに表情を整えた。誰も視ていないのに、などと思いながら。
——でも、「なんで笑っているの」 なんて思うことはないかな。なぜなら、理由はとても明白だから。
だって。
ちょうど今、休日をぼんやりと過ごしながら、彼からそんなお誘いがないかなと思っていたところだったもの。不思議なことだけれど、そんなとき、彼はとてもいいタイミングでぎこちなくてもお誘いをくれる。そんなことが、たびたびある。
今日もそう。急な電話が来るわけでもなく、矢継ぎ早なSNSのメッセージが飛んでくるワケでもない。ただただ、シンプルなメールがひとつ。返事のタイミングをこちらに委ねて、でも意思は込められている。だから、遠慮なくすぐに返したくなる。
そんな私の性質と、彼の性格が、ほどよく溶け合って交際できる今。
まだ、ふたり時を重ね始めてそう時間は経っていない。それでも、うっすらと確信じみた想いが私と彼との間で積み重なっていく感触がある。
私と彼は、波長が合う。
ただ、それはそれとして、メールだけだとテンポがいまひとつな時もあるかな。待ち合わせの件とかあるし、そろそろ話したいと思い始めていた。
すると、さっきまで静けさを保っていたスマートフォンが唸り始める。すぐさま手に取ると案の定——。
そこに、あいつの名前が表示されていた。
「もしもし。賢くん?」
『ああ、紗綾。こんにちは』
はい、こんにちは。まだちょっとぎこちない感じがこそばゆい。
『いま、ちょっといいかい』
ええ。待っていたわ。
颯爽と立ち上がり、スマートフォンを手にしたまま鏡の前に立つ。まずは眼鏡をとるべきかな。そんな徒然としたことを脳裏によぎらせながら、彼との淡々とした会話をはじめる。鏡の向こうの、風に吹かれる山々の景色に夕の陽射しが降り注ぎはじめた。街並みがオレンジの薄布に音もなく覆われていくように、とりわけ陽光を反射して眩しい程だった白壁がオレンジに染まっていく移り変わりに、胸が透くようで、感じ入る。
「明日の件だけど——」
スマートフォンから、鼓膜を通って体の芯を優しく通りぬけていくような安らいだ声だった。
「そうね。明日だったわね。何時がいいだろ」
そうして通話しはじめてから、私は早々に鏡から離れた。理由は明白で……自分のにやついた表情が、見るに堪えなかったから。
ただ、今日も思う。
つくづく、彼とは波長が合うな。
私と彼は波長があう ななくさつゆり @Tuyuri_N
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